1回生による琵琶湖周航
100年前のフィックス艇
明治26年(1893年)水上運動部が千鳥倶楽部と合同で最初の琵琶湖周航を始めて以来、120年を超える歴史を持つ伝統行事です。
1917年の琵琶湖周航で、小口太郎が「琵琶湖周航の歌」を作詞しました。
現在でも、毎年、夏休みの8月中旬、1回生が3泊4日の行程で琵琶湖周航を行っています。100年前、三高生の小口太郎が「琵琶湖周航の歌」を作詞した状況に相当します。当時は6月の休暇期間に琵琶湖周航を行っていたようです。
昔は「フィックス艇」と呼ばれる幅が広く頑丈な木造艇を6人で漕いでいたので、大きな波が立つ琵琶湖でも1周できました。しかし、1986年の琵琶湖周航中に、老朽化したフィックス艇の底が抜けて、周航は中断。翌年から、「ナックル艇」と呼ばれる4人乗りの練習艇を使うしかなくなりました。
ナックル艇での琵琶湖周航(2008年)
ナックル艇は、レースに使うシェル艇よりも安全性が高いものの、大波が立つ湖北までは行けず、琵琶湖大橋沿いに琵琶湖を横断する「琵琶湖半周航」になってしまいました。これが25年間続きます。
この状況を憂いたOB・OGの濃青会が、2011年に琵琶湖周航専用艇の「さざなみ」と「とまりび」の2艇を建造。25年ぶりに白髭神社や竹生島など訪れる「琵琶湖周航」が復活しました。後に「うみのこ」を加え、現在は3艇で琵琶湖を周航しています。= 資料を最下部の添付 =
琵琶湖周航専用艇「さざなみ」「とまりび」の進水式と、25年ぶりに訪れた白鬚神社(2011年)
現在も活躍する琵琶湖周航専用艇は、波をかぶって完全に浸水した状態でも漕ぎ続けられるように設計した不沈艇です。船型も競技艇のシェル艇に近いために速く、小口太郎が漕いだフィックス艇では夕暮れまでかかった行程を、昼前に漕ぎ終えるほどです。
1回生は、琵琶湖を漕ぎながら、また、琵琶湖周航を終えた時には肩を組んで琵琶湖周航の歌を歌います。