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高知あたご劇場で 観る・写す(企画・プリント確保・宣伝・上映・鑑賞)を楽しく学ぶ無料上映会
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高知大学在学時分から映画徹底研究会と称して精力的に自主上映に携わっていた円尾敏郎さんが、縁の高知に残る地元劇場と提携し、名称を“テッケン”に改め、自身の所有するフィルムを使っての八日間連続上映会を行った。高知で活動していた時分から名は知れど、さしたる付き合いはなく、後年、渡辺文樹監督の『家庭教師』だったか『島国根性』だったかで、製作主任としてクレジットされているのを目撃したり、遂には自身がプロデューサーを担った『すっぽんぽん』['90](監督 原田聡明)を提げて高知に姿を現わしたのを目撃するくらいだったが、ワイズ出版で精力的な活動をしていることに感心していたら、'96年の拙著『高知の自主上映から-「映画と話す」回路を求めて-』を読んで手紙を寄越してきてくれた。 昨年来の高知での「Bistro de Cinema シネマの食堂」の取り組みに強く惹かれたとのことで、今年は自らも参加し、僕も寄稿を求められた“とさ・ピクかわら版号外「あたご劇場 水田兼美さんを偲ぶ」”に寄稿した「映画パワーをもらうために」にちなんだ追悼上映会を実施し、今回と同じく「入場料は無料。ただし劇場で何か一品お買い物を」という形で、『牡丹燈籠』('68)と『釈迦』('61)を上映していた。 今回の上映会は、その発展形なのだろう。八日間も続くということで、高知の自主上映仲間の岡本さん(黄昏キネマ)や田辺さん(小夏の映画会)、西川さん(Movie Junky)らが毎日出てきて手伝ったり賑わしたりしていた。円尾さんは、初日の前説でいきなり「悪い映画上映の見本をやります」との、いかにも彼らしい挑発的な触れ込みをしていたが、狙いは極めて真っ当なところにあるという上映会だった気がする。 “悪い映画上映の見本”ということで彼が提示したかったのは、我が国では、いかに映画が粗雑に扱われているかということであり、そのことに対する注意喚起を訴えたいとの思いがよく伝わってきた。いわく、映画に対する権利を製作当事者が持てず、文化財意識など全くない会社が保有する制度にしているがために、倒産した映画会社などでは、著作権の継承手続きが行われていないとのこと。映写技師にもプロ意識が欠如していて、フィルムセンターですら、上映に際してスクリーンサイズを間違えることが頻繁にあるのが現状だそうだ。だから、かつて御大の黒澤監督が声をあげるまで、TV局がいかに乱暴な映画放映をしていたかを今日の映画で見せたいとのことだった。 八日間の上映会を通じて、映画を上映するということについて、いろいろ知ってもらいたいことがあるというのが企画主旨とのことらしい。八日間全部通うことは、とうてい無理だったが、できるだけ足を運んでみようと心掛け、六日間通った。興行に触れないよう全て無料上映会としているので、会場協力をしてくれている劇場のために菓子・飲料など、物販で何か一品協力を、というアイデアがなかなか面白い。大手のシネコンでも、その営業を支えているのは、入場料ではなくて物販なのが実情だということも話していた。 それにしても、初日に観た『銭形平次捕物控 夜のえんま帳』は、確かに本当に乱暴なトリミングでシネスコ作品を切り刻んだ代物だった。僕もかつてTVでそういう代物は目撃しているはずなのに、今観ると、改めてヒドイもんだといささか呆れた。 三日目に上映した、阪妻の『王将』には、かの有名な「銀が泣いている」というセリフは出てこなかったが、替わりに、女房小春(水戸光子)の危篤に瀕して電話越しに振り絞る「南~無妙~法~蓮華~経」の声が耳に残っている。阪東妻三郎は流石の演技で、観応えのある作品だった。それにしても、あの関根八段が滝沢修とは全然気づかず後で知って驚いた。関根の第十三世名人位襲名を祝う席に駆けつけた坂田三吉の会見の段は、少し引っ張り過ぎの感が無きにしも非ずながら、長谷川一夫が内蔵助を演じた『忠臣蔵』['58]の近衛家用人垣見五郎兵衛との会見の段を思わせるような名場面の風格だった。 また、水戸光子の演じた小春にちょっと出来過ぎの感があったが、三島雅夫の演じていた隣家の屋台引きに味があって、好もしかった。三吉が苦し紛れの奇手に出て関根八段に逆転勝ちした後、贔屓の誰もが賞賛し喜んでいるなかで、娘の玉江(三條美紀)が父親の勝ち方に異議を唱え、たしなめた場面では、前半での幼い頃から棋譜読みをさせられていた場面が効いていた。関根や父親の将棋を知り尽くしていたということなのだろう。 この日の夜ちょうどTVで『おくりびと』が放映されたが、過日アカデミー賞外国語映画賞を受賞したこの映画で、大悟の亡くなった父親が石文を握り締めていたことに難癖をつけている人たちがいたことを思い出した。彼らは、この『王将』を観ても、小春が王将の駒を握り締めて亡くなっていた場面に文句をつけるのだろうか。 上映後のコメントとして円尾さんが「今の日本映画の音楽垂れ流しで感情を揺さぶる安易な作り方と違って、この作品のように、きちんと演出と演技で観客の心に訴えてくる映画は、スタジオシステムの崩壊とともに終わっているので、映画鑑賞をするなら'70年くらいまでの名作を観るべきであって、過去の名画よりも現在の映画を観るべきなどと言う事の分かってない連中を真に受けてはいけません。」と話していた。 まさしくその足場に立って活動している彼は有言実行を重ねているわけだが、僕自身には“映画の持つ同時代性”に惹かれる部分が強く、円尾さんの言によれば事が分かってないことになる。だが、映画と音楽については、拙著に「映画作品の基調となる印象を…決定づけているのは、場合によっては、映像以上に音楽ではないかという気がします。…一度、字幕付きの映画の音を消し去って観てみると、映画にとって、いかに映画音楽が大事な要素になっているかがよくわかると思います。特にホラー映画やスペクタクルもの、ロマンティックなラブストーリーなどで自分が傑作だと思っているものを試してみると、とても面白いことに気づくのではないでしょうか。」(P46)とも綴っている僕としては、大いに共鳴するところがあった。 四日目は、S39年のTV映画『織田信長』の第一回放送分の「尾張の暴れん坊」と第二回「野武士の群れ」だった。東映に付いて時代劇の馬を手配していた高岡政次郎さんという人が作った東伸テレビ映画の制作作品とのこと。社名は、東映よりも伸びる会社ということで名づけたのだそうだ。円尾さんがご本人から直接伺った話だと語っていた。そう聞いてから作品を観ると、確かに馬がふんだんに登場していた。吉法師が荒馬を手懐けるエピソードでの白馬に始まり、馬を駆って失踪する野武士の群れに拉致される吉法師といった按配で、なるほどと思った。 五日目に上映された『中山七里』は、S37年の大映作品。16mmフィルム版だと縦1/8が飛んでしまうとの話は初日からあったのだが、この16mmでは、中央に揃えず下揃えがされたようで、上部が何とも窮屈な画面で観づらかった。信州に下る街道は「中山道」と書いて「なかせんどう」と読むのだと小学校時分に習った覚えがあるが、「中山七里」は「なかやましちり」と読むようだ。 市川雷蔵の演じた政吉よりも、情けない優男の徳之助を演じた大瀬康一が妙に印象に残る不思議な映画だったように思う。それにしても、初日に観た『銭形平次捕物控 夜のえんま帳』('61)といい、この頃の中村玉緒のアイドル顔は驚くまでの可憐さだ。悪役(総州屋安五郎(柳永二郎)・二足の草鞋の虎太郎(富田仲次郎))が上手いと画面が締まると改めて思ったが、追ってきた藤八たちを討っても、徳之助の凶状が撤回されるわけではないのだから、何も解決していないエンディングだったのではないかという気がしなくもない。それはともかく、立ち回りでの廃屋が崩れる仕掛けが目を引く道具方の仕事が、実に鮮やかだった。 六日目からは、35ミリフィルム映写上映実践講座となっていて、僕の行った七日目の上映での素材は16mmが2本と35mmの記録映画だった。『ある四回戦ボーイ』と監督名がクレジットされてなかった『鬼平犯科帳』が16mmで、後者は、長谷川平蔵を萬屋錦之介が演じていたTV時代劇だった。円尾氏によれば、当時16mm映写機を買うとオマケに付いていたフィルムなのだそうだ。従って著作権の関係から興行に使ってはダメで、上映実践講座での素材という形でしか上映できないので、チラシにも作品名やキャスト名を出さなかったとのことだ。35mm作品は、日本水産㈱の企画による『海を拓く』('70)で、当時の日本の遠洋漁業を捉えた作品だった。 南氷洋での捕鯨漁から始まり、アフリカ沖での大型トロール船漁、北洋でのサケ・マス漁やカニ漁が映し出され、最後は、当時、注目を浴び始めていたスケソウダラ漁に深海漁も可能となった大型トロール船で取り組む姿をクローズアップし、動物性たんぱく質の供給源として、水産業はこれから伸び行く産業で、前途洋洋であることを謳いあげている文部省特選映画だ。四十年前の姿として観ると、非常に興味深く、冷凍技術や大型船による当時の遠洋漁業技術がいかに凄いものだったかが偲ばれる。なにせ画面に映し出される鯨や魚、カニの捕獲量が今観ると仰天するほどに圧倒的だ。 資源保護にも留意している旨や、そのために水産庁職員が乗り合わせたりしている姿を折り込み、日本の漁獲の突出を配慮してかアフリカに技術指導を加えている姿などもアピールされていたが、母船団方式による海上の大工場という他ない漁業の姿を目の当たりにすると、これで資源が減少しないはずがないと思える凄まじさだった。鯨漁では、南氷洋に出た図南丸を母船とする捕鯨船団の総勢1200人が掛かって、数ヶ月に渡って獲りまくっている姿を誇示しているのだから、捕鯨問題で日本を攻撃したい保護団体にとっては、お宝映像になること間違いないと思ったのだが、奇しくも上映後、円尾氏からもそのような感想が述べられた。ネットオークションで入手した自己所有のフィルムとのことだが、彼自身も、観たのは初めてなのだそうだ。時を経た記録映画の面白さは本当に侮れないと改めて思った。刺激されるものがたくさんある。 19日から始まり連日開催されてきた上映会の最終日は、16mmと35mmが1本づつだった。先に上映された16mm作品は、東京12チャンネル(現テレビ東京)製作の『あいつと俺』。'84.3月放送の「裏切りの銃声-高知・安芸-」という御当地ものだった。四半世紀前の県東部の安芸市が映っていて、今や倒産して跡地利用も進まぬまま残っているショッピング施設「サンモール」が活況を呈している様子や既に閉鎖された映画館「太平館」の当時の面影を観ることができた。安芸出身の弘田龍太郎の「浜千鳥」の歌碑や野良時計などは、今もなお、その姿を留めているが、サンモールや浜千鳥の歌碑が二十五年も前からあったとは、県中央部に住む僕は知らずにいた。それどころか、地元出身の川谷拓三が主演したこのドラマが高知で放映された記憶すらなく、また、今回映写された回には登場しないながらも、オープニングロールで主要キャストが映し出された際に名の見えた桂木梨江は、高知を舞台にした『祭りの準備』で強い印象を残しながら、その後、あまり見かけなくなった名前だったので、目を惹いた。 35mm作品は、アニメーション映画『牛とかえる/よくばった犬』で、牛と張り合って大きく膨らませた腹の割れてしまったかえるが、死にもせずに手当てされていた。元になったイソップ童話の毒を抜き去った、いかにも児童向けの作品だった。 | ||||||||||||||||||||||||
by ヤマ '09. 9.19~26. あたご劇場 | ||||||||||||||||||||||||
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