『今夜、ロマンス劇場で』
監督 武内英樹

 エンドロールでクレジットされたカサブランカ['42]や『女王蜂の怒り』['58]のみならず、数々の映画作品を想起させるとともに、直に触れられない“幻と記憶”という、まさに映画芸術の本質とも言うべきものを主題に置いた大仰なまでのロマンスを謳い上げ、映画好きにはたまらない作品になっていたように思う。

 僕の生年から二年しか経っていない昭和三十五年に冷房完備の映画館があったのかとか、いくら女王蜂とはいえ、下僕、下僕と連呼する美雪(綾瀬はるか)のキャラクター、いくらロマンスとはいえ、あまりに唯々諾々の牧野(坂口健太郎)という甘々な展開に少々辟易としていたのだが、カイロの紫のバラ['86]や『キネマの天地』['86]を想起させる映画愛にほだされているうちに、彼女が“映写されなければフィルムでしかない”映画というものの本質を具現しているとも言える“触れられない女”であることに気づき、映画と映画愛好者の関係の擬人化だと解することで納得できた。さすればいかなる我が儘勝手であろうが、提示されたものを受容するしか観る側は致し方ないわけで、そのうえで映画【美雪】にどっぷり惑溺している、マキノと溝口を合わせたような名前の映画助監督牧野ケンジなれば、二人の関係があのような蜜月になるのは、むしろ当然とも言えるような気がする。

 病床にある老脚本家(加藤剛)が今どきの看護師(石橋杏奈)に語って聞かせる劇中で蒲田行進曲['82]の銀ちゃんを思わせる銀幕の大スター俊籐龍之介(北村一輝)が少々取って付けたようにミュージカルを口にしていたのは、本作を本当はミュージカルで撮りたかったとの作り手の思いがあってのことではないかという気がした。もしそうなっていれば公開中の『グレイテスト・ショーマン』ばりのファンタジックな作品になり、現実離れしたカラフルな鮮やかさもコミカルな味付けも、更には利いてきていたのではないかという気がしなくもない。

 ともあれ、『また逢う日まで』['50]のガラス越しのキスを使おうとも、つなぐ手と老脚本家の満足げな臨終にきみに読む物語['04]を偲ばせようとも、一輪の赤いバラから世界が色づく姿に『美女と野獣』を想起させようとも、それらのすべてが、とことん映画【美雪】に惚れ込んだ男の人生として、なんとも後味よく映って来た。

 ケンジのみならずロマンス劇場の先代支配人(柄本明)の人生もまたそうだったわけで、老脚本家のいまわの際を演じた加藤剛の絶妙の表情がひときわ味わい深く、心に残った。本作のラストシーンにきっちりと繋がっていたように思う。だが、そういう映画愛好者も潰える日が近づいてきているから、ロマンス劇場も閉鎖になるのだろう。時の流れは、フィルムに収められ定着される映画と違って、止めることはできない。




推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-29cb.html
 
by ヤマ

'18. 3. 1. TOHOシネマズ1



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