『スイートリトルライズ』
監督 矢崎仁司


 同じ矢崎仁司監督作品ということでは、前日に観た新堂冬樹原作の『不倫純愛』['11]が黄色と白のバラで、江國香織原作の本作['10]は、赤と白のバラだったわけだが、矢崎監督もこんなに凡庸な作品を撮るようになったのかと唖然とさせられた『不倫純愛』と違って、本作の出来栄えは雲泥の差だったように思う。非常にデリケートな心情がニュアンス豊かに描かれていて、大いに感心した。

 岩本夫妻(大森南朋・中谷美紀)の暮らすマンションの近所に住む老婆(風見章子)が「人は生きているうちはお化けで、死んでようやく人になる」などと話していたが、彼女が栽培していたと言うトリカブトほどの強毒は別にして、瑠璃子(中谷美紀)のキッチン戸棚のなかで芽吹いていたジャガイモのソラニン程度の毒は、夫婦生活を続けていくうえで必要なものなのかもしれないと思った。そして、慎しく穏やかな仲睦まじさで庭先での散髪をする傍ら冷蔵庫に毒の瓶壺を常備していた三月のライオン['92]に登場した老夫婦は、岩本夫妻の老後の姿だったのかもしれないと思った。

 また、瑠璃子はイラストをテディベアに替えたストロベリーショートケイクス['06]の塔子(岩瀬塔子)のような気がした。そして、三浦しほ(池脇千鶴)のタフさには、『ストロベリーショートケイクス』での里子(池脇千鶴)が併せ持っていたタフネスと明るさが継承されていたように思う。

 兄嫁の瑠璃子に愛人稼業のことを「兄さんには内緒」と言いながら、しれっと告げる文(大島優子)のみならず、夫婦で揃って海に遠出し、旅館で前泊後泊するゆったりした時間のなかで日中にそれぞれが秘密裡に恋人との逢瀬に身を焦がしたりしていた岩本夫妻にしても、その相方となっている三浦しほや津川春夫(小林十市)のいずれにしても、常識的には大顰蹙の行状を平然と重ねている実に不埒な人々ということになるのだろうが、そこにさもしさや浅ましい“貪欲”さが感じられなかったことに感心した。むしろディーセントとさえ言えるような節度感があって、とんでもない厚顔を要するとしか思えないことに対して、“淡々とした熱情”などという半ば矛盾した形容が相応しく思えるような踏み入れ方をしている姿に、不思議とリアリティがあって恐れ入った。つくづく“人は生きているうちはお化け”だと思わずにいられない。

 おそらく彼らにしても、後年に至って当時のことを思い起こすたびに、よくぞあんな大胆で不届きなことをなし得たものだと我が事ながら不思議にさえ感じるようなことであり、そんな出来事をやってしまえるのが人間というものなのだろう。そのような平凡のなかの非凡な日常を炙り出して、大いに説得力があった。僕には戦争体験もないし、突拍子もない連想かもしれないけれども、戦場から生還した人々には、我ながら自分のなし得たことのようには思えない決してスイートとは言えない出来事というものがあっても、何ら不思議はないことだと改めて思った。

 聡(大森南朋)の浮気が判ったら、その場で刺すなどと軽口とも本気とも取れない口調で言っていた瑠璃子のほうが先に婚外恋愛に深入りしていくわけだが、聡ともども自ら求めていったものではなく、面食らいながらも応じていくなかで深みに嵌って行った巻き込まれ型であることに大いに説得力があった。そして、単純に是非を問えないものであることを身を以て思い知っていくプロセスに非常に納得感があった。彼らが出し、または出そうとしていた結論にも納得感があったし、タフな節度を要し破格の高揚感に翻弄される実に御し難く厄介なものであることを体感しているさまが身に沁みた。このあたりをもう少しベタに生々しく描けば、夜明けの街でになるような気がするが、ベタな生々しさを剥ぎ取っているところにこそ、本作の真骨頂があるように思う。

 恋人の美也子(安藤サクラ)との別れを告げた春夫に瑠璃子は「こんなのスイートじゃないわ!」と言っていたが、「とてもスイートじゃないか」と返していた彼の言葉には嘘とも言えない真実があるように感じられた。だからこそ「貴方には嘘をつけない。嘘をつく必要がないの。…人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに。」などと言ってのける瑠璃子の毒に対して、春夫は「ひどい言葉だ。」と力なく零していた。彼にとって、その毒はトリカブトだったのかソラニンだったのか、いずれにしても、恋愛というフィールドにおいて、男は女に太刀打ちできるような存在ではないことを瑠璃子に対しても、しほに対しても感じないではいられなかった。

 ラストで、抱き合うというより腕の輪のなかに囲い込む体勢で、「少し遠出をしていて帰ってきたところなの。」と言う妻に対し、「僕ももうすぐ帰るようにするよ。」と夫が返した岩本夫妻のその後の生活では、セックスレスが解消され、夫が鍵を掛けた自室でTVゲームに耽るようなことがなくなったりするのだろうか。僕は、毒の瓶壺とも言うべきものを手に入れたように見える二人には、それ以前の生活とは異なるものが待っているような気がした。




参照テクスト:『スイートリトルライズ』をめぐる往復書簡編集採録

推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1454361290&owner_id=3700229
by ヤマ

'13. 8.29. BSプレミア録画



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