『魚が出てきた日』(The Day The Fish Came Out)['67]
『さよならコロンバス』(Goodbye, Columbus)['69]
監督・脚本 マイケル・カコヤニス
監督 ラリー・ピアース

 先に観た『魚が出てきた日』は、あの音楽と作品名に覚えがあったから、子供の時分にTV視聴しているのかもしれないが、110分足らずの映画の1時間以上をパンツ一丁でうろつきまわり、時に己がパンツを頭に被っていたりする間抜けパイロットコンビの少しも笑えぬトリックスターぶりに、30分も経たないうちに観賞意欲が萎えてきた。

 ペンタゴンならぬオクタゴンから派遣された、核爆弾及び放射性物質と思しき塊を収めたコンテナQの捜索隊を率いる隊長の的外れなボンクラぶりといい、恐らくは作り手が確信的に緩んだ人物造形を施している登場人物たちが、僕には面白く映っては来ず、ひたすら締まりのないヘンな映画にしか感じられなかった。

 製作時から五年後となる「'72年の休暇は任せろ」というような広告クレジットが街中のビルに映し出されていた近未来物語において、わずか五年後も果たして地球が存続し得ているのか怪しいものだと言わんばかりの危機を最後に訴えている形になっていて、そのような状況を迎えていながら、奇抜な衣装や珍妙な踊りに浮かれて観光に現を抜かしている人類の間抜けを揶揄しているのだろうが、作品自体に締まりがなくて、風刺が利いてこない気がした。まるでピリリとしたところがないのが致命的に感じられる。

 また、当時は先端的だったのかもしれない衣装デザインやダンスの振り付けのセンス自体が悪すぎて、タイトル・デザインにクレジットされていたモーリス・ビンダーによるオープニング・タイトル以外は、どれも時の経過に耐え得るものではないような気がしてならなかった。

 オープニング・クレジットで役名とともに強く印象づけられていたように思うキャンディス・バーゲンの登場も、さんざん待たされた挙句に、演じた胡散臭い考古学者エレクトラのキャラクターが余りにも安っぽくて、いささか気の毒なほどだった。

 本作を合評会の課題作として『さよならコロンバス』とカップリングしてきた映友が、その二本立てで、いったい何を引き出したかったのかが、いちばん興味深く思えた。だが、僕と同じくらいの年頃の映友女性は、面白かったそうだ。具体的に面白かった点を挙げてくれたおかげで、僕がなぜ合わなかったのかがより明瞭になった気がする。

 彼女が挙げてくれたのは、・パンイチで島内を逃げ回るパイロットの上司部下関係 ・捜索隊長の尤もらしいけど外れる推論 ・ヒッピー風とも思えぬ奇妙なファッション ・プードゥーの呪いの儀式を思わせるエキセントリックな踊り ・歯医者の無理やりの治療 ・港に椅子を並べて溜まってるヒマそうな村の男達 ・太った船長の妻 ・わがままな考古学者役のキャンディス・バーゲン ・コンテナから出てくるウンチのようなプルトニウムと主だった場面のほぼ全項目にわたり、なるほど字面を追えば、彼女がブラックコメディとして充分に笑えました。が、ヤギ飼いの男の必死さとラストは、現実にも起こり得ること(すでに起こっていますね😭)なので笑えなかったです。ゾゾッーとします…とまで持ち上げるのも分からないではない気がしたから、この項目自体は、充分に面白くも見せられるはずなのに、演出や運びのリズムが何だか野暮ったくて愉しめなかったことが、よりはっきりとしてきたのだった。

 真面目な社会派作品ならば、少々野暮ったくても真摯さで以て充分に観られることは、ちょうど観たばかりだった『映画 太陽の子』にも感じたことだったのだが、コメディーは合う合わないが難しいものだと改めて思った。


 翌日に観た『さよならコロンバス』は、『魚が出てきた日』と違って、どこにも観覚えのない作品だったが、何ともピンと来ないという点では、『魚が出てきた日』以上だったように思う。描こうとしていたもの自体は古びていないのに、描き方が野暮ったく時代遅れになっている感じだった『魚が出てきた日』に比べ、『さよならコロンバス』のほうは、描き方自体には奇抜さがないぶん古びてもいないのに、描こうとしていたもののほうが時代遅れになってしまっている感じだった。'60年代のフラワーチルドレンに広がったフリーセックス礼賛とユダヤ的戒律とに挟まれて婚前交渉タブーに翻弄される若者を描いていたようには思うけれども、僕にとっては、何とも訴求力に乏しい作品だった。

 やたらベタベタとキスを繰り返していた映画だったが、二人ともこれまで浮名を重ねていたというわりには、何か恋に恋した未成熟感の強いカップルだったように思う。そのせいばかりでもないのだろうが、己が将来に対してモラトリアム型のニール(リチャード・ベンジャミン)と富裕子女のブレンダ(アリー・マッグロー)が、何とも凡庸な別れ方をしていく恋愛劇を観ても、だからどうした的な想いしか湧いてこなかった。

 少し穿った観方をすれば、勤め先の図書館でゴーギャン好きの黒人少年に気遣いを見せていたニールが、自宅でのペッサリー置き忘れに動転しているブレンダにあのような暴言で叱責したのは、疾うに別れたくなっていた気分における渡りに船だったのかもしれないのだが、そう観てしまうと尚更に「だからどうした映画」に思えてくるわけで、いやはや何ともと言う外ない。二人が一緒に観に行っていた映画は『おかしな二人(The Odd Couple)』だったが、負けず劣らず奇妙なカップルだったような気がする。

 合評会課題作の二本立てとして『魚が出てきた日』と『さよならコロンバス』を並べ通じて思ったことと言えば、ゴーゴーダンスの時代だということ、キャンディス・バーゲンの演じたエレクトラも、アリー・マッグローの演じたブレンダも共に、男の「顔が好き」と言って積極的に誘ってくる男狩りタイプだったことくらいのように思ったが、選者の映友に括りの主題を問うたところ、要は「あの頃映画の珍品」とのことだった。テーマは、僕たちの永遠の課題作 60年代後半のカルト的映画〜あの頃水着、変なダンス、そしてあの頃的な幕切れ〜と命名します。ということだ。なるほど、それはそれで一興かもしれぬと納得した。確かに時代性は色濃く切り取られていたように思う。



『さよならコロンバス』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/3779056592193896/
by ヤマ

'21. 8.12. DVD観賞
'21. 8.13. DVD観賞



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