『恋妻家宮本』
監督 遊川和彦

 重松清原作の映画化作品で阿部寛が主演となると、8年前に観た青い鳥が真っ先に浮かぶが、あの作品は実に真面目ないい映画だった。しかし、本作はテイストがまるで違っていて、まさにファミレス料理のような味付けだ。だが、ファミレスの料理が決してまずいわけではないように、本作も不味いのではない。むしろ、あの作品と同様に、真面目ないい映画だったように思う。原作のタイトルが『ファミレス』だから、敢えてそうしたのかとエンドロールを観ながら唸らされたのだが、観ている最中は、いささかやり過ぎ感の目立つ、いかにも今どきのわざとらしい演出に興醒める部分も少なからずあった。本能寺ホテルの日誌に綴った近頃は、過剰に台詞やナレーションで説明されたり、想起すべきカットを押しつけがましく挿入されたりというようなことが余りにも多すぎるというようなことがまさに当て嵌まる作品だったとも思う。

 しかし、世の中これだけ不寛容が目立つようになり、手段としての偽装としか思えないような正しさを振りかざして、標的なり生贄を貶め制裁を加えたがる風潮が蔓延してくると、中学教師宮本陽平(阿部寛)の言う「正しさと正しさはぶつかり合うけれども、優しさはぶつかり合わない」という言葉が妙に沁みて来たりする。

 むかし何ぞのように「やさしさ」なるものがもてはやされていた時代に、天邪鬼の僕は「やさし~」という形容詞をとても嫌っていただけに、自分の反応に驚いた。四日前に観た沈黙ではないけれど、どこで転向してしまったのだろうと考えてみたら、どうも“自己責任”という言葉が非常に酷薄な使われ方で流行った2004年のイラク日本人人質事件の頃のような気がする。

 それとは別に、僕の知人のなかにもやたら“正解”というやつに囚われる人がいて、どうしてそのような不自由な思考をしたがるのだろうと不思議で仕方がなかったことも思い出した。正しさなんて相対的なものでしかないと若い時分から思っている自分には気が知れなかった。ある種の誠実さでもあることが分かるだけに何とも気の毒なのだが、同時に功利的な価値観に支配されていることが透けて見える部分もあったように思う。宮本陽平は、正解に囚われはするが、功利的な価値観が全く窺えないところがいい。

 そういった正しさに囚われる人からすると、料理教室仲間の主婦である五十嵐真珠(菅野美穂)から誘われて陽平がラブホテルの部屋を選ぶボタンを押してしまうエピソードはないほうがいいという意見が出てきそうだが、陽平の妻 美代子(天海祐希)が認めていた彼の優しさと隣り合わせる優柔不断さがある種の誠実さの証でもあることの功罪を提示するうえでは、とても重要なものだったと思う。

 それにしても、いま50歳となる夫婦が吉田拓郎の野外コンサートに足を運んだ世代とは思えないのに、そうなっていたのは、既に還暦を過ぎているらしい監督・脚本の遊川和彦の趣味で、僕よりも五歳若い重松清の原作にはなかったのではないかという気がする。吉田拓郎の♪今日までそして明日から♪を使いたくての設定だと思った。僕は若い頃、拓郎よりも信康のほうが好きで、狂い咲きライブの2枚組を持っていたりするが、拓郎のレコードは1枚も持っていない。でも、近頃は妙に拓郎の歌のほうがよくなってきている。

 そして、美代子を演じた天海祐希の「私の好きなものばっかり」という台詞の出し方が余りに見事で不意打ちを食らった。連弾['01]での「パワ~、パワ~」に並ぶインパクトがあった。彼女の演技者としての力量を観たような気がした。

 思えば、僕ら夫婦も若くして子供ができ、三人の子供たちが皆々県外の大学に進学したから、50歳の頃以前に既に夫婦だけの暮らしになっていた。妻のエンプティネスト症候群を少々懸念した時期があったことも思い出した。それまで一人で県外に出ることなどしなかった妻が、折々に山口、大阪、神奈川に暮らす子供たちのところを訪ねながら慣らしていくことに異論を唱えず賛同して感謝されたものだった。




参照テクスト:重松清 著 『ファミレス』読書感想
by ヤマ

'17. 2. 1. TOHOシネマズ4



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>