『大地の子守歌』['76]
『巨人と玩具』['58]
監督 増村保造

 高校時分の映画部の部長主宰の合評会の課題作として再見したカップリング作だ。先に観た『大地の子守歌』は、十九年前に行われた高知県立美術館特別上映会増村保造映画祭の二十四作品のなかには入っていなかったので、もう半世紀近く前の大学二年のときに大塚鈴本キネマにて『青春の殺人者』『さらば夏の光よ』との三本立てで観て以来となる再見だ。

 余りに猛々しいりん(原田美枝子)に少々辟易としながらも、彼女を演じた原田美枝子の凛とした清冽な顔立ちと若々しい肢体には、観惚れてしまった。女になりとうないと叫ぶ男勝りのりんを演じる当時十八歳の原田美枝子に『豪姫』['92]に出演していたときの宮沢りえを想起したが、迫力では圧倒している気がした。昭和七年から昭和十年の十三歳から十六歳までのりんを演じて圧巻だった。

 ラザロ丸でりんの御手洗島脱出を手助けした牧師(岡田英次)は、けっきょく二十歳まで年季の延びたなかでの足抜きをさせてしまったわけだから、それなら最初に頼まれたときと変わらないではないかと思った。また、彼の用意したカネが十円なら、女のおちょろ舟漕ぎに感心した漁師から得た祝儀の額と変わらない程度でしかないことに妙に釈然としないものを感じたが、増村作品でこの手の疑問を挙げると、果てがないような気がしないでもない。それにしても、りんの失明は遍路に出た時点では、養生が足りて回復していたということなのだろうか。

 まどろみのなかでの回想とともに提示されていた業火に灼かれるイメージというのは、りんが見たものなのか、作り手が指し示したイメージなのか、少々受け止めに迷ったが、ラストショットが燃えるような夕焼けの場面なのだから、それが作り手の提示したものとなれば、その前の業火に灼かれるイメージは、りんの心象として受け取るのが相当だろうという気になった。

 久しぶりに再見して、りんの“ねきにおる婆”がもう少し活かされるべき物語だったような気がしてならなかった。原作では、そうなっていたのではないかという気がする。また、りんと同じ十代と思しき漁師の正平(佐藤佑介)との互いの想いを激しくぶつけ合う場面を観ながら、“増村保造映画祭”の日誌に全くどの作品においても、女性たちの見せる胆力は生半可ではなく、そのことは、初期の作品から一貫している。そして、23作品も通覧してみると、増村作品では、やたらと男が女を殴る場面に遭遇して、いささかうんざりさせられる。粗雑で幼稚な暴力に訴えるしかない男の脆弱さを表しているのだろうが、その頻出には閉口する。増村作品の最大の弱点は、こういったところにも窺われる“類型化”なのだろう。リアリズムを排し、造形に賭けているのだから、登場人物たちの造形が類型的に過ぎてしまうと、たちまち力を失ってしまう。作を重ねて、描出手法が造形的であるだけでなく、加速度的に、描く対象そのものがエキセントリックな人物になっていったのは、ある意味で必然だったのかもしれない。と綴ったことを改めて思い起こした。強く激しい感情の表現として暴力描写が常套化していっていたということだろう。同映画祭では、'71年の『遊び』が唯一の'70年代作だったわけだが、本作はそれから更に五年後の作品だ。まさしく、“描く対象そのものがエキセントリックな人物になっていった”りんだったように思う。

 もう一方の十九年ぶりの再見となった『巨人と玩具』は、'58年作品なのだから、ごく初期の増村作品だ。ちょうど僕が生まれた年の作品だが、モーレツサラリーマンの時代、♪明るい社会を作ろう♪などと若者が合唱する歌声喫茶の時代、そして、サラリーマンが普通に覚醒剤を吞むような時代を映し出している映画を観ながら、のべつ幕無しに騒がしい“喧噪の映画”だと改めて思った。それこそが、あの当時の“「猛烈」ではない「モーレツ」の時代”の空気なのだろう。

 二十年前の映画日誌には「笑いなさいよ、笑わなきゃだめよ」とにっこり笑いかけ鼓舞する雅美(小野道子)の姿もなかなかこわく、忘れがたいラストシーンだ。洋介の行き場のなさが、日本という国自体の行き場のなさをも示していたような気がする。と記しているが、正しくは「笑うのよ、明るく」だった。ワールド製菓宣伝部の合田課長(高松英郎)から「考えない大衆のそこを狙え」と叱咤されていた部下の西(川口浩)の思慮の足りなさを思うと、あれから六十余年、今の惨状があるのも已む無いことだと思ったりした。

 そして、まさに同じ'58年当時の東京を描いたALWAYS 三丁目の夕日['05]がノスタルジックに描き出していた時代の同時代作品として観ると、一層、感慨深いものが湧いてくる気がした。『巨人と玩具』を観て、選者の映画部長は前回の合評会課題作「武士道残酷物語の続編みたいな感じ」を受けたそうだが、下の者にばかり押し付けるワールドの専務(山茶花究)が領主で、お家が会社、忠義が売り上げということなのだろう。僕自身は、そういう世界とは無縁のまま過ごしてくることが出来て、本当に良かったと思う。

 別の映友からは、日活の『あした晴れるか』、東宝の『キングコング対ゴジラ』と並んで、大映の本作が撮られていて、企業の宣伝部を舞台にした映画が概ね同じ頃に作られていると教えられた。今や遣りたい放題の代名詞とも言うべき広告代理店世界の源流というものが窺えそうで、俄かにそそられてきた。両方とも未見だと思ったのだが、確か、視聴率ではなく、聴視率と言っていたことを耳新しく感じた怪獣映画があったなと思って確かめると、それがキングコング対ゴジラ(短縮版)['62]だった。




*『大地の子守歌』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/3912788332154054/
by ヤマ

'21. 9.11. DVD観賞
'21. 9.22. DVD観賞



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