『スノーデン』(Snowden)
監督 オリヴァー・ストーン

 いかにもオリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史をものしたストーンらしい作品だったように思う。スノーデンの告発によりNSA(米国国家安全保障局)による大量諜報活動が禁じられようと、いったん開いた箱というか検索システムの存在は封印できないに違いない。

 ICTを利用するということがどういうことなのかを知り、個々人がむやみに情報を提供しないようにするとともに、そのリスクを社会的に認知することが必要なのだろう。自動車事故が惨事を引き起こすからといって、自動車を失くすことができないように、ICTそのものを昔に戻すことなど出来るはずがないからだ。そういう気持ちの悪さが働いて、僕は、ケータイを持たず、ネットに自分から画像を上げたりしないのだが、インターネットやSNSの利用までも止める気は全くない、というか、できない。

 作中に「この数か月、数年で状況は劇的に変化している」との台詞があり、「政府の(運用)方針さえ変わればたちまち独裁を可能にしてしまう」との指摘があった。政府が国民を過度に監視しないよう国民は政府を監視する必要があるわけだ。社会的公正を担保するために必要な監視や捕捉は、これだけ既に個人情報が大海に溢れている時代にあっては、ただの利己的な強欲さをプライヴァシーの名の下に保護するのはナンセンスだという気がするが、日本国憲法第十九条に保証されている“良心(conscience)の自由”を脅かすような監視は断じて許してはならないと思う。

 そういう意味からは、前日に観た沈黙―サイレンス―に通じるような人間における“良心(good conscience)”というものの有り様を問うている作品だった気もする。ジョセフ・ゴードン=レヴィットの演じたエドワード・スノーデンその人の告発動機に、本作に描かれてはいない他の何かが仮にあったにしても、彼の発した警世の持つ意味には変わりがないように思う。




参照テクストグレン・グリーンウォルド 著 『暴露 スノーデンが私に託したファイル』(新潮社 単行本)を読んで
 
by ヤマ

'17. 1.29 TOHOシネマズ3



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