『十九歳の地図』['79]
監督・脚本 柳町光男

 柳町監督作品を僕は『さらば愛しき大地』['82]と『愛について、東京』['93]しか観ていないが、あまり相性がよくないと感じていた。かつて『さらば愛しき大地』を絶賛する周囲に対して、そこまでいいか?と疑問を呈し、少々顰蹙を買った覚えもあり、そのとき、僕が観てもない『十九歳の地図』を持ち出されて、いろいろ言われて以来、いつか観ておこうと思ったまま四十年近くになるという宿題映画だった。

 本作が撮られた'79年なら、僕はまだ東京に住んでいて、画面に登場する都電にも乗ったことがあるし、吉岡(本間優二)がたまに行くと言っていた代々木ゼミナールの前も通ったことがある。北区の王子界隈を歩いたことはないけれども、食堂の焼肉定食は、確かに580円くらいだったと思い当たるし、共同便所の古いアパートは、僕自身が住んだこともあるし、まだまだたくさん残っていたような覚えがある。

 吉岡が口ずさむ♪受験生プルース♪や♪プカプカ♪にも、『天使のはらわた 赤い教室』の文字ポスターやキャンディーズの歌う♪春一番♪、泉谷の♪春夏秋冬♪にも当時を過ごした者としての馴染みがあるし、音楽担当にクレジットされていた板橋文夫のライブ演奏にも触れたことがある。

 だから、同時代に観ていれば、もしかすると本作に込められた鬱屈と荒みに対して「最低の青春、いや青春なんてサイテーだ」といった共感を覚えたのかもしれないが、いま改めて観ると、この「いや」以下の感慨が付いてこない、とことん情けないだけの最低の青春に、少々うんざりとしていた。吉岡の青年像が何とも鬱陶しいというか、苛立って仕方がなかった。この有体において「どういう具合に生きていったらいいのか」とほざかれても、馬鹿野郎めと言うほかないなどと思いながら、いい気な調子で“かさぶただらけのマリア”などと名付けられた幸薄い女性(沖山秀子)や、かなり念の入った作業に基づく悪質電話に耽る体たらくを眺めていたように思う。そして、沖山秀子の際立った乳首に21グラムを思い出した。

 録画をしてくれた映友は、青春映画らしい“暴発”もないと指摘していた。それについては、安直な暴発に持っていかないところにこそ作家的沽券があるようにも感じるが、観る側としては「それがどうした」というところだ。三十歳を過ぎても新聞配達の住み込み配達員で十代の苦学生たちに無心と踏み倒しを重ねる紺野を演じていた蟹江敬三はなかなかよくて、数ある出演作のなかでも出色だと思ったが、そのルーズで懶惰な人物像には共感できなかった。やはり柳町光男とは相性がよくないようだと改めて思うとともに、原作者の中上健次とも相性がよくなかった気がして、書棚にある河出文庫の『十九歳の地図』を手に取ってみた。

 四十年ぶりに読み返して驚いたのは、紺野とマリアにまつわる本作で描かれた具体的なエピソードは、原作小説には何一つ出てこなかったことだ。紺野に教えられた電話番号に応じた女性は「おおばやし」と名乗り、小説でも不意に受話器のむこう側で風がふきはじめたような音がひびき、糸のような、つまり触るとぽろぽろこぼれてしまいそうなこまかい硝子細工でできたような声がし、「死ねないのよお」と言った。「死ねないのよお、ずうっとずうっとまえから死ねないのよお、ああ、ゆるしてほしかったのお、なんども死んだあけど、だけど生きてるのお」ぼくはその声をきき、なにかが計算ちがいで失敗したと思った。「ゆるしてくれえないのよお、死ねないのよお」女がなおも細いうめくような泣き声で言い、ぼくはその言葉にではなくて声に腹を立て、「嘘をつけ」と吠えつくようにどなった。「嘘をつけ」たしかに確実にぼくは嘘だと思った。そう思わないととりかえしのつかないことをしてしまったようでがまんならなくなってしまうと思った。「ああ、ゆるしてよお」ぼくは乱暴に電話を切った。P133)という描出はあるけれども、一度も姿を見せない女性だった。足が不自由でしゃがむことができずに空き地で立小便をして用を足す姿を子供たちが「小便女~」と囃し立てるような序盤での場面はなく、もし彼女が共同便所で小用を済ませようとすれば、吉岡の住み込む新聞販売店の店主が悩まされていた水洗タンクの故障で水浸しになっていた便所のようになってしまうことをイメージさせるような、便所の水漏れ場面も無論のこと出てこなかった。そもそも“かさぶただらけのマリア”は、原作小説では、それが事実かどうかはともかく、紺野の話により五十にもなったヨイヨイのババアP107)ということになっていた。そして、紺野が起こす警察沙汰など微塵も出てこなかった。

 原作小説のように吉岡をひたすら描いても映画にならないということで造形されたであろう紺野とマリアの人物像とエピソードには、なかなかインパクトがあって感心したが、僕の好むところではなかった。また、おそらくは本作のタイトルがシンボライズしていた思われるそして神の啓示のようにとつぜん、二十歳までなにごとかやる、そうして死ぬ、と思った。それはぼくにとって重大な発見だった。P119)との吉岡の決意が映画ではスルーされているように感じられたのが残念だった。

 それにしても、いま観ると昔は、誰もが新聞をとるのが当たり前だったなと感慨深かった。四十年前、新聞の世帯購読率は、いったいどれくらいだったのだろう。僕もアパート暮らしのなかで取り続けていた覚えがある。
by ヤマ

'21. 5.28. チャンネルNeco録画



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