武器輸出 なし崩し解禁

新防衛大綱 閣議決定

東京新聞(2004.12.11)

 政府は十日、新「防衛大綱」の閣議決定に合わせて、すべての武器輸出を禁止してきた「武器輸出三原則」を緩和し、ミサイル防衛(MD)関連部品の対米輸出に限って解禁する方針を決めた。政府は大幅解禁を見送ったかのように装いながら、MD以外の日米共同開発・生産など他の武器についても、将来的な輸出に道を開いた。なし崩し的に解禁していく思惑が見える。 (政治部・清水孝幸)

■勢い 国防族議員、財界が後押し

 「勢いがあるうちに解禁しないと、もう二度とできない」。新防衛大綱づくりが大詰めに入った十一月下旬。ある政府関係者は、武器輸出の解禁に強い意欲を示した。

 まとめられた政府原案も、(1)日米か米国を中心とする多国間の共同開発・生産(2)テロや海賊対策などを支援するための国際協力−にかかわる武器については、すべて三原則の対象から外す内容だった。

 この背景には、解禁への“追い風”があった。

 三原則の見直しをめぐり、自民党国防部会はテロ国家などへの輸出のみを禁じる新原則の制定を提案。日本経団連も異例の提言を発表、「一律の禁止ではなく、国益に沿った形で輸出管理、技術交流、投資の在り方を再検討すべきだ」と求めた。

 武器の共同生産でコストを削減できれば、装備を充実できると考える国防族議員と、防衛産業の国際競争力強化を目指す財界が手を組み、圧力をかけた。さらに、米戦略との一体化にひた走る小泉路線も後押しとなり、政府の担当者を強気にさせたのだ。

 だが、この原案は公明党に反対され、日の目を見なかった。新大綱への明記も見送られたが、「多国間」以外の内容はほぼ官房長官談話に盛り込まれ、「実」は残った。

■からくり ミサイル防衛以外にも道

 なぜ、政府原案が官房長官談話で生き返ったのか。それには「からくり」がある。

 自民党が三原則の大幅解禁を新大綱に明記するよう求めたのに対し、公明党はMD部品に限定し、官房長官談話にとどめるよう主張。公明党が示した妥協案が、MD部品以外に輸出解禁枠を広げる場合は、その都度、政府・与党で協議して政令などで対応するという方法だったのだ。

 自民党側も、これなら将来の大幅解禁に道筋を付けられると判断。しかも、「大綱に書くと、変更するには大綱を見直さないといけないが、官房長官談話ならいつでも変えられる」(国防族議員)と受け入れた。

 実際、官房長官談話には、MD関連部品以外の日米共同開発・生産やテロ・海賊対策支援のための武器についても、「案件ごとに個別に検討」と明記された。政府原案は形を変えて復活した。

■出発点

 そもそも、三原則の見直しの出発点は、昨年十二月のMD導入の閣議決定だ。

 新大綱では、米戦略との一体化を鮮明に打ち出した。米国との武器共同開発・生産にまで道を開いた三原則の見直しは、それを象徴したものだ。

 また、新大綱では、自衛隊の海外活動を付随的任務から、本来任務に格上げした。自衛隊の海外活動拡大路線に“お墨付き”を与え、事実上、自衛隊が海外で米軍を側面支援することを正当化する。

 さらに、国際社会との協力として、「中東からアジアに至る地域の安定はわが国にとって極めて重要で、関係各国との協力を推進し、地域の安定化に努める」と明記。米側は、在日米軍基地をこうした「不安定な弧」と呼ばれる地域の司令部とし、自衛隊との連携を強化する戦略を描く。

 今後、本格化する米軍再編の議論を先取りするかのような表現に、新大綱の「対米追従」色がにじんでいる。

(メモ) 武器輸出3原則 武器輸出に関する政府の基本方針として、1967年に佐藤栄作首相が国会で(1)共産圏諸国向け(2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向け(3)国際紛争の当事国または、そのおそれのある国向け−の場合に武器輸出は認められないと表明した。76年には三木内閣が、対象地域以外についても「武器の輸出は慎む」とした政府統一方針をまとめ、事実上、武器輸出を全面禁止。だが、米国からの強い要請を受け、中曽根内閣は83年、米国に対しては武器の「技術」に限って供与できると方針を修正した。