『ザ・ファイター』(The Fighter)
監督 デヴィッド・O・ラッセル


ヤマのMixi日記 2011年05月20日01:09

 現存する実在の世界チャンピョンになったボクサーの物語で、エンドロールには、モデルの当の兄弟が登場する映画ながら、これほど美化を排した作品づくりを果たせるとは恐れ入った。

 なんと言っても母アリス(メリッサ・レオ)と兄ディッキー(クリスチャン・ベイル)のいかにも頭と柄の悪そうな困ったろくでなしぶりが圧巻で、それも本当に頭の悪さゆえであって、どんなに悪態をついて、ひどい振る舞いをしても、心根が悪いわけではなさそうな気の毒さが窺える人物を見事に造形していた二人に感心。和洋もジャンルも違うけれど、ちょうど王将の坂田三吉がもっと崩れているような人物像なのだが、少なからぬ数で実在していながら、役者が演じるとなると最も難しいタイプの人物像ではないかと思われるのに、二人とも為り切っていて驚かされた。

 チャンプになった弟ミッキー(マーク・ウォルバーグ)の恋人シャーリーンを演じたエイミー・アダムスもかなりの好演で、いかにも掃き溜めのなかでの鶴止まりな感じをよく出していたんだけど、アリスとディッキーのナマな感じを前にすると、少々及ばない。それくらい二人の人物が突出していたように思う。

 そういうところでは、大いに感心したんだけれども、余りに“何だかな〜な人々”の物語で、素直に共感とはいかなかった(苦笑)。物語上のキャラならまだしも、いかにも生々しかったからかもしれない。


*コメント

2011年05月20日 20:58
(とめさん)
そうそう・・・「何だかな〜な人々」なんですよねぇ(笑)。
私もどうもこの作品もうひとつだったんですが、よかった。同じような感覚を抱いた人がいて(笑)。


2011年05月20日 23:42
ヤマ(管理人)
ブログの感想、拝読しました。
「女たちがうるさすぎるから」ともお書きのところに笑いました。
この取り巻き連中は何者?って思ってたら、実の娘たちだったんで唖然としました(笑)。

しかし、アリスと比べて大阪ハムレットの房子(松坂慶子)の何と賢かったことか!(笑)
全部父親の違う三人の息子を抱えてましたが、本当に「○人子供がいても、全部同じように愛しているわ」を果たしてました。
ま、でも、こっちは“based on a true story”じゃないでしょうからね〜(笑)。


2011年05月21日 00:00
(ミノさん)
なんだかな〜な人々(笑)

見てないけど、サイバラリエコの作品読んだ時、そう思いました。

言いたいことはわかるが、こちらと地続き感がないという感じ(笑)


2011年05月21日 06:05
ヤマ(管理人)
そうそう、その感じです(笑)。

パーマネント野ばらを観たとき、『女の子ものがたり』よりは、随分と馴染みやすくなっているにも関わらず、却ってそれゆえに明白に、疎外感を感じました(あは)。
僕はそれを、自分が女性じゃないからと受け止めていたんですが、女性でも、共感より自分との“地続き感のなさ”によって共感を阻まれてたりする作品だったんですねー。

自分との地続き感を持てない人物すべてに対してそう感じるのかってことで言えば、必ずしもそうではないわけで、結局のところ、“なんだかな〜な人々”と感じてしまう登場人物たちに、好感どころか、嫌悪感を覚えていたりするから、共感できないんでしょうね。

でも、考えてみれば、人が“嫌悪”という強い感情に囚われる場合って、得てして自分自身を脅かす近しさを感じていればこそってことが多いから、むしろ僕は、アリスやディッキーと地続きなのかも(おろ)。
地続きであることと、地続き感を持つこと、とは別物だもんなー(苦笑)。


2011年05月21日 07:52
(TAOさん)
私は地続き感を感じたのかな〜(笑)
『パーマネント野ばら』よりはるかに共感したし、楽しめました。

ヤマさんの「掃き溜めのなかでの鶴止まり」って凄い表現だな〜(笑)


2011年05月21日 08:36
(ミノさん)
TAOさん
 ヤマさんの「掃き溜めのなかでの鶴止まり」って凄い表現だな〜
そうそう、私も、最初読んだ時「すげえ」ってドキイってしました。
「せいぜい掃き溜めの鶴止まり」っていう冷ややかさに(笑)。

ヤマさんがアリスやディッキーに嫌悪を覚えるのは、近親憎悪的なものよりもやはり、その「柄の悪さ」の方じゃないのかしら。

「扱い切れない」感じがするとか?で、「脅かされる」と。

人って、自分を脅かすものを憎悪するけど、そもそも別次元にあるものだと、関心がもてなかったりしますけど、地続き感の有無ってなんか、「自分の物語じゃないなあ」みたいな感覚があるかないか、ってとこですもんねえ。

そのへん探ると面白そうですねえ。
「面白い映画」に対しての探索より「ちょっとイヤだったな」の探索の方が自己探索としては興味深い宝がありそうな。


2011年05月21日 09:24
ヤマ(管理人)
◎TAOさん、
地続きであることと地続き感を持つことは別物ですから、二人のいかにも頭と柄の悪そうな困ったろくでなしぶりにTAOさんが地続き感を持ってもおかしくはありませんが、地続きではなさそうですよ。

◎「掃き溜めのなかでの鶴止まり」
TAOさん、ミノさん、そんなにインパクトありましたか?
思わぬ反響に驚きつつもにんまり(礼)。
サンシャイン・クリーニングのときもそうでしたが、田舎高校の花形チアリーダー止まりでプロにはなれない華っていう感じ、彼女は、とても巧く出していたように思います。
掃き溜めだと華があって目立つけど、それなりの場に出ると埋没する程度の華というような意味合いを一言で片付けようとしただけなんですが、思い掛けなく、受けましたねー。
僕としては、冷ややかなつもりはないのよ(笑)。

◎ミノさん、
対処の仕方が判らないことによって脅かされる感じっていうのは、なるほど確かに鋭い御指摘ですね。
地続きとは正反対の隔絶ゆえの嫌悪ですか。ふーむ。
おっしゃるように、このへん探ると面白そうだな。
トリアーとかハネケ、ゴダールの作品なんて、格好の材料ですね。

ちなみに僕は、
トリアー:好き&面白い、ハネケ:嫌い&面白い、ゴダール:嫌い&面白くない
です(笑)。


2011年05月22日 10:57
(TAOさん)
◎ヤマさん
 掃き溜めだと華があって目立つけど、それなりの場に出ると埋没する程度の華というような意味合いを一言で片付けようとしただけなんですが、
いや、その”一言で片付けよう”という冷酷さと表現の的確さに、オンナはひやりとするんです〜。
素直に騙されてくれるオトコがたくさんいるからこそ、オンナは生きやすいんですから(笑)

◎ミノさん
「ちょっとイヤだったな映画」にこそその人が現れるって面白いですねー。
年齢や経験によっても変わりますね。
映画じゃないけど、10代の終わりに文楽や歌舞伎で近松を見たときは、女房と女郎の間でウロウロ迷うような男が嫌いでしょうがなかったのに、今では許せるようになってきました(笑)


2011年05月23日 06:40
ヤマ(管理人)
そーか、一言で片付けちゃいけないのか(笑)。
でも、くどくど言うと、もっといけない気も(あは)。
いずれにしても「せいぜい」などとは一言もいってなくても、そういうニュアンスで受け止められる“止まり”ではあったのね(笑)。

でも、生きやすさの件で言えば、華を受け取っているのは間違いないし、高嶺の華になってて手も届かない感じより、むしろ好感を抱いている場合のほうが多いんですよ、現実的には。

あと、せっかくトリアー、ハネケと今の監督並べながら、ゴダールだけ今だに感で持ち出すのもバランス悪いので、うえの「嫌い&面白くない」のとこは、オゾン作品に替えときますね(笑)。

2011年05月23日 13:02
(ミノさん)
あ、オゾンに訂正されてる(笑)。
わたし、どっちにしろハネケもトリアーもわからないけど(笑)。

確かに通用する舞台がどこまでか、であり「華はある」 わけですが。
人って、どこかで「出るとこ出れば自分だって」って思う生き物で、「○○止まり」てのは、自分が自分に評価を下すにはOKでも、他人からは言われたくない言葉の一つなんでしょうな〜。判定者が自分か、他者か、は大きいんでしょうね(笑)。

当たってると余計に腹立ったりね(笑)。

@TAOさん
許せる男の許容範囲が広がったということで、おめでとうございます(笑)。

長く生きれば生きるほど、許容範囲が狭くなっていく一方もあれば、広くなっていくこともありますね。

適切なゆるさを持つのって、「ひたすら生真面目に生きる」なんてのより余程難しいんですね。誰も教えてくれませんし。


2011年05月23日 21:16
ヤマ(管理人)
勝手に止めるなよな〜、オイってとこね(笑)。
まぁでも、僕が「掃き溜めのなかでの鶴止まり」って言ったところで、シャーリーンの耳に届いたりはしないんだけどな。

それはともかく、自分で言うのはいいけど、人には言われたくないってこと、人には少なからずあるんだろうけど、それってたいがい図星のことが多いんでしょうね。
なにせ自他共に認めているわけだし(笑)。

でもって、年を重ねるほどに狭量になることと寛容になれることって、確かにありますよね〜。
でも、その違いって、どういうとこから来るのかなぁ。
例えば、TAOさんの持ち出した“女房と女郎の間でウロウロ迷うような男”なんかの場合、嫌いだったのが許せるようになる契機って何なんでしょうねー。
って、どんどん『ザ・ファイター』から離れていく談義!(笑)


2011年05月24日 17:38
(TAOさん)
うーむ、優柔不断男に寛容となった契機。
私の場合、とくに契機というようなものはなかったような・・・。
ある日ふと気がつくと、子供の頃はさして美味とも思わなかった焼き茄子のおいしさにハタと目覚めたのと同じで、年齢と共に自然に脳の中に受容体が増えた感じです。

逆に、年齢と共に狭量になっていることもありますねー。
若い頃はつきあっていた監督でも、もうつきあわなくていいやと思ってます。
ゴダールの新作はパスしましたよ(笑)


2011年05月24日 19:17
ヤマ(管理人)
あんだけ早起きが苦手だった僕が、いつの間にか苦もなく自然と目覚めるようになったのと似たもんかしら(笑)。

年齢と共に狭量になっているのは、一日に観る映画の本数だな〜。三本立てだと得したように感じてたのが、今や一日一本が望ましい。いっぺんに何本も観ることを受け付けにくくなってるなぁ。


2011年05月25日 06:51
(TAOさん)
同感同感。3本立てどころか2本立ても辛い。
1日1本ですねー。作品によっては1日空けたくなるときもあります。
すぐに別の作品で上書きされるのはもったいなくて。

それと、見たことないものを見たいという欲求はまだまだあるんですけど、娯楽のための暴力とエロには飽きてますねえ。

そうだ、若さに対してはどんどん寛容になってますね。
自分が若いときは、若さが鬱陶しかったのに、
今ではかけがえのないものに見えます!(笑)


2011年05月25日 08:17
(ミノさん)
そうですよ〜二人とも過剰摂取で生活習慣病になりますよ〜。
私みたいに3か月に一本ペースでですね〜(笑)

映画って、時間贅沢な娯楽なんですよね。
時間に余裕がある人しか劇場鑑賞は高嶺の花。
わたし、子供の塾の合間にいきたいけど、いつも「あと15分足りない」的断念だもん〜
TAOさんの焼きナス、なんかおかしい(笑)

最近年とって、人に対しての感情の許容度について自覚したのは、例えば疲労している状態なんかで、職場にいると感じるんですが、自分って、相手を思った以上に「快不快」「好き嫌い」で受け取ってる。
疲れてくると顕著。
いい人だし、正しいし、仕事出来ると認めてるのに、「キンキン声が嫌」なだけで、「そばに来ないで」とか思ってたりね(笑)
本能が剥き出しになっとるんですな。私は、お年寄りになったら、好きな人間で周り固めたりするかも。嗚呼狭量狭量(笑)


2011年05月25日 12:26
ヤマ(管理人)
◎TAOさん、
エロはいいんです、要るんです、娯楽であれアートであれ(笑)。
ですが、暴力はいけませんねぇ。
もうヤクザ映画なんぞ観る気がしなくなってます、余程でなきゃ。

若さへの寛容については、ホントにそうですねー。
つい先頃も三十年ぶりにヤング・ゼネレーションを観て、つくづく感じましたよ(たは)。

◎ミノさん、
さすがに三か月に1本ってのは、勘弁して下さいな(笑)。
三日に1本なら、もう少しすると手が打てるようになるかも、だけど。

僕の場合、三人の子供がみな大学を卒業して、就職も結婚もかたがついちゃってるんで、もう余生態勢ですからねー。
でも、まだ本能剥き出し感はないぞよ(笑)。
ミノさんの本能が剥き出しになっているのは、年のせいではないんでは?(ふふ)



推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20110412
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1709806135&owner_id=3700229
編集採録 by ヤマ

'11. 5.20. TOHOシネマズ3



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