琵琶湖周航の歌」100周年記念音楽祭 (11月25日、京都大学)

「琵琶湖周航の歌」歌碑建立 (11月25日)

「琵琶湖周航の歌」について

♪ 歌のリンク ♪

100周年関連の新聞報道など

住民参加のなぞり周航 (6月24日〜27日)

びわ湖音楽祭 (6月30日、滋賀県有志主催)

1回生の琵琶湖周航 (8月中旬)

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ボート部員の本業はボートレースです。今は進級も大変です。部員に負担をかけないように、OB・OG組織の「濃青会」が当事業の企画をしています。

京大ボート部への直接の連絡はご遠慮ください。



戦後第1回目の琵琶湖周航。竹生島桟橋で昼食中の第三高等学校水上部員(1948年10月9日)



「琵琶湖周航の歌」について




原曲「ひつじぐさ」作曲の吉田ちあき(左)と作詞の小口太郎(右の写真、後列右端)



大正6年(1917年)に生まれた「琵琶湖周航の歌」は、2017年に100周年を迎えます。

第三高等学校水上部(現 京都大学ボート部)の小口太郎作詞、吉田千秋原曲。1917年に小口が歌の一部を披露し、1918年に完成しました。

琵琶湖周航を夏の行事として続ける京都大学ボート部のほか、大学関係者、琵琶湖周辺の市民らに歌い継がれています。

ボート部員は全員が肩を組んで歌います。最年長のコックス(舵手)が「琵琶湖周航歌 アイン、ツバイ、ドライ」と号令をかけ、歌い始めます。

京大ボート部員による琵琶湖周航の歌

われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや

波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か

瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく

矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと

西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心
語れ我が友 熱き心





「琵琶湖周航の歌」が誕生するまで


明治13年(1880年)第三高等中学校が初めて艇を堂島川に浮かべる

明治22年(1889年)第三高等中学校が大阪から京都に移転

明治23年(1890年)琵琶湖疎水完成

明治25年(1892年)第三高等中学校の壬辰会に陸上運動部、水上運動部、ベースボール部、弓道部等成立

明治26年(1893年)水上運動部が千鳥倶楽部と合同の最初の琵琶湖周航、水上運動部第一回競漕大会開催

明治27年(1894年)第三高等中学校が第三高等学校と改称

明治30年(1897年)京都帝国大学創設

明治31年(1898年)3月 京都帝国大学に運動会成立。「庭球、弓術、野球、及之に属せざるものの四部」とする。

明治37〜38年 日露戦争

明治39年(1906年)3月 短艇部(直ぐ後に端艇部)設立。運動会規則を改正し、「第一部は庭球及び野球部、第二部は弓術、撃剣、柔道部、第三部は短艇及び水泳部」とする。第一回水上大会開催

大正6年(1917年)6月 三高水上部の琵琶湖周航の際にクルーの一員の小口太郎が今津の宿で「琵琶湖周航の歌」を披露