『ぐるりのこと。』
監督 橋口亮輔


 '92年から、'94,'95,'97,'98,'00,'01と十年近くに渡る夫婦の様子を描いていた作品だが、印象として僕に響いてきたのは、法廷画家で糊口を凌ぐ夫カナオ(リリー・フランキー)が垣間見る、その十年間に日本で実際に起きた事件を想起させる数々の事件関係者に窺える荒みと同様に、「普通の人が少々荒んでいるというか ささくれているのが普通であること」が偲ばれるような人々の姿と、病んでいたのが決して妻の翔子(木村多江)だけではないということを、「風刺的に誇張して描くことを注意深く避け、日常性の具体的細部の積み重ねのなかでリアルに映し出していること」だった。

 翔子の周辺で言えば、不動産業を営む兄夫婦(寺島進・安藤玉恵)や母(倍賞美津子)、翔子の父親が懇意にしていたらしいトンカツ屋の親子、翔子が勤める小出版社の社員たちで、カナオの周辺で言えば、諸井(八嶋智人)を始めとする報道関係者や法曹関係者たちのいずれもが、カナオのような“ゆるい穏やかさ”を些かも備えない現代人らしさをリアルに体現しているように感じた。そして、そのことでもたらされるものが“悪意不在の荒み”とも言うべきものであることが描かれていたような気がするのだが、とりわけ翔子の兄の人物造形が見事だったように思う。妹に対しても母親に対しても、更には失踪した父親の旧友家族に対しても、口先だけでない気遣いをそれなりに行うだけの心根を持ちながらも、相手に癒しや救済を与えるどころか逆の作用しか及ぼさず嫌がられるのが無理からぬ様子が、気の毒にも憎々しさにも傾かないバランスでリアルに描き出されているように感じた。そして、そういった人々の描出が悪し様に際立たないよう注意を払うだけでなく、人物配置としてもあまり極端にならないよう「めんどくさい」が口癖のベテラン法廷画家(寺田農)や安田記者(柄本明)を配しつつ、現代に生きることの難儀とつまらなさを映し出していたように思う。だからこそ、少々ファンタジックにさえ受け取られかねない翔子の魂の再生の物語に、現実感が宿ったような気がする。

 現代人は、人とのコミュニケーションを主張や明示によってでないと受け止められなくなってきているように、かねがね僕は感じているのだが、カナオ夫婦の関係に目を向けると、夫カナオが娘の誕生を喜んでいたことについて、密かに残していた鉛筆画を見つけるまでは妻の翔子にとってはよく分からないでいたことだったり、妻にとって“きちんとする”ことの持つ意味の重さを知らずにいた夫の様子を観るにつけ、夫婦がちゃんと夫婦になるまでには少なくとも十年近くはかかるのだと改めて思った。そして、カナオが法廷画家として立ち会ってきた数々の事件の当事者たちにしても、特異で異常とも思える事件に至った過程の始まりは、このコミュニケーション不全による人間関係の構築失敗にあるような気がした。

 僕にとって最も印象深いのは、「きちんとできなかった」人生と自分に嗚咽する翔子をカナオが労わり慈しむ場面だった。いくら意に沿わないにしても、たかだか部屋の蜘蛛を殺したことに妻が地団太を踏む姿にはカナオも動揺したはずなのだが、そこに「些細なことでも、自分の意に沿わない事態のなかにある取り返しの利かなさに対して、どうにも対処のしようがなくなり、自身を持て余す姿」が端的に現れているとともに、起こってしまった事態への苛立ち以上に、その事態に対処できない自分のほうに苛立っている感じが現れていたところが重要で、それが伝わってくるから、カナオに労わりが生まれてきたように僕の目には映った。そこにはまさしく、生まれてきた娘を失ったことへの心の対処ができないままに心療内科に通い、勤めを辞めざるを得なくなったであろうことが推察される彼女の“失敗した人生”への苦しみそのものが表れていたように思う。

 新婚の頃、翔子から見れば、だらしがなくて、ぼんやりしてて、でも、どこか温かみのあるところが自分の家族にはない魅力として映りながらも、生活的にも頼りなくて、自分がしっかりと主導権を握って生活を支え、導いてやらないといけないと思っていたであろうカナオだったわけだが、その夫に見守られ支えられることで魂の再生を得ていた翔子の姿に、時代の荒みのなかにも“救済”があり得ることが信じられる気にさせてくれるところが素敵な作品だと思う。それと同時に、カナオが妻を救うことのできたプロセスに、彼が法廷画家を務め数々の重大事件の関係者を目撃してきた時間の積み重ねが大きく作用しているように感じられた。そして、そのことを意図して関わった活動や時間ではないものが、いつの間にか結果的に妻を救済する力を与えていたような気がしたのだが、その点で、先頃観たばかりのシークレット・サンシャインを想起しないではいられなかった。僕には、カナオと『シークレット・サンシャイン』のキム社長が重なってくる部分があったということだ。大仰に言うなれば、「神なき時代に魂の救済が信じられるか」ということなのだが、そんな物語になっていたように思う。

 140分は、いささか長尺に過ぎた気がしなくもないが、必要な時間だったのかもしれない。




参照テクスト:第63回毎日映画コンクール特別観賞会in香川

推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0901_6.html#gururi
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20080626
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=837405675&owner_id=3700229
推薦テクスト:「超兄貴ざんすさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=855171532&owner_id=3722815
推薦テクスト:「Silence + Light」より
https://silencelight.com/?p=784#toc6
by ヤマ

'08.11.17. あたご劇場



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