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江戸川乱歩の美女シリーズ(17話) | |||||
テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」
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シリーズ観賞六作目にして遂に原作既読の作品を観ることができた。しかも『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』['69]の映画日誌に記したように乱歩作品のなかでも特に気に入っている『パノラマ島奇談』を、新春特番の拡大枠で製作し、菰田千代子を演じた叶和貴子が惜しげもなくすっぽんぽんになっていると斯界の先達たる先輩から煽られていた作品で、楽しみにしていたものだ。 のっけから数多の女性によるトップレスの大盤振る舞いで始まり、人見広介(伊東四朗)が営む原作小説にはなかった工房には、またもやマネキンが配されていてニンマリした。石井輝男版の映画化作品では異常性愛路線にシフトしていた奇談が、大野雄三(小池朝雄)が教祖の薔薇密教なる妖しげなカルト教団の登場も含めて、エロスとカネへの妄執という、異常とは対照的な“卑近”に寄った形で構成されていたように思う。二部構成としたタイトルの第一部「カラスの化身」、第二部「エロスの園」そのものが、その意匠を明示していた。脚本は『エマニエルの美女』に続き、ジェームス三木。 山林王が長者番付に載るなどというのは一体いつの時代のことかとなる原作は、昭和二年の作品なのだが、かような作品の原作になる破天荒な妄想的人造世界を百年近く前に構築していた江戸川乱歩に恐れ入る。「かようにして、人見広介の五体は、花火とともにこなみじんにくだけ、…おのおののけしきのすみずみまでも、血潮と肉塊の雨となって、降りそそいだのでありました。」(春陽文庫P127)で終える原作と同じエンディングに持って行っていた『恐怖奇形人間』とは異なるラストとして、花火になって散華するのが菰田源三郎(伊東四朗)の妻だったのは『エマニエルの美女』にも通じる趣向で、ジェームス三木の好みなのかもしれない。 妻の美貌と肢体を資産的価値として愛でる夫に対して「私は材木や土地と同じ」と零していた千代子の満たされていなかったものが単に性とカネに対する欲求ではなかったところがミソで、卑近とも普遍的とも言えるところだったように思う。また、パノラマ島を彩る大勢の裸女たちの調達方法をカルト的性教団の信者と大麻の中毒患者としていたところは、成程の工夫だと思ったりした。しかし、完全地下構築なら、原作に言うところの「どうして…直接大自然そのものを楽器とし、絵の具とし、文字として駆使しないのでありましょう。」(P8)との、“表現行為たる芸術に対する挑発”の部分が台無しになってしまう気もした。 それにしても、人見広介の妻に宮下順子を配し、カルト教団の教祖と密通する妻を演じさせながら、一度たりとも裸身を覗かせず、専ら叶和貴子のボディダブルを使わない滑らかなカメラワークを繰り返し映し出していた対照に大いに意表を突かれた。なにせ着衣の宮下順子と全裸の叶和喜子が格闘するという実に凝ったというか転倒した、大いに意表を突く場面もあるくらいだ。先輩からの教示により楽しみにしていた叶和貴子は、とても美しかった。奥ゆかしげな面立ちそのままに胸のほうも小振りで似合っていたが、伊東四朗【菰田源三郎というか人見広介】にも天知茂【明智小五郎】にも迫る毒婦ぶりが宮下順子の演じた人見英子以上ながら、哀しみの色も射していて、なかなかのものだったように思う。 | |||||
by ヤマ '24.12.25. BS松竹東急録画 | |||||
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