『SUPER 8/スーパーエイト』(Super 8)
監督 J・J・エイブラムス


 映画作品としては、あれもこれも盛り込んで何だかとっちらかっている印象がつきまとっていたのだが、そのようななかにも、いかにもアメリカ映画の真髄とも言うべき“オプティミズムやタフさを感じさせる精神”にある種、感心もしながら観ていた。爆走する列車に向かっていって正面衝突しても、大破していないどころか車の運転席に乗ったまま、負傷で済んでいる学校教師には流石に唖然としたけれど、場面場面での見せる力が製作のスピルバーグ顔負けの巧さだったからかもしれない。少々バランスが悪いが、エンターテイメント映画として必要十分な作品じゃないかと思いながら観ていた。

 すると、最後も最後、まさにエンドロールと共に全編が映し出された、チャールズ少年(ライリー・グリフィス)による脚本・監督の8ミリ映画にすっかりやられてしまった。この短編映画こそが、本編の総てのバランスの悪さを吹き飛ばすだけの説得力を備えていたような気がする。

 思えば、映画のタイトルというのは、なかなか侮れないもので、本作が『SUPER 8/スーパーエイト』なのは、少年たちが夢中になっていた映画制作という“物語の舞台設定”を示しているのではなく、本作の“映画作品としての本質”を示しているものだったというわけだ。つまり、本編の場面場面で垣間見えていたシーンのどれもがきっちり嵌り込んだ8ミリ映画を観ているうちに、本編も言わば、これだったんだなぁと、その映画小僧ぶりが妙に微笑ましく感じられ始め、思わず唸らされたのだった。

 伊達にゾンビ映画だったのではなく、ハリウッドで堂々たる商業映画を撮るようになっている本作の作り手たちは、かつて8ミリ映画の制作に夢中になっていた映画小僧のゾンビとも言うべき存在だということなのだろう。僕自身は手を染めたことがないけれども、彼らと同じく、素人映画制作に熱を入れた経験のある者ならば、本作を絶賛するのは間違いないだろうという気がした。それだけ、映画小僧スピリッツに満ち満ちているように感じられた。

 加えて目を惹いたのは、チャールズが「ムカつくのは、お前が彼女を好きなことなんかじゃない。両想いだってことだ。」とジョー・ラム(ジョエル・コートニー)に当たっていた、アリスを演じるエル・ファニングが抜群に輝いていたことだ。福島原発のメルトダウンが大問題になっている今、奇しくも'79年のスリーマイル事故にまつわる心傷による父親の荒みを感じ取って窺わせていた憂いにしても、8ミリ映画のなかで人妻役を演じて、新参ながら皆を圧倒していた場面にしても、ジョーの首にキスマークならぬ歯型マークを残したメイクの合間でのゾンビ演技の披露場面にしても、なかなか大したもので、これは相当な逸材だと思わずにはいられなかった。
by ヤマ

'11. 7. 1. TOHOシネマズ6



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