『赤ちょうちん』['74]
『妹』['74]
『バージンブルース』['74]
監督 藤田敏八

 先に観た『赤ちょうちん』は、遺失物の現金書留に手を付けたばかりに、逆わらしべ長者というか、引っ越しを重ねるたびに難儀を抱え込んでいくと同時に、“過保護のどチンピラ”と罵られていた政行(高岡健二)が、次第に真っ当になっていく物語だったが、なんとも味が悪く、僕に響いてきたのは、十七歳の幸枝を演じた当時十九歳と思しき秋吉久美子の裸身のみだったように思う。

 それにしても、ヘンてこな振る舞いをするオカシナ人たちばかり出てくる映画だった。病院送りにされるか否かの境目というのは、傷害などの暴力事件を起こすか否かであって、「世の中には、オカシナ人たちが溢れていて、それが世間というものだ」というような按配だった。

 四畳半フォークの異名を取った“かぐや姫”の唄をタイトルにした本作は、怪しげなアパート管理人を演じた樹木希林がまだ悠木千帆とクレジットされていた、僕が高校時分の作品なのだが、何やら思わせぶりな義眼の御守りに撹乱されたのか、当時の時代風俗の観点からも、特に響いてきたショットがなく、僕にとっては、ホントに久美子嬢の裸身のみというありさまの映画だった。

 ところが、高校生の時に飯田橋のギンレイホールで『妹』『バージンブルース』と3本立てで観たという映友から、最も響いてきたのは本作だったと教わり、驚いた。やはり高校生当時に観れば、秋吉久美子の御威光には圧倒的なものがあるのに違いない。また、邪険な大人たちの鬱陶しい嫌がらせとしか思えない奇行によく出くわしたりしていた多感な頃だと、こういうカリカチュアライズされた人物造形が却って嵌ったのかもしれない。

 思い返すに、前の入居者だという男をやすやすと現入居者に断りもなく部屋に入れてしまうばかりか大声で「鬼は外、福は内」と廊下から部屋に豆を投げつけていた管理人(三戸部スエ)にしても、「保険金の受取人にする」と彼女をたぶらかして幸枝の部屋に侵入して居座ったと思しきクマガイだかイヌカイだか知れぬ男(長門裕之)にしても、並外れてはいたけれども、この類の人物と通底する人は稀少とも思えない節はある。

 そして、若い時分に観れば、幸枝から“まーちゃん”と呼ばれていた政行の味わっていたであろう“流され感に漂う抗えない自身の無力さ”のようなものを感知したかもしれないと思った。


 翌日観た『妹』も同じく“かぐや姫”の唄をタイトルにした映画だが、前作がほとんど唄のエピソードが登場しない作品だったことに比べると、のっけから味噌汁ネタが出て来たし、当時の時代風俗という観点からすれば、時代風俗どころか、東西線早稲田駅から始まる作品で、この映画の二年後には、この界隈を毎日のようにうろついていたから、こんなにビラを貼ってあったのかとか、塀の上に並んだ空き缶や空き瓶の有様を懐かしく観た。店名がヤマダだったかどうかは不明だけれど、写真店の構えにも観覚えがあった。

 しかし、お話は前作以上に響いて来ず「なんじゃこりゃ」といった有様だった。秋夫(林隆三)の妹ねり(秋吉久美子)は、“おスペ”と呼ばれた特殊浴場の手技が過ぎて腱鞘炎になって出戻ったみどり(片桐夕子)から、「顔に具体性がない」と指摘されていたが、その指摘は『妹』という作品そのもの、本作に描かれた兄妹関係について言えることのような気がした。

 ねりが実家の浴室から兄のいる部屋に腰にバスタオルを巻いてまだ濡れたまま入ってきて、全裸になって下着も付けずにタンスからホットパンツを取り出し、濡れ肌に張り付く布地を無理やり引き上げながら履こうとして臍をほじっていた「へぇ、そぅ」の場面や、最後の砂丘でのおでん露天商の場面には観覚えがあったから、まだきちんと記録をつけていなかった学生時分に観ていたのかもしれない。断片だけだったから、全編を観ているのではなく、何かの機会にその場面を観ているだけなのかもしれないが、定かではない。

 それにしても、引っ越し作業代金を払いたくないからと秋夫に迫ってきた女子大生(ひし美ゆり子)と事を始めた際に流れ始めたBGMにケータイが鳴り出したと錯覚し、「あ、あるわけないやん」と思ったのが、いちばん可笑しかった。最も「なんだそれ」と思ったのは、ねりの失踪した夫の妹いづみ(吉田由貴子)が鎌倉に訪ねて来た秋夫と海辺で話をしていたなかでの唐突な「泳ぐわ」だったが、その後の展開は、さらに「なんだそれ」だった。

 同世代の映友に『帰らざる日々』を観てないと言ったときに「秋吉久美子三部作も観てないでしょう。もしかして、藤田敏八、お好きじゃないのかな。」と言われ、「好きも嫌いも無いなぁ。あんまり観てない気がする。7作くらいかな。映画日誌にしてるのは、八月はエロスの匂いだけみたい。」と返したが、どうも相性がよくないのかもしれない。





◎追記('22. 2.20.
 前回、観逃していた久美子三部作の最終作『バージンブルース』['74](監督 藤田敏八)をようやくDVD観賞する機会を得た。見当たらなくなったと言っていた高校時分の映画部の部長が、「ようやく見つかったよ」と貸してくれたものだ。

 お茶の水予備校女子寮に暮らす岡山出身の畑まみを演じる秋吉久美子の膨れっ面の子供顔と蠢く蛇を電車の中で映し出したオープニングの奇抜さからも早々に察しの付いていたことではあったが、三部作の前二作以上に変な映画だった。

 先の二作が四畳半フォークの異名を取った“かぐや姫”の唄をタイトルにしていた点は、野坂昭如の歌うヴァージンブルースに転じていたが、映画の出鱈目ぶりは、前二作をさらに上回る有様で、つまらなさに拍車が掛かっていた。昭和31年生まれ18歳という畑まみの2歳下になる僕は同時代を生きているから、“無軌道がある種、時代の気分であったこと”を知らないではないのだが、全く延長線の引けない出鱈目な生き方を今観て、共感も懐かしさもまるで湧いてこないことが印象深かった。

 そういう気分と対照的に映っている事物にはいちいち反応し、ワンカップ大関は、今でもまだあるのだろうかとか、清水理絵の演じるちあきが二浪だったりすることに、あの時分、女子でも浪人を厭わなくなってきてはいたものの、二浪は滅多になかったよなぁとか、醤油ラーメンが250円でコーラが70円かと懐かしく見て、行ったことはなかったけれども、目黒エンペラーが名を馳せていたことを思い出し、上京するまでATMなど使ったことなかった僕だけれども、タッチパネルのなかった時代だったことは同じでも、あれほど大掛かりな押し釦には見覚えがないと思ったりした。ラーメン屋の出前店員の橋本誠(高岡健二)のアパートの部屋に貼ってあったポスターが興味深く、確かに無軌道とも言える青春を描いた名作イージ・ライダー['69]や『ウエストサイド物語』['61]はもっともらしいけれど、なぜ転換社債や国債の売り込みポスターや、関西ストリップのダイナマイト公演、上田耕一郎、早大リンチ殺人事件の指名手配ポスターなどをびっしりと貼ってあったのか訝しく思った。

 前二作の日誌に「どうも相性がよくないのかもしれない」と記していたが、ますますその感を強くした藤田敏八作品だった。
by ヤマ

'21. 5. 1. DVD観賞
'21. 5. 2. DVD観賞



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