千恵はみなさんの周りにいるような、ごく普通の女の子でした。私が出会った時、彼女は23歳。安室奈美恵さんが大好きで、いつも似たような格好をしていました。歌やダンスが好きで、仕事が休みの時にはクラブに踊りに行ったり、ドライブに行ったり、旅行にいったり。「余命1ヶ月の花嫁」が放送されてすっかり有名になってしまいましたが、素顔の本人はどこにでもいる普通の女の子です。
私が彼女と交際を始めたのは2006年の1月。ちょうどその頃、左胸に乳がんが見つかり、闘病を始めました。千恵はとても頑張り屋で、抗がん剤を点滴した後の数日は吐き気に苦しむことが多かったのですが、「大丈夫だよ」と言うばかりで、つらいところは全然見せませんでした。心配をする私のことを気遣って無理していたのだと思います。
最初は抗がん剤が効いて、千恵も「このまま消えればいいな」と言っていたのですが、次第にうまくいかなくなり、闘病を始めてから半年くらいが経って左胸の切除手術を受けました。手術の前はやはり辛そうで、可哀想でした。落ちこんでいる様子を見て、私も何と言葉をかけていいか、とても悩んでいたのを覚えています。でも、手術の後はまた明るくて前向きな千恵に戻り、放射線治療を受ける頃にはすっかり元気になって、旅行に行ったり、ショッピングをしたりして楽しみました。
千恵のことをすごいなと一番思ったのは、手術後の頑張りでした。「システムエンジニアを目指す」と言って猛勉強を始め、本当にその目標を実現させました。私は「途中で投げ出すだろう」と思っていたのですが、その予想は良い意味で裏切られました。ドキュメンタリー番組の中では短いシーンだったのですが、千恵が頑張る姿を紹介してもらってよかったと思っています。治療に関しても、プライベートに関しても千恵は前向きで頑張る千恵に私も日々励まされる思いでした。
千恵の体に再び異変が起きたのは手術から半年後の2007年3月でした。千恵は毎月主治医の診察を受けていて、2月の診察でも「問題ないですね」と言われていました。なので、千恵から「肺がんになった」と連絡が来たときには「絶対そんなことはない」と思っていました。でも、がんは本当に転移していて、千恵はまた入院することになりました。3月は私の仕事が1年の中で一番忙しい時期で、なかなか千恵の側にいてあげることができませんでした。どうしてあの時ずっと千恵のそばにいてあげられなかったのか、と今もずっと悔やんでいます。入院したばかりの頃は「入院期間は10日くらい」と言っていたので、それほど深刻ではないのかと思っていましたが、お見舞いに行くたびに千恵の体調は悪くなっていきました。そして、再入院からまだ1ヶ月もたたない3月30日、千恵に残された時間を主治医に告げられました。
テレビの取材のことを聞いたのは、記者さんが来る前日の夜でした。千恵が「なんでこんなにいろんなことが起きるんだろう。私、闘病記の本とかできるよね」と軽い冗談で言った言葉を友達の桃子さんが聞き、取材してくれそうな人を探しているのは知っていましたが、まさか本当に取材が来るとは思っていませんでした。千恵が望んだことなので私も「いいよ」と言いましたが、実際は複雑でした。取材が始まった時は、テレビの取材には良いイメージがなく、放送を見る人たちの反応もとても心配でした。ただ、千恵が望むことは全て叶えてあげようと思っていたので、取材は受け入れることにしました。
インタビュー取材の翌日は結婚式でした。結婚式は「ウェディングドレスを着てみたい」という千恵の願いを叶えるためにみんなが協力してくれて実現できました。ウェディングドレスを着た千恵はとても輝いていました。体調もすっかりよくなって、まるで時間がとまったかのようでした。私は千恵が以前「こういうのかわいいな」と言っていた指輪を渡すことができました。みんな笑顔で、とても素敵な、思い出に残る式となりました。
結婚式の1ヶ月後、千恵は天国へと旅立っていきました。天国へ行く直前まで、千恵は自分らしく前向きに生きていました。痛みが無い時にはいつも笑顔を見せてくれました。何度も「太郎、ありがと」と言ってくれました。とても辛かったはずなのに、泣き言を言うことはありませんでした。最後まで千恵は私やお父さんや友達のことを気遣ってくれていたのだと思います。千恵がそうやって気遣ってくれたので、私は今も千恵の笑顔を思い出します。千恵には「気遣ってくれてありがとうね」と言いたいです。