『山河ノスタルジア』(Mountains May Depart【山河故人】)
監督 ジャ・ジャンクー

 生まれ育った街に暮らし、孫子を持つ今に至るまで母語しか話さないですむ生活をし、離婚も生き別れも経験していない僕にはなかなか想い及ばない人のアイデンティティとか人生の拠り所について想像を触発される力作だったように思う。2014年に40歳になる世代にとって♪Go West♪や『トップ・ガン』『スーパーマン』が同時代のものになるのか?と、それらがまさに自身にとって同時代のものだった間もなく還暦を迎える僕には疑問が残ったが、オープニングでもエンディングでも印象的に流れた♪Go West♪が実に味わい深かった。

 1999年の♪Go West♪は、原曲の主題どおりまさしく開拓と解放の象徴であって、中国が鄧小平以降の開放政策によって飛躍的な経済成長を遂げるとともに急速に極端なまでの格差社会へと向かっていった '90年代の最後に位置する年だが、それから四半世紀を過ぎた2025年になって五十路に至ったと思しきタオ(チャオ・タオ)が雪の舞う野外で黙して踊る心のなかに響く♪Go West♪を聴いていると、仏教文化にある“西方浄土”を思わずにはいられなかった。

 僕が日本で過ごしてきた六十年余りの間に起こる変化を中国は本作に描かれた四半世紀という半分以下の期間で駆け抜けていることがまざまざと突き付けられ、生を紡ぐにも想いを繋ぐにもまことに過酷であったことが想像に難くないように感じた。

 2025年には日本人においても、ジンシェン(チャン・イー)のように母国と母語を失い銃器集めを趣味として暮らす孤独な富裕層が頻出しているのだろうか。母親の名前はタオで「波」と同じ音だとダオラー(ドン・ズージェン)はミア(シルヴィア・チャン)に話していたから、母親の名前同様に中国語を忘れたわけでもなかろうに話せないふりをし、中国をかような国にした世代の父親との対話に通訳としてミアを介して臨むようになるとともに、自身を試験管ベイビーだと騙るようになっていることが実に痛烈だった。

 それでも、両親の離婚によって幼児期に生き別れた後、7歳のときに幾日か共に過ごし、母から貰った鍵のペンダントを肌身離さず身に着けている思慕があらばこそ、母親ほどに歳の離れたミアへの想いが湧くのを禁じ得ないということなのだろう。この、ある種、通常とは違う特異な精神性こそは、いびつな政経分離政策と速過ぎる社会変化に晒されてきた中国の若者たちが負っているものだと作り手が訴えているように感じた。すなわち、米ドルが既に価値を失っている時代に成人前でありながら米ドルを名前に負った若者にとっての失われた生母の存在が、まさしく生まれた国に重なっているような気がしたのだった。

 この2025年の部分がなければ、それこそ邦題のごとく、主にタオの側からの失われた時間に対するノスタルジックな想いを捉えた作品となったかもしれないのだが、流石は『罪の手ざわり』['13]のジャ・ジャンクーだ。あざとさの目立った長江哀歌['06]を越えてからの作品は実に見事だと改めて思った。こうなると、同じく脚本・監督を担った『四川のうた』['08]が俄然気になってくるのだが、スクリーンで観る機会はなかなか得られそうにないのが残念だ。




歌詞和訳:https://lyrics.red-goose.com/go-west-pet-shop-boys-village-people/




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953193038&owner_id=3700229
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/17020502/
 
by ヤマ

'17. 2. 9. あたご劇場



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