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江戸川乱歩の美女シリーズ(18話~21話) | ||||||||||
テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」
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年の瀬の地元紙に「政府は、防衛産業の基盤強化に向けた「国家防衛産業戦略」(仮称)の策定に向け、来春にも有識者会議を設置する方向で調整に入った」なる記事が細々と掲載され、翌日の大晦日には安保法制違憲訴訟の本県原告団の上告断念が大きく報じられて年が明けた最初に観たのは、『化粧台の美女』。 美容師をヘアドレッサーという言い方は今ではもう聞かなくなった気がするが、最初から怪しかった黒柳医師(山本學)に加えての一色令子(萩尾みどり)は想定通りながら、横堀昆虫研究所所長(中尾彬)の位置づけは、やや意外だった。ターゲットになっていた社長山際大造(中村音弥)の秘書中島や令子のアシスタント美奈子ことアキラ(松原留美子)の配置には工夫が窺えたけれども、浴槽で毒殺されるホステス岸田マキの使い方が、志麻いづみを配しながら出番が少なく、いささか勿体なく感じられた。 明智小五郎(天知茂)が二度も変装術を使うのは思い掛けなく、やや反則気味だったが、けっこう面白く観ることができた。原作の『蜘蛛男』は、たぶん未読だと思う。脚本は、第16作『白い乳房の美女』と同じ宮川一郎だった。 第19作『湖底の美女』では、犯人はきっと、画家の陽水(高橋昌也)のモデルゆかり(松原千明)だろうと思いつつ、これでは遺産相続が叶わないだろうにと訝しんでいたら、遺産争いは釣りネタで動機が別のところにあるばかりか、主犯は彼女ではなく、してやられた。原作の『湖畔亭事件』は例によって未読で、脚本は前作に続き、宮川一郎だった。 明智がゆかりにだけ霧ヶ峰登山を告げたので、やはり犯人は彼女だったなと確信したのだが、その犯行動機となった事件の顛末や心臓の弱った陽水にショックを与えて死期を早めるべく愛娘の陽子を生贄にして全裸の絞殺死体を巨大水槽に沈めて晒しものにしたりする趣味の悪さは、あまり後味のいいものではなかったように思う。 弟子を使って後妻の忍(野川由美子)の弱みを握り、有利に離婚を果たしたうえで、ゆかりを篭絡しようと狙っていたと思しき陽水をはじめとして、忍と通じて陽水の遺産をせしめようと企てていた上村弁護士(平田昭彦)にしても、陽子を篭絡して陽水の後継者の位置を狙っていた野崎(伊東達広)にしても、陽水の弱みを握ってたかり続けていた画家の加賀(草薙幸二郎)にしても、ろくでなしの揃い踏みだっただけに、犯人の已む無き想いに対してもう少し同情を持ちやすい犯行にしておけばよかったのにと思ったりした。 それにしても、白樺湖畔のホテル山幸閣には、当時、あれほど巨大な水槽を設え、山中の湖畔で「マリンガールによる水中ダンスショー」を見せるなどという、いかにもバブリーなアトラクションをやっていたのだろうかと仰天したが、エンドロールに同ホテルに加えて、大洗水族館とクレジットされたので、巨大水槽はホテルの施設ではなかったようだ。 第20作『天使と悪魔の美女』の監督は、19作撮って行ってしまった井上梅次を継いで登場した村川透だった。タイトルが現われる前の序章部分での猟奇趣味と倒錯性において攻めまくっていた画面に高い気合が感じられたが、本編もまた筋立てなどお構いなしのエロが、資産家の青木愛之助(中村嘉葎雄)の地下コレクションよろしく繰り広げられていて恐れ入った。なにせ明智小五郎を演じる天知茂までもが上半身裸に剥かれて縛りつけられ、女医の三田村アキ(鰐淵晴子)から蠟涙を垂らされ、苦悶していた。結果的にとはいえ、明智が殺しをやってしまう話は、本作だけなのではなかろうか。原作として示されていた「白昼夢」は僕の書棚にもあるが、文庫本で僅かに7頁の短編で、本作に現れる青木の地下コレクションの一体に過ぎない蠟人形と青木の姪カオル(美保純)の切断された両腕に施された屍蠟の部分に繋がるだけで、とても原作と言えるようなものではなかったが、屍蠟なればこその明智への蝋燭責めとなったのかもしれない。脚本もまた初登場の女性脚本家篠崎好によるものだった。 美保純の登場により、このシリーズの売り物であるヌードは専ら彼女が担うものと思いきや、青木の妻芳江を演じた高田美和が、ベッドで浴室でと第17作『天国と地獄の美女』での叶和貴子を彷彿させる頑張りを見せていて驚いたが、思えば彼女も未見のロマンポルノ『軽井沢夫人』['82]が話題になっていたことを思い出した。 前年の正月特番作『天国と地獄の美女』と同じく二部構成になっていて、第一部「黒髪の麗人」、第二部「エロスの白い肌」とによって、月の女神たる芳江と夜の女王たるアキとの間で痴戯に耽る青木の資産家道楽が披瀝されるわけだが、妻を他の男に抱かせての覗姦であれ、ショービズ時代に妻と因縁のある女医を主治医にしてのSMプレイであれ、アキとカオル、アキと芳江のレズプレイであれ、乱歩シリーズに相応しい性倒錯場面満載の一作になっていたように思う。唯一人、裸身そのものはボディダブルだった鰐淵晴子が美保純の裸体をなぞる唇をアップで追った場面の妖しさは、なかなかのものだったように思う。口元に目立つ黒子からしてボディダブルではない気がしたが、どうだろう。また、黒薔薇を送りつけられて脅えるカオルの着ていたベビードールのあまりにチープでケバいデザインに噴き出した。四十年前には、あのようなものが流行っていたのだろうか。思い出せない。 第21作『白い素肌の美女』は、二十三年前に観賞した“増村保造映画祭”の映画日誌に「ひとつの頂点としての『盲獣』」という項を起こして言及した『盲獣』を原作とし、第17話『天国と地獄の美女』で圧巻の存在感を発揮していた叶和喜子が再登場しているとあって自ずと期待が募ったが、ボディダブルでお茶を濁していた有様が端的に示していたように、増村作品には及びもつかない半端な作品だったように思う。 前作の第20話同様に、監督は初登場の長谷和夫だったが、奇しくも前作で言及していた叶和喜子の再登場なのに、前作の高田美和の気合に及びもつかない体たらくに、正月特番という枠の差か監督の力量の差かは判然としないものの、大きな違いだなと思わずにいられなかった。脚本は、前作と同じ篠崎好。 それにしても、佐藤まさあきの劇画に現れそうな怪異なる容貌の山野文化学院理事長 山野五郎(田中明夫)を得ていながら、その複雑な家族関係を抱えた怪しき苦衷をうまく活かせてなかったように思われる人物造形が残念だった。圧巻の増村作品の存在ゆえに分が悪くなるということがあるとは思うけれども、そもそもマッサージ師の宇佐美鉄心(中条きよし)が隻眼であって盲目ではないとは一体どういうことかと呆れ返った。それでは盲獣にならないとしたものだ。 イメージ的に、桜の木の下に死体が眠るようにピアノの中には死体が隠されているとしたものではないように思ったが、久しぶりのマネキン登場は、僕が再見し始めた本シリーズの原点回帰のように感じられて面白かった。前作との連関という点での核心は、屍蠟の手足ということになるのだろうか。そして、切断された両脚だけの発見に対して、報じる新聞の見出しが「ここまで来た異常心理 美女の両脚 空を飛ぶ」となっていたことが可笑しかった。脚しか発見されていないのに美女とは如何に、というわけで、昔から商業メディアの煽り文句は笑止千万なのだが、週刊誌見出しでは常套でも、新聞では、このような見出しはつけなかったはずなのに、と思わずにいられなかった。 | ||||||||||
by ヤマ '25. 1.1~23. BS松竹東急録画 '25. 1.24. CSファミリー劇場録画 | ||||||||||
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