『キネマの神様』
監督 山田洋次

 原作未読ながら、先に舞台化作品を観劇し、同じように映画館を舞台にした芝居なら、文学座公演大空の虹を見ると 私の心は躍るとは比べ物にならないと感じ、原作者の映画に対する造詣の深浅の差が如実に表れていたような気がしていたことからすると、当の映画人が『キネマの神様』をどんなふうに撮っているのか興味深かったのだが、さすが己がフィールドだけあって、ローズ・バッドなどというアメリカ人批評家とのさほどのものとも思えぬ映画評論などによってゴウが面目を立てるのではなく、きちんと映画製作そのものに関与する部分で証を立てていたことに感心した。そして、「キネマの神様」を材料にして、三十五年前の山田洋次作品『キネマの天地』'86]のリライトとも言うべき映画に仕立て直してあるところに快哉を挙げた。

 フューチャーされた映画作品にしても、ニュー・シネマ・パラダイス'88]よりもカイロの紫のバラ'85]のほうが遥かに気が利いているし、作中ではきっちりバスター・キートンのほうの名を挙げているところが、小説家ではなく映画人の面目だとニンマリした。また、円山郷直(沢田研二)の妻淑子(宮本信子)が好きな映画として挙げた作品がフランク・キャプラの素晴らしき哉、人生!'46]であったりすることが、舞台劇を観て、取り上げられていた映画作品群に対して上っ面感を覚えたのと違い、大いに納得感がもたらされて心地よかった。本作そのものが、『キネマの神様』というよりも『素晴らしき哉、人生!』だったような気がする。

 本来「あきこ」だった円山淑子を敢えて「よしこ」と読ませて本作には登場しない高峰好子に重ね、その一人息子興太の役回りを円山歩(寺島しのぶ)の息子で郷直の孫になる勇太(前田旺志郎)に翻案した構成によるすっきり感にも上手いと思った。当然ながら、映画とはということに関して控えめに繰り出される数々の言葉についても、原作に沿っていると思しき舞台劇より遥かに納得感があって、やはり餅は餅屋だと感じた。そして、若き日の郷直と淑子を演じた菅田将暉と永野芽郁の役者として備えているキャラクターが、大いに生きていたような気がする。

 似たような趣向の映画作品としては、三年前に観た今夜、ロマンス劇場でのほうが僕の好みだけれども、舞台劇を観て些か懸念していたものからすると、映画表現の一つの肝とも言える同時代性の観点からも、抜かりなく新型コロナ禍の時代風俗を写し取り、堂々たる2021年作品に仕上げていて、流石だと思った。

 ただ、なぜ清水宏でも小津安二郎でもなく、出水監督・小田監督にしていたのか妙に釈然としなかった。バスター・キートンにしても、フランク・キャプラにしても、城戸賞にしても、『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』にしても、チャップリンの映画にしても、他は皆そのままの名を使っていたので、その違いが妙に際立っていたからだ。舞台版でも、作品名などは全て実名が使われていたような気がする。名作名画へのオマージュという点からは、そちらのほうが正当だから、もっともな話だ。

 そこに折よく、旧くからの映友による昔のシーンは1950~60年代と推測できるのに、現在79歳の主人公って時代に10年から20年の誤差が感じられるとの指摘に出くわし、なぜ清水宏でも小津安二郎でもなく、出水監督・小田監督にしていたのか得心できた気になった。清水宏・小津安二郎にしてしまうと、映友の指摘どおり、円山郷直(菅田将暉)の助監督では、郷直(沢田研二)の年齢が合わなくなってしまうから、苦肉の策で別名にして時代を暈して凌いだのかと思い当たった。なにも映画史を語ろうとしていた映画ではないのだから、作り手にとっては、昔の映画製作所ということでよかったのだろう。仮に昭和三十五年に二十歳だったとすれば、2020年に八十歳だから、あの時代に二十歳で初監督はないだろうとしても、何とか歳が繋がるのだが、清水宏の遺作が昭和三十四年、小津安二郎の遺作が昭和三十七年のようなので、かなり苦しいことになるわけだ。

 また、別の映友からは、コロナ禍のもとで、ということが必要だったのか疑問というような意見をもらったが、コロナ禍での志村けん急死による交代劇があってのことだから、触れずには済ませられなかったのだろうし、それ以上に、まさにコロナ禍によって政府筋からの映画館バッシングが起こり、他方で民間での救済支援運動が起こったりしたなかで、コロナ禍に触れずに『キネマの神様』もなかろうという気になっても無理ないように思った。



◎追記('21. 9.10.
 映友によると、城戸賞は「木戸賞」だったとのこと。言われてみれば、確かにそうだったような気がする。なぜかと考えたら、劇中では賞金を100万円にしていたからかもしれないという気がした。いまの賞金は、どうも50万円のようだ。いくらなんでも50万円じゃあ、お話にならないと思ったんだろうなぁ。
『城戸賞』応募規定 http://www.eiren.org/kido/regulations.html


◎追記('22. 2.10.
 先ごろ美術館 冬の定期上映会“撮影監督 近森眞史 特集”の上映会で帰高した近森撮影監督から、桂園子(北川景子)の目元がアップになった瞳に助監督時代の自分(菅田将暉)が映っているのをゴウ(沢田研二)が観る場面の画像が送られてきた。昼食時に、映画のなかに写り込むものの値打ちについての話を僕がしていたからだろう。
 10枚に及ぶ画像を観ながら改めて、映画の本質にかかわる特性を見事に視覚化した名場面だと思った。フィルムに写り込む「時代の記録性」という特性、本筋とは別に作り手の意図をも超えたものが潜む「宿り」という特性、更には、ごく限られた人の眼にだけ読み取れる「不可視のイメージの存在」という特性、それらを一つの場面で鮮やかに映し出していたような気がする。まさに「キネマの神様」に相応しいと思った。





推薦テクスト:「シューテツさんmixi」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980041583&owner_id=425206
推薦テクスト1推薦テクスト2:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
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by ヤマ

'21. 8.10. TOHOシネマズ4



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