『君が踊る、夏』
監督 香月英之

 御当地映画の難病少女ものという設えからは、もっと野暮ったい出来なのかと思っていたが、観てみるとそれほどでもなかった。だが、いかにも東映らしい広報戦略の下手さが偲ばれる。御当地映画に土地の名を冠するのは基本的には避けたほうがいいと思われるが、今年は異様に龍馬ブームで盛り上がった年なのだから『君が躍る、土佐の夏』としておいたほうが、往年の『南国土佐を後にして』には及ばないにしても、もっと訴求力が高かったように思うし、見せ場を“よさこい踊り”に設えながら、公開時期を秋に持っていったピンボケぶりによって、大いに割を食わされているような気がした。

 地元民としては個人的には、寺本新平(溝端淳平)たちにいかにも土佐男らしい意気がりと女々しさの稚気が宿っていて納得の苦笑を禁じ得なかったのだが、あまり心地の好いものではなかった。司(五十嵐隼士)の母親でチーム“いちむじん”の代表たる料亭旅館の女将の大滝園子(高島礼子)においてステロタイプに示される女性像が“はちきん”たる土佐女ということなのだろうが、人物造形にしても物語の筋立てにしても、あまりにもステロタイプが目立ち過ぎ、人物像に血の通いが乏しく感じられたように思う。だが、ある意味、定番娯楽作品の王道を狙っている確信犯なのだから、そこに不満を言い立てるのは筋違いというものだろう。とはいえ、土佐の一本釣り'80]や鬼龍院花子の生涯'82]、MAZE~マゼ[南風'05]などでも強調されていた男の稚気に惚れ、愛する器の女性が土佐の地に多いとは必ずしも思えないのが実感ではあるが、タフで逞しい女性が多いという気は確かにする。

 さすがに御当地映画だけあってフラガール'06]や『雪に願うこと』'05]のように、都会での挫折を田舎で癒し再起する力を得て都会に戻っていくなどという不埒な筋立てではなく、ミエルヒ'10]のように故郷に居場所を見つけ直す物語にはなっていたのだが、新平が新人カメラマンの登竜門とされる大きな賞の受賞チャンスを捨て、五年ぶりに再結成した“いちむじん”で踊るために授賞式を中座して戻って来させる弾みとなったのが五年前に新平の撮った香織(木南晴夏)の写真の大写しになった笑顔であるのはまだしも、Uターンうんぬんよりもビッグチャンスを捨てるという選択に見合うだけの彼自身の内実がきちんと捉えられていないために、いかにも劇的な安易な図式化に堕してしまっていたのが残念だった。

 しかも、あそこで戻ってきたことを「田舎者だから」というような言葉で片付けてしまうのは、『フラガール』や『雪に願うこと』とは異なる筋立てにしてきちんと田舎の面目を立てているように見えて、相当に“田舎”というイメージを安易に使っている横着な態度のように思えて、些か不満だった。そうなったのも、新平の言動に思いの強さよりも、気持ちに流される思慮の浅さのほうを感じてしまわずにはいられないような人物造形になっていたからだろう。

 そうは思いつつも、映る場所、映る場所、ほとんど判ってしまうところに何だかこそばゆいような楽しさがあって、妙に気分が高揚した。手結内港(歴史港湾)にまで足を伸ばし、四万十水系よりも仁淀水系に目を向けているところが嬉しかった。アートギャラリー“グラフィティ”の入っている川べりの倉庫街や我が母校も間近になる梅が辻での演舞や料亭旅館“臨水”の佇まいなど、思いがけない登場を楽しむことができた。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
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by ヤマ

'10.10.15. TOHOシネマズ3



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