我が家周辺の風景

  我が家の近くに広さ約60ヘクタールの台原森林公園があり、四季折々の自然風景が楽しめます。    園内には一周2.8Kmのジョギングコースのほかに森林を縫っていろいろな散策コースがあります。    また、公園広場、アスレチック広場、野外音楽ステージ、彫刻の広場、あづまやなども設けられ、地下鉄旭ヶ丘駅のほか科学館や文学館など仙台市の主要な文化施設とも隣接しています。    最近に撮った写真の一部をご紹介致します。

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我が家近くの小高い丘に立ち、町内を一望出来ます。 我が家から約100mの距離にあります。 樗牛は二高時代(当時は第二高等中学校)に下宿先の美しいお嬢さんに恋をする。彼女にはすでに婚約者があり、所詮はかなわぬ恋であった。悲恋に終った傷心の樗牛は、心の憂さを晴らそうと台の原を逍遥し、松の根方で天を仰ぎ瞑想にふけったといわれ、この老松の呼び名が生れたという
我が町のシンボル、樹齢二百年の一本松です 我が家近くの高山樗牛ゆかりの「瞑想の松」です。
台原森林公園の一角に聳える地上31階建ての超高層マンションです。 旭ヶ丘駅は仙台駅から市営地下鉄南北線で6駅(約10分)の台原森林公園に面したモダンな半地下式の駅舎です。 公園口広場では時折フリーマーケットなど地域の各種イベントが開催されて大賑わいをみせます。

仙台文学館裏庭よりタワーマンションを望む

地下鉄旭ヶ丘駅の公園口広場

地下鉄旭ヶ丘駅から森林公園旭ヶ丘広場に向かう途中にあって、桜の季節には市民の憩いの場になっています。 美しい芝生の中に十数基の鳥(きじ、はと、孔雀など)の彫刻が並べられ、市民の憩いの場所になっています。

森林公園旭ヶ丘広場付近の桜並木

小さな彫刻が列べられている「憩いの広場」

銀色の大きな現代建築の仙台市科学館は、台原森林公園の園内にあります。 生活系・自然史系・理工系の3つのコーナーから構成される館内は、実際に「見て、聞いて、触れて」を体感できる新しい科学館です。 地下鉄旭ヶ丘駅から徒歩4分の位置にあり、小・中・高校生などに学習の場として人気を博しています。 佐藤忠良氏は明治45(1912)年、宮城県に生まれ少年期を北海道で過ごしました。ロダン、マイヨール、デスビオなど新しい生命主義の作品に惹かれて彫刻家を志し、昭和9(1934)年に東京美術学校彫刻科に入学。卒業の年に本郷新、柳原義達、舟越保武らとともに新制作派協会彫刻部を創立。以後、現在まで東京で創作活動を続けています。 一貫して塑造による具象表現の道を歩み、ブロンズに鋳造される作品の殆どは人間像で身近な人物たちをモデルにした生命感みなぎる頭像、清新な女性像、純真無垢なこども像です。 氏は現代日本の具象彫刻を代表する作家で、その作品は欧米など海外でも高く評価されています。

旭ヶ丘広場に隣接する仙台市科学館(裏側)

旭ヶ丘広場より彫刻(「佐藤忠良作「緑の風」)を望む

佐藤忠良作のブロンズ像「緑の風」は、昭和53(1978)年にこの場所に設置されました。 階段上の見晴らしの場所に建てられていて、そこから台原森林公園内の旭ヶ丘広場一帯を見下ろすことができます。  旭ヶ丘広場に六角形をした花壇(植え込み)が五つ配置され、広場にアクセントを添えています。 階段上から見下ろす花壇は、幾何学的な美しさとともに季節に応じて彩りが変化して一層の美しさをみせています。

彫刻、「緑の風」の位置より見た森林公園

階段上より旭ヶ丘広場を望む

「牧歌」は作者の絶作となった作品。 不治の病と闘いながら最後は入院先から外泊許可をとって作品制作に精魂を傾け、粘土原型を完成させてから不帰の客となった。 作品のモチーフである葡萄を持つ少女と山羊を題材とした構成は作者が永年にわたり熱く棟に温めてきたものだという。 一周が2.8Kmのジョギングコースの一部です。 この付近の右側に流れる谷川を利用し、昔のようにホタルやメダカを取り戻そうとする計画が旭ヶ丘町内会を中心に積極的に進められています。 昔のこの地域は自然に恵まれていましたが、公園化や周辺地域の住宅によって失われたホタルやメダカを復元しようと「ホタルの里」の実現が期待されています。

上越市出身、岩野勇三作「牧歌」(旭ヶ丘駅公園口)

森林公園ジョギングコースの風景(1)

一周が2.8Kmのジョギングコースの一部です。 旭ヶ丘より進み森林公園台原広場近くの風景です。 一周が2.8Kmのジョギングコースの一部です。 この前方に仙台文学館へ向かう小径が分かれています。

森林公園ジョギングコースの風景(2)

森林公園ジョギングコースの風景(3)

一周が2.8Kmのジョギングコースの一部です。 落ち葉が降り積もったクッションが心地よく感じられます。 一周が2.8Kmのジョギングコースの一部です。 この付近の高台にアスレチック広場があって子供達の歓声が響きわたっています。

森林公園ジョギングコースの風景(4)

森林公園ジョギングコースの風景(5)

ジョギングコースから分かれて仙台文学館に向かう散策コース「あかまつの道」の一部です。 ジョギングコースから分かれて仙台文学館に向かう散策コース「あかまつの道」の一部です。 文学館裏庭の入り口付近です。

散策コース「あかまつの道」(1)

散策コース「あかまつの道」(2)

舟越保武氏は明治45(1912)年、岩手県に生まれ旧制盛岡中学を経て昭和9(1934)年、東京美術学校彫刻科に入学。同級生に佐藤忠良氏がいました。卒業の年に佐藤氏らとともに新制作派協会彫刻部創立に参加。 昭和25(1950)年に盛岡カトリック四ッ家教会で洗礼を受け、その後は一貫してカトリック信仰を作品の中心課題に据え人間の内面を凝視した崇高で清潔な作風を確立しました。昭和37(1962)年に完成まで5年の歳月をかけた「長崎26聖人殉教者記念像」で高村光太郎賞を受賞したのをはじめ島原の乱に着想を得て10年がかりで制作した「原の城」は昭和48(1973)年にローマ法王パウロ6世から「大聖グレゴリオ騎士団長勲章」を授与されるなど国内外で高い評価を得ました。 氏は東京芸術大学教授、多摩美術大学教授を経て昭和61(1986)年に東京芸術大学名誉教授になった翌年に脳梗塞で倒れましたが退院後も左手でデッサンや彫刻に取り組み平成11(2001)年に文化功労者に選ばれました。しかし今年2月5日に帰天され享年89歳でした。 台原森林公園の旭ヶ丘広場に隣接する大池にはカルガモやクイナなどの水鳥や魚が生息し、初夏の頃に美しい睡蓮の花が水面を飾ります。

台原口広場の彫刻・舟越保武作「茉莉花」

旭ヶ丘広場の池に咲きはじめた睡蓮

台原・小田原丘陵には西の堤町・台原付近から、東の東仙台・燕沢地区にかけて古墳時代から平安時代までの多くの窯が造られ、「台原・小田原窯跡群」として知られています。台原森林公園周辺の丘陵斜面に造られ平安時代の瓦や須恵器を焼いた五本松窯跡群もその一つです。これまでの発掘調査で17基の窯跡が見付かっていますが、形態は全て半地下式穴窯です。ここでは平瓦のほか、細弁蓮華文、歯車文・陰刻花は貞観11(869)年の陸奥大地震により倒壊した陸奥国府多賀城や陸奥国分寺・尼寺の復興瓦として使われました。 地下鉄台原駅から住宅地へ延びる市道で、台原方面より旭ヶ丘方向を見た風景です。

台原口広場近くの五本松窯跡群(平安時代の遺跡)

我が家付近の市道風景

地下鉄旭ヶ丘駅の地上部で、駅周辺にはバスターミナル、市民センター、青年文化センター、仙台市科学館などの公共施設が集中しています。 地下鉄台原駅から住宅地へ延びる市道で、旭ヶ丘より台原方向を見た風景です。 前方の緑は台原森林公園で、高層ビルはタワーマンションです。

地下鉄旭ヶ丘駅入口付近

街路樹の緑が増す我が家付近の市道


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