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『スイートリトルライズ』をめぐる往復書簡編集採録 | |||||
TAOさん ヤマ(管理人) | |||||
2013年08月31日 09時56分
(TAOさん) 『スイートリトルライズ』拝読。出た!夜明けの街で!(笑) 東野啓吾と江國香織が同じテーマで書いていたなんて、びっくりしましたが、たしかにそうなのかも。男と女の感性って、ほんとに違ってて笑っちゃいますね。 ちなみにどちらも私はちょっと苦手かもしれない。でも、映画版はすごく気に入りました!男女両方の眼が入っているのがいいんだと思います。 ヤマ(管理人) ようこそ、TAOさん。 『スイートリトルライズ』の映画日誌での一番ウケは、やはり『夜明けの街で』になるんっすか?(苦笑) 「出た!」とまで言われてる…(ククク)。 で、そちらのmixi日記も拝見。「矢崎仁司にハズレなし。江國香織の現実離れした世界を静かにスリリングに描いて、成瀬巳喜男のような生々しさを成立させてしまう。」とお書きでしたが、いつもながら的確ですねー。まさしくそうでした。ぜひ『不倫純愛』をご覧になって、絶句してください(笑)。 当然と言えば、当然ながら、TAOさんは瑠璃子を軸にご覧になっていますよね? 無自覚とさえ言える彼女のコワさは、破格ですし(笑)。(ま、春夫から別れを告げられたテディベア愛好者の美也子【安藤サクラ】が吐き捨てた「孤独なのは、何もあんただけじゃないんだからね」っていうのも、かなりコワかったし、しほ【池脇千鶴】が「どうしよう、どんどんよくなっていっちゃう」と聡に告げる場面も、とってもコワくて、スイートどころじゃねぇやって感じでしたが。) 女性は、皆さん、とってもコワかったですね(笑)。でも、わかっちゃいるけど、止められないってとこでしょうか。瑠璃子が帰ってきたのも、聡がもう帰ってくることにしようと考えたのも、春夫やしほのその台詞に“コワさ”を感じたからなんでしょうね。言わば、怯んだのではないかという気がします。 そうして、逃げ帰ってきた岩本夫妻のその後について、TAOさんは、どのように推測なさいますか?(笑) (TAOさん) ヤマさん、ハズレなしと思っていた矢崎作品にハズレがあったとはショック。何があったんでしょうね? 絶対見たくないけど、見てみたい気もします(笑)。 聡はしほの本気に”怯んで”逃げ帰ってきたと思うのですが、瑠璃子の場合はちょっとニュアンスが違う気がします。春男の本気が煩わしいと思った瞬間に、恋が終わったことに気づき、家の中に”恋”がなくなったから、婚外恋愛に身をまかせてみたけれど、自分が欲しかったのは必ずや終わりの来る恋ではなく、聡の腕の中に包まれる温かさだったと気づいた。 といっても、私はこの夫婦がこのまま巧くいくとはあまり思えないのです。瑠璃子のコワさって生身の男性が長年耐えられるものでしょうか(笑)。妻たちの多くは、韓流スターに熱をあげたりして乙女心を満足させ、家庭内の安定を維持するわけですけど、瑠璃子のような女性は一生そうならない気がします。婚外に求めなくなった分、ますます聡に求めるところが多くなるはず。それってしんどくないですか?(笑) ヤマ(管理人) なるほど。怯むのは男であって、瑠璃子は違うと。確かに。 彼女が終わりにしたのは、春夫に対して怯んだのではなくて、煩わしさを覚えたからだというのは非常に納得感があります。やっぱ毎朝、ガラスをノックして窓越しに「おはよ」と口を開けて見せる瑠璃子は、夫(聡であれ誰であれ)の腕の中に包まれる温かさを求めているんですよね。うん、そう解するほうが更にコワさが増しますし、女性に似つかわしい心情のような気がします(笑)。でもって、確かに、相当しんどいです、その手の女性は(笑)。 でも、それって僅か結婚3年でセックスレスに至らせるような“きちんとした窮屈なリズム”を瑠璃子が構築したからであって、春夫との不埒極まりない海辺での逢瀬をも経て“毒”を手に入れたのちの瑠璃子は、同じ轍を繰り返したりはしない気もしますよ。 作り手のイメージの中に、僕が感じたような『三月のライオン』に登場した老夫婦の姿があったかどうかは、定かではありませんが、そのことは別にしても、あのようにして聡が腕の輪を形にするようになったわけですから、瑠璃子にも変化が訪れるような気がします。 原作でどうなっているかは知りませんが、映画化作品では、原作と同じ結末であったにせよ、違っていたにせよ、いずれにしても原作からすでに離れた地平で、このラストを構えていたように思います。 瑠璃子が聡をゲーム室に籠城させた几帳面さは、『ぐるりのこと。』の翔子(木村多江)が夫を萎えさせていたようなものに通じるところがあるわけですが、瑠璃子は翔子のような病み方をせずに済むような気がします。 また、『ぐるりのこと。』のカナオ(リリー・フランキー)以上に受身的な聡のほうも、カナオのように妻が病に至るまで“攻めに転じること”をしないとも限らないような気がするんですよね。きっと転機は岩本夫妻にも来るのだろうし、今回のことがまさしくそれだったに違いないと観るのは、瑠璃子に対する観方として、まだまだ甘いというところでしょうか?(笑) それはそうと、スルーさせちゃった『夜明けの街で』ネタの件ですが、お気になさらずにね。いやぁ、わかってらっしゃると、むしろ感心していたくらいです。ご推察のとおり、かの作品は、僕にとって少々特別な作品であり、本作での聡へのしほの迫り方を観ながら、仲西秋葉(深田恭子)のことを想起しましたもん。 で、映画では、しほに秋葉のような思惑は露わにされてませんでしたが、あれは額面通りに受け取っていいものでしょうか? また、瑠璃子は間違いなく春夫の元から岩本夫妻の腕の輪の中に帰ってこれるのですが、聡のほうも彼自身の決意ひとつで易々と帰って来れると観ていいのかどうかということについては、どう思われますか? (TAOさん) 『ぐるりのこと。』の翔子は、複雑な家庭に育ったが故に安定した家庭がほしかった人ですよね。でも、瑠璃子はいつまでも恋をしていたい人=安定したくない人で、今回のトラブルで恋の限界を見て、安定の良さを見直したとはいえ、私にはこのまま収まるとはちょっと思えないのです。“毒を手に入れた”と言うよりは、むしろ多少はガス抜きしたかなという印象です。ただ彼女の場合は、毒を撒き散らしはしても自ら病むことはなさそうですね。エゴがめちゃくちゃ強い人だから。 子どもでも生まれて、あるいはテディベアではないもっと違う創作活動を始めるとかで、あの息苦しい家がもう少しワイルドにアナーキーに開放的に変わっていけば、ふたりの関係も、もう少し風通しがよくなるかもしれません。そうならなければ、また聡の眼は外に向くでしょうし、瑠璃子は子育てが一段落した後、またひと荒れしそうな気がします。 『夜明けの街で』ネタの件は、さらにツッコミを入れるつもりでしたが、武士の情けでスルーしました(笑)。「映画では、しほに秋葉のような思惑は露わにされてませんでしたが、あれは額面通りに受け取っていいものでしょうか?」とのことですが、いや〜ダメでしょう。しほのほうがむしろゲーム度が高い気がします。「どうしよう、どんどんよくなっていっちゃう」なんて苦笑もの。こういう子は会社でも上司のごきげんをとるのが巧そうです。 聡はすっかり騙されて、怯んじゃったわけですけど、当然引きずるでしょうね〜。瑠璃子との関係如何では、再燃もありでしょう。 ヤマ(管理人) 瑠璃子のあのエゴの強さは、毒で以て制することも叶わない一生ものかもしれません。それだと淋しさのほうも一生ものということになりますよね。まぁ、そういうものかもしれませんね。 子供のもたらす変化というのは、一つ大きな要素かもしれませんね。おっしゃるように、巣立ちのときまでのモラトリアムに過ぎないのかもしれませんが。 しほが秋葉よりゲーム度が高いというのは、僕も同感です。その分、聡が“帰還”をきちんと決めれば、それ以上には引っ張ったりしない気がしました。甘いかな?(笑) しほの側の理由ではなく、聡自身の都合で引き摺る可能性というのは大いにあると思いますし、いったん帰還しても、しほさえ応えれば再燃というのも、ありそうな話だと思います。決して自分から誘いを掛けなかった聡ですが、いったんそうなれば、引き摺る可能性、大ですよねー(笑)。 ところで、武士の情けで見送ったとのツッコミって何ですよ?(笑) なんか気になるじゃありませんか〜(笑)。 (TAOさん) 瑠璃子の業は深く、ちょっとやそっとじゃ満たされない人に思えました。一生淋しさを抱えて生きていくかもしれませんね。 そういう風情に聡は惹かれたんだと思うんですけど、何かといろいろ大変でしょうから、しほのようなカワイイ後輩にうるうる目線で見られれば、ふらふらとなびく気持ちはとてもよくわかります! それでもやっぱり帰還を決めたとあれば、少なくとも行動に出ることはしないでしょうね。心の奥にそっと大事にとっておくだけかな。まんざらでもない気持ちと共に。 考えてみると、瑠璃子との暮らしで知らず知らずに疲れていた聡の心は、カワイイ生身の後輩に身も心も求められることで癒やされたからこそ、帰還へのパワーが充電されたのかもしれませんよね。しほみたいに恋愛をゲームのように思ってしまう子には、やはり結婚の重みがわかってないのだとも言えます。 >なんか気になるじゃありませんか〜(笑)。 えへへ。いや、だから、そうやって過剰に反応するところをまたまた〜とつっこもうかなと思っただけですってば(笑)。 ヤマ(管理人) 過剰反応か…(あたたたた)。でもなぁ、「出た〜」だもんなぁ(笑)。 病んでしまう翔子と瑠璃子の違いは、確かにそこにありそうですね。喪失体験の度合いの違いということもありそうですが…。いくらセックスレスといっても、子供とじゃ、比較になりませんよね? 帰還パワー充電説には、一理ありますね。『屋根裏部屋のマリアたち』のジャン=ルイは逆方向へのパワーを充電してもらったわけですが、やはり「身も心も」の部分が大きかったような気がしますよね。しほ、秋葉、マリア、いずれも動機的には異なるものがあるような気がしますが、自ら求めていったわけではなかった男たちが揃いも揃って脆い点では、共通してますよねー。 ところで、TAOさんは『身も心も』や『皆月』はご覧になってますか? (TAOさん) >でもなぁ、出た〜だもんなぁ(笑)。 『夜明けの街で』の文字が3D映画みたいにくっきり太字で目に飛び込んできたもんで、つい・・・(笑) 翔子の場合は父親の蒸発を引きずって生きていましたからね。それがなければ、新たな喪失感に襲われても、致命傷にはならなかったでしょう。 >自ら求めていったわけではなかった男たちが揃いも揃って脆い 脆いというより、スキでしょうね。自我のたががゆるんで何か変化を求めている感じ。俗に言う、魚心あれば水心。たぶん性差はないと思うのですが、ガードが堅く、まるで変わる余地がない相手には、触手が動かないのでは。 あいにくと『身も心も』も『皆月』も未見です〜。“身も心も”つながりなのに残念です! ヤマ(管理人) 3Dとな! 恐れ入りました(笑)。過敏なんは、むしろ貴女のほうですやん(笑)。 で、「ガードが堅く、まるで変わる余地がない相手には、触手が動かない」というのは、仕掛けた秋葉にも、しほにも、マリアにも、さらには瑠璃子に仕掛けた春夫にも共通して言えるということなんでしょうか? また、仕掛けても通じそうにない相手には触手が動かないってことですか? (TAOさん) あはは。よく家人に表現が大げさすぎると言われます〜。 触手が動かない、は、秋葉やしほやマリアに限らず、いわゆる恋愛好きとか、ゲームや詐欺も含めた”ハンター系”の人にはすべて言えると思うのですが、春夫もそういうタイプでしたっけ。ちょっと記憶が曖昧です。少なくとも恋愛下手って感じではなかったですね〜。 >また、仕掛けても通じそうにない相手には触手が動かないってことですか? たぶん一般的にはそうだと思うのですが、なかにはすぐ落ちる相手じゃつまらないから、難攻不落なタイプにこそ萌えるチャレンジャーもいますよね。『危険な関係』のヴァルモン公爵のような人とか。 ヤマ(管理人) ハンター系は、しほに少し感じるけど、他の秋葉やマリア、春夫にはあまり感じなかったなぁ。秋葉の場合は、異なる動機でハンターになる必要があっただけで、元来は恋愛ハンターじゃないわけだし、マリアはハントどころか去っていくわけだし、春夫については、ハント技術は確かなものの、瑠璃子への向かい方は彼女を困惑させるほどに真っ直ぐで恋人と別れてしまって、瑠璃子を帰還させ取り逃がす始末だし…(笑)。ゲーム感覚での恋愛っていうのは誰に対してもあまり感じませんでした。 ま、ゲーム感覚でっていうのは置いといても、性差に関係なく、いかにも隙のなさそうな者には、言い寄りは訪れにくいってことですかね? そういう意味では、しほであれ、秋葉であれ、マリアであれ、春夫であれ、彼らが言い寄った相手はみな隙あり!と?(笑) それは確かにそうだと思います。 (TAOさん) ハンターは言い過ぎでしたね〜。 動機はどうあれ、焦点を合わせる本能に長けている人、という意味なのですが。 隙ありの”スキ”は、通常あまりいい意味ではとられませんが、道具でいうところの”あそび”でもあって、破滅や痛手をこうむるリスクと同時に成長や成熟へと向かう可変性や可能性を秘めていますから、案外大事な要素ではないかと私は思いますよ(笑)。 ヤマ(管理人) そうですよ、隙ありは人生にマリーゴールド色の彩りを添える大事な要素なんです!(笑) まさに道具の“あそび”がそうであるように、行き過ぎると箍が外れちゃいますが。是非とも、成長や成熟につなげたいものです…。 | |||||
編集採録by ヤマ 2013年 8月31日〜2013年 9月 7日 | |||||
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