『青い鳥』
監督 中西健二


 人において、“責任”というものが何であり、“教える”とはどういうことなのか。それについて常々自分の思っていることと共鳴するところが多く、とても納得感の得られる物語だったが、現実感となると、かなり疑問だったりもする。だが、ルポルタージュではないのだから、これで大いに結構じゃないかという気がした。


 かねがね僕は、“責任”というものは負うものであって、取って取れるものなどではないと思っているので、自分からの表明であれ他人への強迫であれ、人の口の端に「責任を取る」という言葉がのぼる度に、核心から外れた表層的な欺瞞を感じずにいられないでいる。だから、取り返しの付かないことに関わった責任というのは、教員の目通しに適うまで何度も書き改めた反省文を原稿用紙5枚以上綴るなどという被害者不在の一方的なセレモニーとともに一刻も早く忘却の彼方に追い遣ろうとするような卑怯な振る舞いではなく、苦しくとも決して忘れずにいることだと園部真一(本郷奏多)に説く村内先生(阿部寛)の言葉に共感を覚えた。彼もまた、自身の負うべき責任として忘れてはならない出来事を抱えていればこそ、時折そっと胸のポケットから少し古いクラス写真を取り出しては、一人眺めていたのだろう。教員になって何年目の頃のことなのか、まだ若い先生だった時分のように思えた。

 イジメによる生徒の自殺未遂に続く転校という事態が起きて休職してしまった教員を補う臨時教員として教育委員会から派遣されてきた村内先生は、その短期間の在任中に後進の若い島崎先生(伊藤歩)や関わった生徒たちにそれなりの影響を与え、大事なことを伝え教えることができていたわけだが、彼がそういう教師になったことについては、その過去の出来事にまつわる自身の責任というものに本気で向かい合った経験が大きく作用していることが示唆されていたように思う。そもそも人は人に対して、何かを教えようと意図して教えたり影響を与えたりできるものではないと同時に、必ず人は人から何かを教わるものであり、影響も受けるものだ。だが、それはあくまで相互作用であって、教えようとか影響を与えようとする側からの一方的な思いで叶うものでは到底ない。かといって、そのような思いを抱くことすらしなくなれば、ますます教えることや影響を与えることから遠ざかってしまうように思われるのが教職というもののなかなかつらいところで、“弛まず気負わず挫けず”が要となる職だという気が僕はしている。寡黙な村内先生は、そこのところをよく知るばかりか、体現全うしていて立派だった。


 チラシの表に刷り込まれた「大人は、みんな、十四歳だった。」という惹句からすれば、廣末哲万監督の14歳のほうが遥かに痛烈だったが、吃音症があって滑らかに喋ることのできない村内先生を演じた阿部寛の説得力には感じ入るものがあった。台詞もそう多くはないだけに、余計に印象深い。

 そして、僕のなかのイジメにまつわる遠い日の記憶を呼び起こされたりして、感慨深いものが湧いてきた。確か二十代の時分だったか、中高一貫教育の私学を卒業した僕の学校の同窓会が初めて学年単位で大規模に開催されたときのことだが、それまでのクラス単位や有志による同窓会には出てきたことのない者が初めて顔を見せたりもしていたなかに、高校時分にイジメに遭っていた同窓生がいた。卒業して十年くらい経ってのことなので、当時それに加担していた面々は少々怯みながらも、こうして顔を出してくれていることに安堵を窺わせつつ、直接的な謝罪は留保した屈託と共に自分たちの嘗ての行状を非とする旨の発言を彼の耳にも届く形で仲間内で発していたりしたのだが、僕が驚いたのは、県外で既に家庭も持って暮らしているとの彼が今回の同窓会に出席する気になったのは、僕に礼が言いたかったからだと伝えられたことだった。


 高校時分の一時期、僕が独り暮らしをしていた一軒家はチョイ悪どもの溜まり場の一つになっていて、彼も出入りしていたのだが、その仲間内で悪ふざけの高じたイジメが、女生徒も加わる形で常態化していたことがある。そのことに不快感を抱いていた僕は、あるとき我が家で酒盛りをしているなかで蛮行が始まった際に、止めるよう制したのだが、指示すれば直ちに了承されるという位置に僕はいなかったから、軽く無視されてしまい、そのことに一番の腹立ちを覚えて、家主であることを楯に少々激して「ここは俺のシマだ。ここでこんなことをするのは許さんから出て行け。」と怒鳴りつけたことがある。その行き掛かりで、昼間の教室や廊下でもその後に僕が見かけた二三の場面で文句をつけたことがあって、彼はそうした事々に対して、そのとき本当に嬉しかった救われたと謝辞を伝えてくれたのだった。僕が今なお忘れられないでいるのは、そのときに感じた強烈な恥ずかしさのことだ。

 僕は、そんな殊勝な心掛けで、彼のために何かをしたのではなかった。それなのに「礼を言ってもらうほどのことをしたわけではないよ。」と返す言葉も謙遜のように受け取られ、居たたまれない気持ちになったことが忘れられない。僕が激して怒鳴りつけたのは、自分の制止が無視されたからであって、彼のためではなかったし、制止したのも彼のためというよりは、そういう蛮行を自分が目前にしたくはなかったからというのが最も強い動機だったとの自覚が今もある。要は自分のために自分がとった行動に過ぎないわけで、そのことに対して十年もの時を隔てて感謝されると、その謝辞に応分と言える行動を取ってはいなかったことからくる不均衡感に苛まれるような気がした。だから、居たたまれない気持ちになったのだと思っている。つまり、この映画でキーワードになっていた“本気”で彼を守ろうとしたわけではなかったということだ。

 むしろ小学生時分の僕は、さまざまな嫌がらせを撒き散らすことを得意としていて、担任の先生から行く末を案じられたりもしていた。だが、誰か特定の者をターゲットにしてイジメるような真似は大嫌いで、高校のときに僕が抱いていた不快感や制止には、そのことが作用していたのかもしれないが、ただそれだけのことだ。おかげでせっかく声を掛けてくれた彼とは、あまり長く話をすることに耐えられないまま、当たり障りなく過ごすしかなかった。その後の彼は、二度と同窓会に顔を出すこともなく、僕自身も再会する機会がないままになっている。あのときの謝辞にどう対すればよかったのか、今もって分からないでいる。そんなことに想いの及んだ作品だった。


 それにしても、高知では、あたご劇場での上映だったから、例によって閑古鳥が鳴いていたが、都会ではどうだったのだろう。こういう地味な作品は、やはり見向きもされないのだろうか。残念なことだ。



推薦テクスト:「シューテツさんmixi」より
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推薦テクスト:「超兄貴ざんすさんmixi」より
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by ヤマ

'09. 4.20. あたご劇場



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