『本能寺ホテル』
監督 鈴木雅之

 TV視聴した『プリンセス トヨトミ』が意外と面白かったので観に行った作品だが、使い回されたネタの二番煎じ、三番煎じのような話ながら、作り手の信長好きがよく伝わってきて、観心地が良かったように思う。

 近頃はやたらと説明過剰な映画が横行しているなかにあって、できるだけ観る側に想像させる余地というものを奪わないよう努めている感じが伝わってきた。歴史への興味や関心の核心が“想像”にあることを踏まえた好感の持てる造りだった気がする。近頃は、過剰に台詞やナレーションで説明されたり、想起すべきカットを押しつけがましく挿入されたりというようなことが余りにも多すぎる。送り手が観客を信用してないから、観る側が育たないという悪循環に陥ってるように思えてならない。そもそも、答えが一つしかない作品のほうが物足りないように感じられる豊かさこそが映画鑑賞の醍醐味なのだが、そういう作品を観る機会が本当に乏しくなっている。

 本作にしても、そこまでの作品では到底ないのだが、それでも信長(堤真一)がなぜ己が死を知りながら敢えて避けようとしなかったかを誰かの台詞やナレーションで語ることをしなかっただけで、僕がこのような想いを抱くほどに、今の日本映画が鈍臭いメタボ体質になっているわけだ。五年前に一命を観て映画日誌にかくも説明を加えなければ、今の時代の観客には伝わらないというふうに作り手が構えざるを得ない事態になっていることが際立って感じられ、少々情けない思いを誘われたと記したことを思い出した。

 また、お約束のハッピーエンドの設え方に気が利いていて、高級料亭の主である吉岡征次郎(近藤正臣)が「きっと見つかるよ」と言っていた倉本繭子(綾瀬はるか)の“したいこと”への仕舞いのつけ方に納得感があった。すっきりしたいい結末だったように思う。彼女は、婚約者の父である客商売で目の肥えた吉岡から、真っ直ぐないい娘だと褒められていたが、綾瀬はるかは、愚直というようなものが実によく似合う女優だ。繭子のような女性は、得意中の得意キャラだと改めて思った。

 それにしても、天下統一の大願成就を目前に志半ばで自分が謀反に倒れた後の世に、己が求めた平和な世界が瞠目すべき形で訪れていることを知った信長が素晴らしかった。いま己が討たれることに意味があると即座に悟り、目先の延命など画策しなかった“スケール感と先見力”こそが信長の真骨頂だという作り手のメッセージから今の権力者を見渡すと、規制緩和を口実に利権の組み直しを図りカジノ法や武器・原発輸出によって新たな巨大利権を漁ろうとしているようにしか見えないことが、ほとほと情けなくなる。
 
by ヤマ

'17. 1.14. TOHOシネマズ7



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>