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【午前十時の映画祭】 『素晴らしき哉、人生!』(It's A Wonderful “Life”)['46] | |||||
監督 フランク・キャプラ | |||||
タイトルは知りながらの未見作品で今回初めて観たのだが、これまでの人生の進路の節目節目において、自分の意志と選択によって歩んできたことがなく、成行任せに対する選び直しによって積み重ねてきた僕には、ジョージ(ジェームズ・スチュワート)の人生への臨み方が他人事に思えなかった。 だが、恐らく自ら選び切り開く人生を歩んでいる人のほうが実際には少ないのが現実で、多くの人が行き掛かりや巡り合せによって、自分なりに折り合いをつけながら生きているとしたものだろう。得てしてヒロイックで個性的な人物像を主人公に置きたがるアメリカ映画にあって、かように不本意のなかでささやかに人生に立ち向かう人物を取り上げているところが興味深かった。生業としている仕事に対するジョージの意思と自覚は立派ながら、その他の面では、さして立派だとも魅力的とも思えぬ人柄を湛えていたのが却って現実感と繋がり、納得感があった。だからこそ、最後の“奇跡”が効いてくるのだと思った。 幼い弟を助けたことにしても、メアリー(ドナ・リード)を妻に得た顛末にしても、薬剤師のガウアを大きな過ちから救った運びにしても、自身の意思と選択というよりも、成り行きのなかでの選び取りのような感じが強く、決してスマートではなかったように思う。むしろ、張り上げ調の台詞がやたらと多かったように思えるジョージは、少々耳についていたくらいだ。 そんな人物だったからこそ、彼自身には、さして強い自負があったわけでもなく、さればこそ、窮地に到っても、妻が思いついた手立てを講じてみるような発想もなかったのだろうし、この世に自分が存在していなかったところで、さしたる影響が及ぶとも思えなかったのだろう。だが、多かれ少なかれ、人が幾許かの時を経て、生を重ねてきていれば、共済的な組合による金融事業を営んできたジョージのような公益的職業に従事していなくても、他者に対して少なからぬ影響を及ぼしているというのは、多くの人々が我が事としては見過ごしがちながらも、紛れもない“人生の真実”なのだろうと思う。 そうは言っても、仮に僕があのような窮地に立ったときに、ジョージと同じような助力が得られるとは、やはり思えないというのが偽らざる真情だが、ちょうど前日、母校の講堂で『私を支えてくれたもの-郵便不正事件の経験を通じて-』と題する講演を聞いたばかりで、2学年先輩になる村木厚子さんの口から直に発せられた「(マスコミにあのように書き立てられたのに)遠く離れた、両親の残っている郷里にて同窓生達が支援の声をあげてくれたのが、本当にありがたかった」との述懐に心打たれたことが思い出され、彼女とて、あのような窮地に立って実際に助力を得るまで、想像もしてなかったことだったのだろうと思うと、ジョージの胸中に向けて響くものがあって、少なからぬ感銘を受けた。 そういう奇跡が起こり得るから、“It's A Wonderful Life”であり、『素晴らしき哉、人生!』なのだと思う。思いも掛けない劇的な窮地に見舞われたり、それから脱する奇跡が起こるのは、万人の人生に訪れることではないけれども、ごく普通に真面目に人生に取り組み、年嵩を重ねてきている人には、皆それなりに築き上げているものがあって、掛け替えのない存在たり得ているのが人生だというわけだ。 最初に出てきたクレジットに製作 Liberty Films となっていて、いかにも戦後間もない世界を牽引し始めた頃のアメリカ映画らしいと思った。それにしても、メアリーは、いい奥さんだった。そして、ドナ・リードがきらきらしていた。 参照テクスト:2011ホーム カミング デー講演会 村木厚子氏 『私を支えてくれたもの』 | |||||
by ヤマ '11. 8.14. TOHOシネマズ8 | |||||
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