坊津・秋目から笠沙方面へ向かう国道226号線の右端に、神代の遺跡があります。
笠沙の町名の由来となった「阿多の笠沙の岬」は、古事記や日本書記に出てくる地名で、現在の笠沙半島を指すと考えられています。
古事記・日本書記によると、ニニギノミコトはある時に笠沙の御前(ミサキ)で麗しき美人に出会い、その名を尋ねると大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で神阿多都姫(カミアタツヒメ)、またの名を木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と云い、この姫を妃に迎えることになります。
やがて二人の間には三人の息子が誕生し、長子は火照命(ホテリノミコト)と云い隼人の阿多君の祖となり、末子は火遠理命(ホオリノミコト)、またの名を天津火高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)と云い天皇家の祖となったと伝えられており、ここ宮ノ山は皇孫発祥の大ロマンの可能性を秘めた実に神聖で由緒ある地とされています。
また、南さつまには、木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)をはじめ、海幸彦・山幸彦(ウミサチヒコ・ヤマサチヒコ)の生誕を伝える伝承の地もあります。
意外と辺鄙な山の中にある宮ノ山遺跡
山中に在るドルメン・宮ノ山遺跡の説明・草生した中に在る住居跡表示
ドルメン: 巨大な石を組み合わせて机形に構築した高貴な方や氏長の墳墓でテーブルストーンとも云います。
薩摩川内市・霧島市・鹿屋市・南さつま市 4市官民が準備会
「神代三山陵」の可愛〔えの〕山陵(薩摩川内市)、高屋〔たかや〕山上陵(霧島市)、吾平〔あいら〕山上陵(鹿屋市)と、南さつま市の笠狭宮〔かささぐう〕跡を日本遺産に登録しようと、4市の官民関係者が4月18日、準備会を立ち上げた。 令和時代の始まりに合わせて、鹿児島に集積する ”神話遺産” の認知度を上げ地域活性化につなげる狙いで、来年度の認定を目指す。
2019年4月24日 南日本新聞より転載
新聞掲載記事(2019.04.24)
清掃なった宮ノ山遺跡の入口
沖秋目島と神々の渡来の地とされる黒瀬海岸。
海上に浮かぶ沖秋目島〔別名:枇榔(ビロウ)島〕と、雨風に耐えて逞しく生きるヤシの木と枇榔の木。(素晴らしい景観がご覧頂けます。)
遥かに続く野間半島と、野間半島全景。
枇榔(ビロウ)島沖に沈む夕日(この界隈で眺める夕日は、いつも素晴らしいです。)
まるで時が止まった様な、神代の時代を偲ばせる光景に出会える場所です。