議員日記  2004年12月
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   2004年12月3日(金)                                                                            
12月市議会  一般質問のお知らせ


「ヨン様」がやって来てすごい熱気だったようですが、なぜあんなに大騒ぎするのか、さっぱりわかりません。「タマちゃん」とか「ハルウララ」とか、マスコミがさんざん煽り、大勢が飛びつく、ということが相変わらず繰り返されているようです。

   民間レベルで日韓の交流が進むのはいいのですが、金大中政権以来の韓国政府の姿勢が気になります。過去にこっそりプルトニウムを抽出していたことがバレても韓国政府は「(微量だから)大したことではない」と発表しました。また、韓国の拉致被害者家族は随分冷遇されているようですし、盧武鉉大統領が最近も「北朝鮮が抑止力として核兵器を持ちたいというのは理解する」と発言するなど、北朝鮮寄りの姿勢が過ぎるのではないでしょうか。



   今年最後の市議会(平成16年第4回定例会)が始まります。例によって一般質問をしますのでそのお知らせです。今回の一般質問は12月7日(火)〜8日(水)に行われます。市議17名から質問通告書が出されていますが、私の受付順は16番目でしたので、質問は12/8の午後になるのではないかと思われます。皆様、是非傍聴にお出でください。当日議会事務局に電話すれば進行状況がわかります(TEL 0422-60-1883)。インターネットの生中継も当日こちらのページから接続できます。

  今回の私の一般質問の質問項目は次の通りです。
1.  防災対策とまちの安全の確保について
2.  開発公社が事業を継承した?FFショッピングセンターの財務上の問題点について
3.  市の事業のイラストなどのデザイナーの決め方について
   
   かなり厳しい質問をするつもりですのでご期待下さい。
   また12/6(月)には第4期基本構想 に対して、本会議の壇上で賛否の討論があります。私も自分の意見を述べる予定です。”長計”(長期計画)に関心のある方はこちらも傍聴にお越し下さればと思います。
   このところ、一般質問の質問順位”1番”を巡って、約2名の市議の間で奇妙な先陣争いが行われているそうです。子どもではないのですから、そんなことに熱くなるより、質問の内容で勝負してほしいものです。

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   2004年12月5日(日)                                                                            
千川小50周年記念式典がありました。

   

  昨日12/4には武蔵野市立千川小学校の創立50周年の記念式典があり、出席させていただきました。おめでたい席でしたが、一番驚いたのは、完成後約10年になる、校舎外壁レンガの白華現象(エフロレッセンス、はなたれ)が物凄いことでした。「本物のレンガだからこういった現象が起こる」との意見がありましたが、これは間違いで、白華現象とはセメント成分のうち可溶成分が雨水に溶け、レンガやタイル面に流れ出て、水分が蒸発する時に炭酸カルシウムや硫酸カルシウムの結晶として折出し、白く見える現象ということです。

「新しい種類のレンガかと思った」「これはこれで味がある」という声もありますが、やはりいただけないと感じました。除去もなかなか難しいようです。最近芸術院会員になられたばかりの設計者の岡田新一さんもお見えでしたが、どういう感想をお持ちになったでしょうか、残念ながらお話を聞く機会はありませんでした。
   記念式典・祝賀会にはたくさんのPTAの方々が案内や準備のために動いていました。祝賀会の準備をもっとシンプルにしてこういった保護者の方々も一緒に祝賀会に参加していただくことはできないものでしょうか?役割が「分業化」されていて、心から楽しめなかったのは残念でした。是非やり方を見直して欲しいと考えます。



   

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   2004年12月6日(月)                                                                            
来夏に迫った都議選の話題

   以下は「激辛通信第12号」とほぼ同じ内容です。来年の都議選についての話題です。

1.都議選が統一地方選と選挙時期が異なるわけ・・・
   来年夏には都議会議員選挙があります(定数127  詳細はこちら)。ポスターもチラホラと貼られています。なぜ統一地方選と関係なく単独でこの時期に選挙が行われるかというと、1965年(昭和40年)、都議会議長選挙をめぐる買収事件が明るみに出て、現職議長を含む自民党都議17人が逮捕されるという、いわゆる「都議会黒い霧事件」というのがあったからです。当然都議会は解散し(この時初めて国会で「地方議会解散特例法」というのが出来、地方議会は解散できるようになったそうで、それ以来都議選は4年おきのこの時期になっています)出直し再選挙が行われました。
   この時は社会党が第一党に躍進しました。しかし、土井委員長になって行われた'89年、'90年の衆参国政選挙で大躍進した時と同じく、社会党は好機を生かせず、短期間で元の木阿弥になりました。

2.これまでの選挙結果
 武蔵野市では定員1名の議席を巡って争われます。すでに自民党系は現職が公認候補に決まっています。公明もこの候補を支持するのは確実です。問題は野党側がどうなるかです。ここで過去3回の選挙を見てみてみます。

平成5年6月27日執行 (定数1、候補者数4) 有権者数105,887、投票率50.69%
井口 秀男 60 20,364
山本 あつし 36 佐川 17,726
新実 信正 59 10,283
戸田 定彦 50 4,567
佐川:佐川究明!学生・市民・議員の会

平成9年7月6日執行 (定数1、候補者数4) 有権者数106,206、投票率42.34%
井口 秀男 64 15,141
水野 学 55 12,976
山本 あつし 40 市民の党 10,102
岡崎 いづみ 34 6,012

平成13年6月24日執行 (定数1、候補者数4) 有権者数109,189、投票率48.87%
小美濃 安弘 38 19,171
山本 あつし 44 14,562
松崎 あかね 38 民主党 14,337
なかや 茂 50 4,382

(更に詳しいことは武蔵野市選挙管理委員会のページにあります)

3.一本化すれば得票は自民を上回っている野党系・・・
   これで分かるのは、野党系の候補の得票合計は毎回自民党系を大きく上回っているのに票が分散して負けていることです。ここ3回はローカルな革新政党(現市民の党)から立候補して民主党(H5年は社会党)と票を二分しています。共産党は毎回独自の戦いです。

   民主党では水面下の動きはあるようですが、今のところ候補者は決まっていません。難航しているようです。共産党もまだです。ひょっとしたら同党は今回は見送るのかも知れません。市民の党からは現職の市議が出そうな雰囲気です(各党立候補予定者一覧)。

   共産党はともかく、民主党と市民の党が別々に候補者を立てると、善戦は出来ても、よほど自民に逆風が吹くような事件がない限り、勝つことは非常に困難です。
   一本化できれば誰でもよいという訳には行きませんが、過去3回も同じことを繰り返してきたのですから、いい加減に少しは学習してほしいものです。もちろん市長や与党陣営はまた同じ構図になることを願っているでしょう。

   

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   2004年12月11日(土)                                                                            
一般質問をしました。

   12月8日一般質問をしました。大きな質問項目は12/5のところでも書きましたが、次の3つでした。
1.  防災対策とまちの安全の確保について
2.  開発公社が事業を継承した FFショッピングセンターの財務上の問題点について
3.  市の事業のイラストなどのデザイナーの決め方について
 
 
武蔵野市議会における一般質問の仕組みを少し詳しく説明します。

1)議員は本会議の約1週間前までに「一般質問の通告書」を提出します。今回の締め切りは11月30日でした。
   ・・・一般質問をする議員は必ず事前にどんな内容の質問をしたいかをまとめて議会事務局に提出しなければなりません。通告書に書かないで、本番で新たな質問をすることは原則的にはできないことになっています。また、他の議員がどんな質問をするかもわからないので、同じテーマが重なることもあります。今回は防災関係について4人以上が質問しました。議場での質問は通告書の提出順に行われます。今回私は「通告書」作成に手間取ってギリギリになりましたが、議会事務局に行ったら最後に質問したい別の議員に順番を譲られました。

2)「通告書」の質問の担当部署が明記された一覧表が作成され、それぞれの担当部署で受け持ち部分についての回答を作成し、資料も準備します。
   ・・・市長の本会議での答弁をサポートするためにこうやって事前に答弁書を作成する訳です。国会での首相や大臣の答弁の仕組みと大体同じだと思われます。

3)「通告書」の質問内容について、事前に各部署の担当者から議員へのヒアリングが行われることもしばしばあります。
   ・・・私の質問に対してもヒアリングが時々ありますが、前回と今回は電話での問い合わせもほとんどありませんでした。理由はわかりません。

4)市長は本会議での一般質問に対して上記のような各担当部署のサポートを受けて答弁します。      ・・・質問者は大体16から18名くらいなので、準備がなければなかなか大変だと思います。しかし、市長は本番でその原稿を読むときもあれば、あまり読まないこともあるようです。市長が良く知っている事業(介護保険・建築関係など)についてはペーパーなしで持論を展開し、毎回同じような説明がくどくどと繰り返されることもあるので、「もう何回も聞いた」と与党側からもヤジが飛ばされたりします。

5)議員側はまず演壇で、質問通告書に沿った内容で20分間以内の質問をします。そのあと席に戻り市長(教育関係は主に教育長)の答弁を受けて、10分間の持ち時間以内で2回だけ再質問、再々質問ができます。但し、短い時間で答弁に対する反論を組み立てての再質問、再々質問は大変難しく、私の場合はいつも消化不良でモヤモヤが残ることになります。(市長の答弁の持ち時間には制限がなく、最後は常に市長の答弁で終わります。この点は大変不公平な仕組みです)。


   今回私の質問に対して答弁者は土屋市長だけで、壇上での質問に対しては、質問項目の順番に沿ってかなり丁寧な答弁があり、これまでに比べるとやや意外な印象を受けました。事前に担当部署が作成した原稿を下を向いて読んでいたので、市長は発言に大分慎重になっていたと感じました。その後の質問では見解の隔たりも大きく、市長の自慢話も多かったので議論は噛み合わず、尻切れトンボに終わってしまいました。

   一般質問の持ち時間は変更しないにしても、30分間の使い方は自由にして、何度でも質問できるようにすれば、今より議論はずっと深まると思うのですが、そういう改革の話は今まで聞いたことがありません。何とか賛同者を増やしたいと思います。

   今回の一般質問の詳細については、近いうちになるべく分かり易くお知らせするつもりですので暫くお待ち下さい。



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   2004年12月14日(火)                                                                            
ハト派はどこに行った

   私が一般質問で取り上げた問題(F&Fビルのことなど)の分かりやすい説明を、現在作成中ですがもう少し時間がかかりそうなので、今回は他の議員の一般質問の内容について考えてみたいと思います。

   今回の2日間17人の一般質問の内、問題を感じることが何度かありました。特にそう思ったのは、自民のS議員による「教科書採択の方針と歴史教育の副教材等について」と題した質問の時です。S議員は戦前の世の中は基本的に全て正しかったというのが持論のようで、歴史教育は事実に基づいて正しく教えなければならないと言いながら、例えば戦前の「朝鮮人強制連行」を採り上げて、「そんなことは当時の法律にも募集要項にも書いていない、強制連行はなかった」などと到底事実に基づくとは思えないことを述べていました(評論家の桜井よしこさんたちまで同じようなことを言っているのは大変残念です)。
   またS議員は質問の中で、来年の教科書選定を控え、「教科書の選択に圧力を掛けることがあってはならない」と盛んに主張していましたが、傍聴席には何人かの賛同者(?)が来ていてしきりに拍手するなど、自身が一番圧力を掛けているのではないかと思いました。

   今回の一般質問でS議員は、新任の教育長の歴史観を推し量るテストをしていたように思えました。「下手なことを言うとこれから問題にし続けるぞ」といった不気味なものも感じましたが、教育長はやんわりとS議員の主張をかわし、言質を取られるといったことはなかったようでした(S議員は今年3月の予算特別委員会でも、予算と殆ど関係のない国旗・国歌の問題を武蔵野市ではどう取り扱っているか、愛国精神に基づいているかと、執拗に食い下がって訊いていましたが、この時市長は(個人としての本音は分かりませんが)行政の立場からかなり素っ気なく事務的に答えていました。「2004.3.16 平成16年度予算特別委員会第2日」)。
 
   S議員のような「産経史観」とも言うべきものの見方が、石原都知事を始め一定の広がりを見せているのは残念ですが、それはそれで仕方ありません。問題なのは市議会の中で、革新系の議員はともかく、自民党や市民クラブ、公明党、さらに民主党といった会派の議員たち全員が同調しているとは思えないのに、全く無反応なことです。これまでのS議員の度重なる右寄りの発言に対しては市民の中からも、「武蔵野市らしいリベラルな雰囲気や寛容さが失われていく。自民党がこれ以上ネオコン化していいのか?」との声も聞きます。自民の市議の方々には真剣に受け止めて欲しいと考えます。

   国会では自民党内のハト派の影が非常に薄くなっていると言われて久しく、先日も自衛隊イラク派遣延長や、武器輸出三原則の大幅緩和がアッサリ政府与党内で決まったようですが、一方で小泉首相が狙っていた早急な憲法改正はひとまず頓挫したようです。これには憲法調査会の中で、公明党が自民党に批判的だったことが大きかったと新聞にありました(12/9 朝日新聞朝刊)。戦前の言論宗教弾圧や、平和の問題には敏感な筈の公明党には、市議会の中で自民党に遠慮することなく、もっと独自性を発揮してもらいたいものです。また市民クラブなどの保守系の人たちも、現在の右傾化の風潮に安易に従うのではなく、良識ある判断をしてほしいと願っています。

   とにかく声の大きい一部の人たちの主張を黙って見過ごしていると、気が付いたらもう取り返しがつかない地点まで来てしまっていたと言うことは、あってはなりません。このことはフランク・パブロフという人の「茶色の朝」を引用して何回か書きましたが(3/278/29)、今後もしつこく続けたいと思っています。

強制連行について
   確かに戦争が激しくなるまでは、ある程度自分の意志で日本に来た人も少なからずいたでしょう。土地の登記が未発達で、日本人に半ばだまされて農地を取り上げられ、食いつめてやむなく職を求めて来日した人も多かったとも聞きますが、そういう人も含めての話です。日本では大変な差別を受けながら、何とか生活の場を確保し、家族や親戚を呼び寄せるという形で移住者が増えたということもあったようです。しかし戦争が激しくなるにつれて、労働力不足を埋めるため、無理矢理拘束したり、実際と大違いの募集要項で騙すようにして人集めをしたことは多くの当事者の証言もあり明らかな事実と言えます(人さらいのように男を捕まえて日本に送り込んだ元徴集係の日本人官吏の証言もテレビで見聞きしたことがあります)。そして日本人でも逃げ出すような劣悪な環境のの炭坑やダム、トンネル、防空壕などの工事現場で、厳しい監視と虐待の中、大勢の韓国・朝鮮人が働かされたことはどう強弁しようと隠しようもないことです。軍人が威張り散らし、言論は統制され、ちょっとでも批判めいたことを言うと特高警察に引っ張っていかれるというような空気の中で、戦争遂行のために何が行われたかということには殆ど議論の余地はありません。(強制連行された中国人が蜂起した「花岡事件」の裁判の過程で、労働者が地獄のような環境で働かされたことが詳しく語られましたが、朝鮮人の強制連行者に対してはそんなことはなかったなどと言える訳がありません)。
 戦争中、武蔵野市の中島飛行機工場(現在の武蔵野中央公園やその周辺一帯)でも、多くの朝鮮人の人たちが働かされていたとの記録が残っているとも聞きました。
   




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   2004年12月18日(土)                                                                            

12月の一般質問で取り上げた問題を分かりやすく取り上げます。最初はこのテーマから。

「鰍e&Fショッピングセンター」突然解散のナゾに迫る!(1)

1)エフエフの何が問題か
伊勢丹の入っているF&F(エフエフ)ビルと言えば、武蔵野市民誰もが知っている吉祥寺のあのビルです。このビルを管理していた「(株)F&Fショッピングセンター」がこの3月末ひっそりと解散され、業務は市の100%出資団体の武蔵野市開発公社(一部については吉祥寺エフエフ商業組合)が引き継ぎました。3月の市議会予算特別委員会で市長は「役割が終わったから」というだけで、詳しい説明は全くありませんでした。現に営業が続いている商業ビルの運営・管理組織が急に変更されるというのは変だと思いました。ましてそれが市や、市の出資団体が金も人も送り込んでいる会社であれば、市民に対する説明責任があるはずです。
しかし
   
・ もう解散した会社のことをあれこれほじくっても仕方がない。
   ・ 武蔵野市が出資した2千万円は全額戻ってきた。損害を受けた訳ではないので問題はない。


という声がチラホラと聞こえてきそうでしたが、少しずつ調べてみると、多くの問題を含んでおり「ハイ、そうですか」とあっさり簡単に片付けられるような案件ではないことが分かりました。
   以下で時間を追ってエフエフの移り変わりの概略を見ながら問題点を明かにしたいと思います。

   調査にあたって、武蔵野市開発公社に直接問い合わせや情報公開請求をしましたが、大変前向きに対応して頂き感謝しています。お陰でこの問題で、全くの部外者の私でもかなり真相に近づけたのではないかと思っています。市の各部署や他の出資団体もこうであってほしいものです。

2)エフエフの不幸な出発
   エフエフビルは吉祥寺駅前再開発の一環として、1972年3月、密集していた小さな商店を収容し(A棟)、キーテナントとして伊勢丹が入る(B棟)複合商業ビルとして建設されました。建設の母体となったのは(財)武蔵野市開発公社、土地の所有者は宗教法人G寺です。その頃の市長は後藤喜八郎氏でした。当時吉祥寺にはデパートが次々にオープンするなど、商業地域として急成長中でしたが、エフエフでは当初から、期待したほどの収益は上がらなかったようです。

原因として次のようなことが考えられます。

A棟の管理運営組織として吉祥寺エフエフ商業組合が結成されていたが、店舗部分は各地権者の区分所有としたこともあって、各フロアに統一感がない上、権利関係が複雑で細かなトラブルも絶えず、専門店街としての経営戦略を打ち出すことが出来なかった。
A棟正面玄関を横切るスロープがあり、入口が分かりにくかった。また地権者の商店主たちは伊勢丹に食われることを警戒するあまり、伊勢丹とは完全分離とした。そのためB棟伊勢丹は駅方面から来ると奥の方に押しやられ、目立たなかった。
伊勢丹の店舗面積もデパートとしてはやや不十分だった(開店時は約25,000平米)。

   市議会の過去の議事録を見るとエフエフ問題は度々取り上げられていて、その運営状態がかなりの関心事だったことが分かります。経営不振から閉店する店舗や空き店舗が増え、当初73店あった店舗は1978年3月の時点では61店にまで減少しました。開発公社がテナントを家賃滞納で告訴するということまで起こりました。

3)テコ入れ
   テナントの突き上げ、市議会への請願などもあって、市と開発公社は事態の改善に動き出しました。まず79年にエフエフビルの管理業務とともに、ビルを活性化し販売促進を図るために(株)エフエフショッピングセンターが設立されました。株主は武蔵野市開発公社(出資比率約41%)、伊勢丹(同21%)、武蔵野市(同9%)、エフエフ商業組合(同5%)などです。市や開発公社から人材が役員として派遣され、伊勢丹や地権者と連帯して経営に当たることにもなりました。
    また建物の改修・リニューアルのために

          80〜82年     第1次、第2次改造工事
          89〜91年     大規模改造工事
が実施され、入口の伊勢丹の看板を大きくしたり、正面スロープを撤去したり、結婚式場をやめて店舗を拡張するなど、経営改善のための投資が行われました。A棟の空き店舗の一部にも伊勢丹が入り、同店の売場面積は29,000平米近くになりました。90年には17億円費やされるなど、建物改修のための投資額は、解散までの総額で約21億円に達しましたが、このための会計処理が後々問題になりました。

・・・・・つづく


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   2004年12月20日(月)                                                                            
「鰍e&Fショッピングセンター」突然解散のナゾに迫る!(2)

4)重荷を背負う
 

 エフエフの主たる収入源は、テナントから床面積に応じて徴収する管理費でした(家賃そのものは殆ど武蔵野市開発公社が受け取ることになっていました)。リニューアルの効果はそれなりにあったようで、家賃値上げのハネ返りや売場面積の増加による収入増で、単年度の営業収支は、ならせばトントン程度にはなったようです。人件費としては専属の社員数名の分だけで、市の部長職などとの兼務、開発公社と兼務の役員には給料は支給されませんでした。

   武蔵野市開発公社(紛らわしいのですが土地開発公社とは別の組織です)とエフエフの関係は、ビルを賃貸事業をする会社から物件の1つの管理だけを任された子会社という関係でしょうか(実際には開発公社は株式会社ではなく、市が100%出資する財団法人です)。開発公社はエフエフビルの伊勢丹が入っている部分の他、吉祥寺の北口駅前のビルや武蔵境のスイングなど数件の不動産を持ち、地価が高騰する前に土地を購入したり、借地したりして建てた物件が多いことから含み資産も多く、土屋市長曰く「超優良企業」だそうです。実際に毎年億単位の剰余金を出してきました。

  問題は過去の改造工事に要した費用21億円について、開発公社が5.8億、伊勢丹が7千万拠出した以外はエフエフショッピングセンターが負担したことでした。このため受入保証金という名目で伊勢丹から預かっていた15億円の中から(一部は銀行からの借入金で)やりくりしました。受入保証金については2002(H14)年から毎年1.5億ずつ返済することになっていて、当然近い将来重い負担になることは経営陣は分かっていた筈ですが、長期的な視点でこの問題を深く考えることなく差し当たって手元にある金を使い、問題を先送りしていたということでしょうか。また改装の恩恵を最も受けるのは、家賃収入が入ってくる開発公社の筈ですが、なぜ負担割合がこうなったのかは分かりません。伊勢丹の負担も少なすぎました。

5)バブル以後
 

バブルがはじけて以後長い不況が続き、吉祥寺の街の集客力も頭打ちになりました。テナントの家賃を値上げすることは難しくなり、エフエフの運営も更に厳しくなったようです。また、デパート業界では個人消費の冷え込みをもろに受け、売上額前年割れが常態化しています。伊勢丹吉祥寺店も例外ではなく、特に96年新宿高島屋がオープン、2001年に伊勢丹立川店がリニューアルオープンしたことの影響を受けたようです。
   エフエフの財務体質に危機感を持った役員(元助役)はいたようですが、何かの企画で当てれば急に収支が改善するといった性質の会社ではないので、経営のスリム化くらいしか打つ手はなかったようです。この頃もまだ土屋市長は自分が始めた事業ではないので、気楽に「再開発の失敗例」と口癖のように言うものの、エフエフの経営についてはあまり気にしていなかったようです。


6)伊勢丹からの突き上げ
  2002年( H14年)頃、動きがあったのは伊勢丹のほうからで、ずっと吉祥寺店の赤字経営が続いていることを理由に、撤退を匂わせながら、開発公社に対して「何か手を打ってほしい」という申し入れがあったようです。当然開発公社とエフエフは苦慮しました。もし伊勢丹が撤退するとなると、ネームバリューとしてこれ以上はないキーテナントを失うだけではなく、上述の受入保証金15億円の他に、受入工事保証金という名目で入店時に預かっていた13億円をも返済しなければならないという事情もあったようで、これは絶対に避けたいことでした。結局伊勢丹に対しては、2003年から5年間、家賃を30%値下げする(年約2億円ずつ、計10億円)ことになりました。
   保証金返還開始による財務状態のの悪化、伊勢丹への対応に加え、98(H10)年に行った建物の耐震診断の結果、補強工事が必要という結果が出て、その資金はどうするかという問題も発生していました。市長はこの頃になってやっとエフエフの経営に対して危機感を持ったのだと推測します。


7)エフエフ解散へ   
   耐震補強については、同時に外壁リニューアル工事もやるという話に発展しました。金額は全体で20数億円と見積もられました。
   伊勢丹からはエフエフの財務体力についての疑問も出ていたようで、開発公社はそれに応えてかどうか、2002年には市の専門委員(公認会計士)による「エフエフビル賃貸事業に関する経営診断」、引き続き別のチームによる「エフエフビルの管理運営に関する検討」を実施しました。その結果、エフエフには工事費の負債が重くのしかかっている外、撤退した店舗(店舗は減り続け、当初の70数店から20数店にまで減っていました)から買い取った固定資産を現在の評価で鑑定すると大幅な債務超過(約10.6億円)であること、近く運転資金にも事欠く事態になるということが判明しました(固定資産について実態を反映する十分な減価償却をしていなかったようです。このあたり専門的であまりよくわかりません)。

   このままでエフエフ破産となれば、出資金が返還されない(開発公社9,200万、伊勢丹4,700万、武蔵野市2,000万など)こともさることながら、武蔵野市の大幅なイメージダウンになるので何としても避けたかっただろうことは想像に難くありません。開発公社が吸収することが考えられましたが、 開発公社は財団法人のため株式会社そのものを買い取ることが出来ません(ということらしいです)。このため捻り出されたのが、開発公社が債務超過分を寄付金のような形で補填してエフエフの破産状態を解消させ、解散させた上で事業全体をそっくり継承するというシナリオだったようで、その通りの経過になりました。
   また近々始まる耐震補強(約11.6億円)と外壁リニューアル(約14.2億円)については、耐震補強については異例ながら市が負担、外壁については開発公社が負担することになりました。

   一連の処置の影響で、毎年剰余金を生み出してきた「超優良企業」といわれる開発公社も、さすがに積立金を少なくとも数年間は取り崩しをする他なくなり、2003(H15)年度末には15.7億円あった積立金(事業費積立金と減価償却積立金の合計)は2007(H18)年度末には5.1億円にまで減少させざるを得ないことも明らかになりました。しかし、このようなエフエフ解散へ向けての経理処理は、市民にも市議会にも全く報告されず、水面下で行われました。



・・・・・つづく


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   2004年12月23日(木)                                                                            
「鰍e&Fショッピングセンター」突然解散のナゾに迫る!(3)

8)エフエフの歴史をダイジェストでおさらいする 

   ここでエフエフビル開業から、エフエフショッピングセンター解散までをもう一度短く整理したいと思います。
1972(S47)年エフエフビル開業・・・  後藤市長の時代
エフエフビルは中に入る商店主など、多くの人の要望を取り入れて設計されて開業したが、当初の目論見通りが外れて、期待したようには売上げが伸びなかった。
1979(S54)年(株)エフエフショッピングセンターを設立・・・藤元市長の時代
空き店舗の整理統合、新たなテナントの誘致などビルの活性化、販売促進などのために開発公社、伊勢丹、武蔵野市、エフエフ商業組合などが出資して、(株)エフエフショッピングセンターが設立された。
1990(H2)年頃までに 大規模な改造工事を実施・・・以後土屋市長の時代
大幅な改造工事などにより売上げはある程度改善した。工事費用の多くは、エフエフショッピングセンターが伊勢丹から預かりいずれ返還する義務のある保証金15億円の中から支払われた。
2001(H13)年頃 伊勢丹が家賃値下げを要求
伊勢丹から毎年の赤字続きを理由に、開発公社に対して家賃値下げの要求があったこと、エフエフビルの耐震補強と外装リニューアルが必要になったこと、保証金返還開始時期が迫ったことなど、問題が重なってエフエフは窮地に追い込まれた。
2002(H14)年 財政状況の悪化が表面化・・・エフエフ解散へ
経営診断などの結果、エフエフは過去の工事費用や所有固定資産の評価下落などで約10.6億円の債務超過であることも判明、開発公社はエフエフの破産を避けるため、資金を投入した上で解散させた。耐震補強(約11.6億円)は開発公社の、外壁リニューアル(約14.2億円)市の費用負担で実施することになった。開発公社の財務状態は悪化する。

9)今回のことからわかった問題点 
@ 市は説明責任を果たしたか?
  今回もっとも問題なのは「ネガティブな情報をオープンにしない」市の体質です。以前、市の職員による「横領事件」の際も同様でしたが、ネガティブな情報について後ろ向きな姿勢は今でも変わっていません。
     ・・・このシリーズの最初(12/18)で書いたように、武蔵野市設立にも関わり、関係の深い会社(出資割合などについてはこちら)が解散するという出来事は、市が当然市民にキチンと説明しなければならない案件です。

   最近でも、ムーバスの新路線決定や吉祥寺シアター計画などの発表では、市長自らいろいろなメディアに登場して説明役をつとめています。しかし、一方で自慢にならないニュースは極力市民に知られないように内々で処理するという姿勢では問題です。ネガティブな情報こそ市民に対してオープンにして、なぜこのような結果になったのか、少なくとも上の8)で書いたような程度のことは発表して、問題点はどこにあったのかを明確に説明すべきだったのではないでしょうか。
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A 評議員会は十分機能しているか?
  潟Gフエフショッピングセンターの解散について、12月市議会で市長は「開発公社の評議員会でしっかり説明した(つまり説明責任を果たした)」と答弁しました。しかし、この評議員会というのは、市から市長と収入役、都議(1名)や商店街のまとめ役など「学識経験者」と称されている人たち4名、市議6名というメンバーで構成されており、傍聴もできない閉ざされた会議です。議事録は情報公開の開示請求しないと公開されません。年に数回開催される評議委員会はほとんどが1時間未満で終了しています。今回の「解散」が議題の際も殆どの市議の評議員達には寝耳に水のことだったようで、「解散という急な話でびっくりした」というのが正直な感想だったのではないでしょうか。
   都議を含め、議員である評議員は市に対して今回の解散について発表するよう促すべきでした。もし市や開発公社サイドが何もしないなら、市議会の場などで自ら何らかのアクションを起こすことを考えて当然だと思いますが、今日まで野党市議も含め、口を閉ざしたままです。市民から選挙で直接選ばれている議員には、行政機構の一員とは一線を画した役割が期待されているはずです。   















B 出資団体の役割・透明性は?

   潟Gフエフショッピングセンターの15人の役員の内、1/3以上は市役所のOBや現職の部長などが占めていました。今回の解散で、「超優良企業」であった市の出資団体である開発公社の財務状況が一挙に大変厳しくなった訳ですが、経営の継承は水面下で進みました。出資団体の経営をチェックする「理事会(ほとんどが市の現職の部長達と学識経験者)」と先述の「評議員会」も、この問題については、大きな役割を果たせませんでした。しかも、出資団体の役員や市派遣の職員は数年で交代のため、経営の実態は出資団体のプロパー職員だけが把握しているのが実体のようです。今回の問題でも市の専門委員である公認会計士が入って分析して、やっと問題点が表面化したと聞きます。これまでの監査がどうだったかも疑問です。
   今後、武蔵野市では出資団体が「指定管理者」として公的な施設管理を任せられるようになる方向です。出資団体の理事会・評議員会のあり方を改革して、もっと透明性を高めることが急務だと考えます。













C 伊勢丹を優遇しすぎでは?
   繰り返しになりますが、伊勢丹は吉祥寺のショッピング・ゾーンには欠かせない存在です。 吉祥寺に根を張って、ずっと営業を続けてほしいと願います。
   その伊勢丹から、吉祥寺店が赤字続きとして(決算書を確かめたわけではありませんが、ここでは一応そのまま信じるとして)、家賃値下げなどの交渉をもちかけられた時、 開発公社は圧倒的に不利な立場だったに違いありません。スタート時から立地条件の不利なこと、店舗面積が中途半端なことは明らかだった上に、撤退となれば街全体が大幅イメージダウンになるばかりでなく、多額な保証金の返済も迫られるからです。
   しかし家賃を5年間30%(約10億円)も値引きするとともに、次期の外装リニューアルも全て開発公社が費用負担するというのは正しいやり方だったでしょうか。私は譲歩しすぎだと思います。
   赤字続きが事実だったとしても、伊勢丹にも相応の責任があるはずです。独自の営業努力は十分だったでしょうか。またデパートが内外装をリニューアルするとなれば、「テナントであっても相応の金を出すのは商習慣として常識」と、業界の事情通からも聞きました。話は少し逸れますが、借地に店を建てて営業している吉祥寺の各商店では、ビルに建替える場合、地主のお寺から「建替え料」を請求されると聞いています。伊勢丹は過去の改造工事でも費用は僅かしか負担していません。今回のリニューアルでは耐震補強を開発公社の負担で、耐震改修部分は市や開発公社が持つとしても、外装リニューアル部分は主に伊勢丹の負担で行うべきだったのではないかと考えます。財政状況が厳しいからと、国民健康保険料を値上げしたり、保育園関係の予算を削ったりしている武蔵野市ですが、そういう中で大した議論もなく、10数億も支出することを決めてしまうことには納得できません。

   市の負担で耐震補強をすることになったことについて市長は、
  「市と関係の深いビルだから市の負担で実施する。以前の耐震規準はクリアしているが、安全性を高めるためにやる。他の民間ビルも続いてほしい」などと発言しました。
   採算性を厳しく問われる民間にはそんな余裕はなく、必要に迫られない限り、あとに続くケースは出てこないのではないでしょうか。
また、前述の「建替え料」のために、吉祥寺北口の商店街には築30〜50年の建物もざらで、建替えは全く進んでいません。行政として、伊勢丹だけを優遇し、「商店は自己責任でやれ」では公平性に欠けます。






   




















 


D  出資団体の剰余金の問題
  今回の調査の過程で分かったことですが(行政にとっては常識かも知れませんが)、出資団体が利益(剰余金)を出してもすべて繰越して再投資すればよいことになっているらしいということです。これは武蔵野市に限らず、全ての自治体について当てはまります。
   但し協定によって取り決めてあれば、自治体の収入として一部を還元させ税収の助けにすることも出来るようです。現に、出資団体とは違いますが、ムーバスについては運行収支で黒字が出た場合、その半分がバス会社から市に支払われる仕組みになっています。出資団体についてもそういう制度の導入を期待します。自分でももっと研究して、働きかけて行きたいと思います。










   今回のレポートは、事実に即して出来るだけ正確に記したつもりですが、資料の読み違い、解釈の間違いなどがあるかも知れません。お気付きの点やご感想などありましたらメールでお寄せ下さい。

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   2004年12月31日(金)                                                                            
 今年も今日で終わりですが、昨日は奈良女児誘拐殺人の容疑者逮捕のニュースが飛び込んできました。真犯人に間違いないようです。女の子は帰ってきませんが、ご家族や住民の皆さんは少しはホッとされていることでしょう。年内に解決できて奈良県警も面目を保ちました。それにしてもこの時期思い起こすのは、4年前の世田谷一家4人殺害事件のことです。何とか解決してほしいものです。

12月の一般質問では「エフエフショッピングセンター」の問題の他に二つのテーマ、
「防災対策とまちの安全の確保について」・・・取り分け個人住宅の耐震補強をどう支援するか
「市の事業のイラストなどのデザイナーの決め方について」

質問しました。内容について説明を加えたいと思いましたが、来年に持ち越しとなってしまいました。
  

ごく短く今年を総括する

   史上最多の台風上陸数、中越地震、そしてスマトラ島沖大地震津波と、災害の大変多かった年でしたが、同時に企業や組織の倫理が厳しく問われた年、早い話情報隠しやウソが次々にバレた年でもあったと感じます。
   コンプライアンス(法令順守)という言葉は相当浸透しましたが、中身が全く伴っていません。この議員日記でも「情報隠しは高くつく」「こんな会社は要らない」「責任感ゼロのトップたち」などと題して何度か取り上げました(4/45/2510/8)。
       
   ウソを言ったり、情報を隠したり、あまりに無責任だったり、対応が遅かったりした企業や組織を列挙してみます(順不同)。すぐにピンと来るものが多いと思います。

三菱自動車・三菱ふそう 浅田農産船井牧場 森ビル・三和シャッター
UFJ銀行 ハンナン 各地の温泉水質表示
北海道警など(報償費ごまかし) 三井物産 NHK
コクド・西武鉄道 大阪市役所カラ残業・ウラ年金 ドンキホーテ常習消防法違反
社会保険庁(ずさんな年金法改正案・数限りない年金額支給額間違い・不正随意契約・監修料詐取など) 道路公団(ハイカ・回数券不正使用見逃し・異常に多い社宅など) 北朝鮮

   個人ではナベツネ、海老沢勝二、堤義明、根来泰周(プロ野球コミッショナー)、橋本龍太郎、古賀潤一郎、金正日など。

   リストから漏れているものも多々あるかも知れません。とにかく日本中で企業にも個人にも無責任体質が充満していて、幻滅する人物、企業・団体が多すぎます。こんな中、強く印象に残り、多くの人たちに共感を与えたのは、ヤクルト古田選手の選手会長としての活躍くらいだったと思います。

   武蔵野市に目を向けると、重大な議案であった「第4期長期計画(10年間の市政の方向性を決める)」は、自民・公明・市民クラブなどの与党会派だけでなく、民主も賛成に加わり、市長が提案した中身がそのまま通りました。この議案が決着される過程を見て、市議会に対する土屋市長(6期)の影響力を改めて強く感じました。市長という立場は、市の情報をすべて手の内で管理でき、常に市議会に対して優位に立つことができるということです。

   長期政権である現市長の市政に対して、市議1人でどこまでやれるか大変厳しい状況ですが、自分なりのやり方で来年もチェックしていくつもりです。どうぞHPやレポートを通して、これからも活動を見守って下さるようお願いします。

   では皆様よいお年を。


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