『秋が来るとき』(Quand Vient L'automne)['24]
『私がやりました』(Mon Crime)['23]
監督・脚本 フランソワ・オゾン
監督 フランソワ・オゾン


 これまで8人の女たちスイミング・プールしあわせの雨傘『危険なプロット』17歳と観てきているオゾン作品は、二十一年前に観た『スイミング・プール』['03]の日誌に僕は『ホームドラマ』も『まぼろし』も未見だが、『8人の女たち』を観て、オゾンの悪趣味みたいなものに些か辟易とするところがあり、しかもその悪趣味を巧妙にソフィスティケートしているところにクレバーなイヤらしさを感じて苦々しく思っていたのだけれども、今回はさらに巧妙さの度合いが増していて、ある意味、その達者さには呆れつつも感心したと綴っているように、あまり好みの作り手ではないながら、『秋が来るとき』は素晴らしいと思った。

 何かとんでもないことが起こりそうな不穏な空気の漂う緊張感が途切れることなく、とんでもないことが起こっても大事件にはならず、むしろ日常のほうが不穏であり且つ人間関係に奥深い妙味があることに触れるという、普段なかなかお目に掛かれないテイストの映画だったように思う。

 中学生以下と思しき孫息子ルカが産まれる前に辞めたと女警部に語っていた娼婦稼業を老ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)が続けていたのは、いったい幾つまでだったのだろう。チラシには80歳のミシェルが過去の自分と向き合い、赦し合う。との惹句が記されていたが、四十路にあると思しき娘のヴァレリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が成人してもなお続けていたようには思えない気がした。

 それにしても、強烈な個性だった。自他に区別なく不都合なことを“水に流して”追いやる日本的な処世スタイルと対照的な、自分事に関して“なかったことには決してしない”とともに、他人事はみだりに暴かないというタフで誇り高い西洋的な処世スタイルは、今や日本と西洋の両方ともで喪われてきているように感じるが、僕が若かりし頃、後者に惹かれていたことを改めて思い出させてくれるような作品だった。

 ミシェルの負っていたものの重さにたじろぐとともに、娼婦仲間だった親友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)の息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)が前科者になったのは、ミシェルの言っていた若気の至りとしてのヤンチャなどではなく、ルカが受けていたような侮辱とイジメからヴァンサンがしてやったような庇護を受けられなかったからなのだろう。母親を愛せないことに独り涙しているようだったヴァレリーの負っていた重荷が哀れで痛切だった。ある意味、ヴァンサンは前科者になって母親を苦しめ、迷惑をかけたお陰でヴァレリーのように“母親を愛せない自分”に涙する羽目にはならず、年端もいかないルカに僕はきちんと参列したよと励まされるくらい母親の急死を悲しみ、ダメージを受けていた。ヴァレリーとヴァンサン、ともに元売春婦の母を持つヴァのつく二人の子どもにおいて、より幸いだったのは、どっちなのかが沁みてくる描き方だったように思う。実に是非もない話だったような気がしてならなかった。

 そのうえで、匿名通報があったとして女警部が再捜査の事情聴取に訪れたとき、出産も終え母となっていた警部は、ミシェルの偽証には気づいていたのではないかという気がした。そして、おそらくは事情を知らされてはいないであろうルカにとっての今現在がどうなのか、を量ってスルーすることにしたような気がした。そしてそこに、情ではなく見識の高さを感じて、昨今の幼稚な大人ばかりになってきていると見受けられる社会へのメッセージを受取った。

 マリー=クロードが今わの際でヴァンサンの件についてミシェルに告げる場面では、思わず言ってはいけない。墓場まで持っていけと思ったのだが、よかれと思うことが大事なのよとのミシェルの言葉に心打たれた。瀕死の彼女への救いの言葉として、これ以上のものはない気がしたし、ミシェルの偽らざる想いでもあったのだろう。こういう作品を撮るように熟してきているのなら、『私がやりました』['23]も追って観なくてはという気になった。

 大人になったルカがキノコは好物だという意味深な台詞を配していたのが玉に瑕だったように思うが、そのことにあざとさを感じながらも気に障るには至らなかったことを以てしても、僕にとっては画期的な気がした。そして、遠い山なみの光の悦子は、娘ニキの子を得て、ルカを得たミシェルのような救いが得られる顛末に至るのだろうかと思ったりした。

 それにしても、ヴァレリーを演じていたのが『スイミング・プール』で眩しい肢体を強烈に印象づけていたリュディヴィーヌ・サニエだったことに驚いた。あれから二十年経つわけだ。


 その『秋が来るとき』にめっぽう感心した勢いのままに観た前作『私がやりました』のタイトルは、まるで四十年前のキング・オブ・コメディ['82]で誘拐・監禁を犯したルパート・パプキンのように、殺人を問われたがゆえにスターになった元売れない女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)に対して、真犯人を名乗るオデット(イザベル・ユペール)が叫んだ台詞から取られたもののようだ。『秋が来るとき』には及ばぬものの、まずまずの面白さだったように思う。

 舞台劇が原作であることを告げるかのようにステージ幕が上がって“スイミング・プール”が現われて始まる殺人事件に、“#MeToo”運動以降の映画らしく1935年当時の演劇界のセクハラ事情を描いた作品かと思いきや、登場した尽くの男たちのろくでなしぶりには及ばずとも、対象が性行為ではないだけで、女たちの欲望に対する手段を択ばぬ苛烈さをコメディタッチで描き出した皮肉の利いた映画だったように思う。

 1935年当時の30万フランがいくらに当たるのか知らないが、ざっとしたところで今の数億円になるらしい。大金を手に入れること、名が知られ注目されること、そういったことに大して関心のない僕には思い及ばないが、皆さん実にエネルギッシュだった。九十年前も今も人は変わらぬということか。劇中に現れたビリー・ワイルダー監督の『ろくでなし』(Mauvaise Graine)がどういう映画なのかは知らないけれども、まさしく“ろくでなし”たちを描いていたように思う。セクハラプロデューサーのモンフェランや愛人契約を良案として提起するアンドレなどは、ある意味、ステロタイプなのだから驚くにはあたらないが、目を惹いたのは、実にトンデモ予審判事のラビュセ(ファブリス・ルキーニ)だった。

 この“御粗末な思い込みのみで事件の早期終結が図れると思っていた判事”の呆れるほどの馬鹿さ加減は、部下の記録係トラピュが失笑する程のていたらくなのだが、この手の者が大川原化工機冤罪事件を引き起こしたのだろうと思うと笑うに笑えないと同時に、司法関係者でなければ、実際この手の人物が巷間溢れていることを、ある種の衝撃とともに露わにした感のあるSNS社会を皮肉っていた気もする作品だった。そのような観点から思い返すと、もう一人の際立った人物がいて、それがミソジニーに近い女性蔑視を露わにしていた検察官だったような気がする。

 権力という桁外れの力を手中にすると本性が現われると言わんばかりの検察官の醜態だったが、これまた市井には実にこの手の人物が数多いることをネット社会が浮き彫りにしている気がする。むろんネット環境は、ビジウヨのようなインプレ稼ぎに踊らされた、只の伝聞と調査報道の区別もつかないネット民たちがオールドメディアと呼ぶマスメディアと大差ないほどに、偏狭な情報過疎をアルゴリズムによって来すものなのだから、皆人がそうだとは決して思わないけれど、少なからぬ人々がという点では紛れもないような気がしている。1935年という時点を借りることでカリカチュアライズして現出させていたと思う所以だ。

 アンドレの父が私は善悪の感覚を失いつつあると洩らしていた台詞が印象深く、ラビュセ予審判事が言っていた大事なのは公正さではなく正義(誰のための?)だ。この二つは違う。との台詞が九十年後の現在を撃つ言葉として響いてきた。

by ヤマ

'25.10. 1. キネマM
'25.10. 3. DVD観賞



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