『連弾』
監督 竹中 直人


 情けないかっこよさ、冴えないかっこよさをユーモラスにセンシティヴに描いて、実に味のある作品だ。繊細な優しさと表裏一体となった気弱さゆえに、いつだってマトモに表現できずに、おどけたり、茶化したり、呟いたり、といった形にしてしまう男の哀しさが切ない。そんな男の姿をけっしてネガティヴなものにせずに、ある種のかっこよさにまで昇華しているのはたいしたもので、ふと黒い瞳(ニキータ・ミハルコフ監督)のロマーノを思い起こしたりもしつつ、ロマーノには哀感はあっても、かっこよさはなかったなぁと思ったりした。

 それにしても、妻と夫が男女のジェンダーを取り違えたような夫婦の物語がまるで違和感なく観られる時代になっていることを痛感させたうえで、ジェンダーとしての教化や訓練を課せられずに、男女の生来的な気質を育んだら、その性格形成はむしろこちらのほうが本来的ではないかとさえ思わせるところが、すぐれて同時代性を湛えていて見事なものだ。美奈子(天海祐希)と真理(冨貴塚桂香) に留まらぬ女性たちの気丈さと正太郎(竹中直人)や徹(蓑輪裕太)だけではない男たちの軟弱さが実に自然で、普遍的ですらある。そういう印象を残すうえで、正太郎が経済的に美奈子に依存しているわけではないという設定は重要だ。

 加えて、夫や父親としてならば、従前からの家庭イメージとしても、けっして褒められたものではないにしても、特段に顰蹙を買うまでもなく、ありがちなこととして見過ごされてきたようなものが、家庭的には随分なことで、いい気なものであることを男たちに鮮やかに自覚させる作品でもある。それには、妻のほうにそういう役処を与えることで観ている男たちにある種の不快感を生じさせる手法が効果をあげている。また、女たちには、ある種のパロディないしは皮肉として、日頃の溜飲を下げさせる痛快さを与える効果をあげているような気もする。そして、これまで母親が担ってきた役割の重みを再認識させたりもする。しかもそれでいて、そういった役割を女性が負うべきだといった描き方をしていないところが見識だ。

 この作品が、それらのことを意図したものとしてではなく、結果的なものとしてそういう効果をあげるうえで、コミカルな軽みは、実に重要な演出上の鍵を握っていたと思われるのだが、竹中直人も天海祐希も全く役処に嵌まった絶妙の演技だ。竹中直人は、いかにも得意とするキャラで、嵌まり役なのだから感心はしても驚きが少ないのだが、天海祐希には唸らされた。持てる個性を初めて開花させたようにさえ思える快演だった。竹中自身の作詞作曲による鼻歌の数々も楽しかったが、ピアノ曲として使った曲が、誰でも聴いたことのあるような曲ばかりで感心した。芸人から映画界に進出して映画監督として成功した第一人者は、今の日本ではビートたけしなのかもしれないが、単に技術的なものではなくて、時代性や題材も含めてトータルな部分でみると、実は竹中直人のほうが上ではないかと僕は密かに思っている。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲がっちゃいました。」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2001lecinemaindex.html#anchor000592
by ヤマ

'01. 6.24. 県立美術館ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

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