『青春の殺人者』['76]
『十八歳、海へ』['79]
監督 長谷川和彦
監督 藤田敏八

 今回の課題作には、中上健次原作の'70年代映画が並んだ。先に観たのは、『青春の殺人者』。製作翌年の'77年だから四十七年前になる学生時分に、大塚鈴本キネマで『さらば夏の光よ』大地の子守唄との三本立てで観て以来となる再見だ。長谷川和彦作品では、二年半前に再見した太陽を盗んだ男['79]のほうが数段いいと思っていた僕だが、ここまでつまらなく感じるとは思わず少々驚いた。原作の『蛇淫』は今なお未読のままだ。

 尾﨑士郎の『ホーデン侍従』から引用してケイ子(原田美枝子)が口ずさむペニス笠持ち ホーデンつれて 入るぞヷギナの ふるさとへと、彼女の眩いまでもの裸身のほかには、さっぱり響いて来なかった。斉木順(水谷豊)の呆れるほどに無思慮で発作的な気分屋加減に苛つき、取って付けたような幾冊もの大学受験ラジオ講座に気が削がれた。ところで僕は…のリフレイン、ケイ子が口から洩らしていたイチジクの汁を思わせる涎や終盤の順の涙にも、げんなりしてしまった。

 斉木親子は、順のみならず父親(内田良平)も母親(市川悦子)もろくでなしで、とても自分の楽しみのためなら千円と使ったことがないんだから温泉どころかヘルスセンターへだって行きはしなかったと言うように地道に働いてアイスバーの行商から身を立て、自動車整備業を営む工場を構えて、息子にやらせるスナックまでも所有する分限者になった夫婦とは思えぬ有様で、なんともチグハグ感が否めない。

 公開当時、どのように映ったのか、当時の日記を開いてみたが、久しぶりに映画を観たとして、題名を記しているのみだった。『さらば夏の光よ』がとても好かった覚えがあるものの『青春の殺人者』はちっとも響いてこなかった記憶がある。すると旧くからの映友女性が私もこれは、全然駄目でした。何で不朽の名作なのか、皆目解らず。私だけかと思っていたので、嬉しいです(笑)と寄せてくれた。断トツでキネ旬ベストワンに選出されていた作品らしく、合評会メンバーの牧師によると、親子関係の相克の凄まじさに痺れたそうで、彼のオールタイムベストテンの上位に位置する映画らしい。

 同じ中上健次原作の十九歳の地図['79]は三年前に観て宿題を片付けたが、今回は本作とのカップリングで同年の映画化作品『十八歳、海へ』を観る機会も得たわけで、果たしてどのように映って来るのか楽しみだった。


 その『十八歳、海へ』は、若き無軌道と屈託のなかでの出会いと交錯を描いた破天荒な物語だったが、思いのほか魅力的に映ってきて、些か驚いた。『青春の殺人者』のみならず『十九歳の地図』もあまり相性の良くなかった中上健次の原作ものであるうえに、リボルバー』の映画日誌藤田監督による秋吉久美子三部作の映画日誌に「どうも相性がよくないのかもしれない」と記してあるのだが、『リボルバー』が唯一の例外であることを四半世紀ぶりに再見して改めて感じたと記してある藤田敏八監督作品だったからだ。老いも若きも奇特なる人物のオンパレードで、現実離れしたエピソードが続くのに、それを生きている若者たちの心情に、遠い日々の自分も過ごした覚えのあるものをある種の懐かしさとともに呼び起こされたからなのだろう。

 '76年に大学進学で上京した僕は現役入学だったので、駿台と代ゼミを合わせたようなお茶の水ゼミナールなる予備校の夏季集中講義に通う高校生の有島佳(森下愛子)や二浪の桑田敦夫(永島敏行)、五浪の森本英介(小林薫)のような予備校暮らしに懐かしさを覚えるわけではないのだが、当時の歳の頃合いは同じ四国出身の敦夫とほぼ同じだ。所在なく生きている感じだとか、彼らほどの破天荒さではなくとも、後から振り返れば、ルーティーンに浸りきった生活とは異なる、それなりにハプニングに満ちた日々を送っていたことを思い出すようなところが本作にあった。アイランダー【島人】になろうとのキャンペーンに乗ったというロタ島への旅行券を持つ有島悠(島村佳江)に対してピンと来ない話だけど…という英介の台詞に思わず笑ってしまったように、僕にはピンと来ないはずのエピソードの連続なのに、懐かしさを呼び起こされたところに不思議な気がした。

 釧路から上京してきて模試トップの成績を挙げる佳と今治出身で帰省中の同郷大学生のアパートに居候している成績最下位の敦夫が、彼女の知らなかった青姦という言葉に蜜柑、金柑と囃し立て、佳が青姦を食べてみたいという場面がなかなか好かったけれども、瑞々しく美しい全裸姿を見せていた森下愛子とは対照的に、肩からせいぜいで胸元あたりまでしか露出していなかった島村佳江の演じていた悠が、ロタ島のホテルのベッドで抱き合いながら俺、商売女以外に女知らないんだ、恥ずかしいけどと洩らす英介に微笑んで愛しさを覚えたように髪を掻き抱く風情に三年不倫に身をやつしてきた女の愁いと歓びを滲ませていて、大いに魅せられた。

 そして、行方知れずになった息子の英介に五年ぶりで出くわした父親(鈴木瑞穂)が喩えていた盲亀の浮木の如きエピソードばかりの青春のまことに呆気ない幕切れが妙に感慨深かった。

 佳の発した海を感じるという台詞に、本作の前年、群像新人文学賞を受賞した中沢けいの『海を感じる時』は、その前年発行の中上健次の原作から来ていたのかもしれないと思った。映画化作品を観たのは、五年前だが、2014年作だから受賞して三十六年後となる。

 予備校講師(小中陽太郎)の講義のなかで説明されていたコンシャスネスが気になった。佳のコンシャスネスにおいて、英介の残した二つの傷とも言えそうな、姉との旅行と、英介が父親への当て擦りに記したメモは、どのように作用していたのだろう。


 参加者が男女二名ずつとなった合評会では、支持作が男女で分かれる二対二となった。『十八歳、海へ』を支持した男二人は歴然とした差で以て選抜し、『青春の殺人者』のほうを支持した女性二人は、訳のわからない行為を重ねる『十八歳、海へ』よりは、という消極的支持だったところが興味深い。物語の運びのエキセントリックさでは、どちらとも相当なものだという気がするが、『青春の殺人者』に描かれていた反抗心については対象が親であれ、社会であれ、若者の姿として共感できる部分があるとの意見だった。共感性で言えば、僕は両作でちょうど反対になるわけで、面白いものだと思った。なかでも驚いたのは、『十八歳、海へ』での取って付けたようなロタ島でのエピソードは、すっぽり要らないと思うとの意見で、吃驚仰天した。

 それがなければ、佳から人生で初めて裏切られた気がするとの弁は出て来なくなるわけで、後に英介が二人を殺したのは自分だとの自責の念に駆られることも、妹を亡くした悠がそれは違うと説いて、少しばかりの“お節介”だと宥めるラストにも繋がらなくなる重要なエピソードだったからだ。実の妹を喪いながらも、悠が英介を庇護しようとするのは、おそらくロタ島で過ごした時間のなかで三年不倫の男とは真逆の英介によって、思いも掛けなかった癒しを得たからなのだろう。妹からも咎められたことを弾みにして自身で踏ん切りをつけながらも抱えていた屈託が吹っ切れて、救われた思いを抱いていたからこそ、英介のほうからロタ島限りにしようと言われていたことに応じつつも、当の英介がそれを反故にして泊めてくれと訪問してきたことに戸惑いながら、彼らしからぬ暴力的な迫り方での性交に、下着を剝ぎ取られて襲われる形の伸身後背位で応じたうえでのラストシーンなのだから、ロタ島のエピソードをすっぽり外しては話が成立しなくなる気がすると返すと、もう一方の女性が、そんなこと考えもしなかったと驚き、男の人の視点は随分違うのだなとえらく感心された。

 佳と敦夫の最期の顛末は、自死と観るか事故死と観るか問い掛けてみたが、確たる回答は得られなかった。佳のコンシャスネスのほどは計り難く僕も感じていたが、敦夫は佳に引き摺られるようにして死んでいったねという意見には失笑しつつ、同感を覚えた。男はそんなものだとは主宰者の弁で、間髪を入れぬタイミングが可笑しかった。

 『青春の殺人者』で面白かったのは、六年前に観たときはそれなりに、だったのに💦 今回は全く響いて来なかった🤷‍♂️‍との主宰者の感想で、前回は全く知らずの初回鑑賞やったき、キネマベスト1⃣のイメージで観てたのかも知れない。とのことだった。画面のインパクト自体は、市原悦子の怪演といい、原田美枝子の十七歳とは思えないダイナマイトボディといい、かなり強力だったからねと返すと、けんど好みは森下愛子のほうやったりして🙌💕と言うものだから僕は、そんな贅沢な選り好みはせんで~(笑)と応えるとウケていた。『十八歳、海へ』のほうは、前回から三年経つ四度目の観賞とのことだったが、回を重ねるごとに評価が上がって来たそうだ。面白いものだ。
by ヤマ

'24.12.22. DVD観賞
'24.12.23. DVD観賞



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