『ボクは五才』('70)
『土佐の一本釣り』('80)
監督 湯浅憲明
監督 前田陽一

 '70年と'80年という、ちょうど十年の開きを置いた地元高知ロケの作品を続けて観る機会を得たが、両方ともの映画に、'08年開業の新駅舎になる前の高知駅が出てきていた。『ボクは五才』では奥村少年(岡本健)が大阪に向かうための出発地であり、『土佐の一本釣り』では一大決意を果たそうとした純平(加藤純平)が八千代(田中好子)を連れて地元を離れ訪ねる目的地であった。そして、どちらも共に僕の目には懐かしい駅舎だった。


 『ボクは五才』は、四十年前の大映作品なのだが、当時、離れて暮らす父親を訪ねて実際に高知から大阪まで無銭旅行をした五歳の少年がいて、その実話を映画化したものらしい。

 '70年と言えば万博の年でボクは十二歳。映画にもあったように、この年初めて大阪に行った子供は、少なからずいたように思う。僕も母と弟とで住之江区にある母方の伯母の家に滞在し、従姉弟たちと万博会場のパビリオン巡りをした覚えがある。当時の高知の様子が映し出されるのが、何とも嬉しく懐かしく、五台山の自走式ロープウェイが映り、おもちゃのキクヤが映り、みやたショッピングセンターが映るたびに場内から歓声が挙がっていた。映画の持つ記録性というものの価値を存分に楽しんだ。

 今も尚はりまや橋に店を構える洋菓子店浜幸の看板の簪の図案が奥村少年のスケッチブックに描かれた目印であったことの判明するショットに感心しつつ、以後、彼が父親(宇津井健)に連れられて一度だけ大阪に旅したときに道中スケッチした絵を頼りにして、一人で天王寺の先の動物公園前にある父親のアパートを訪ねていく、スリリングでユーモラスな旅の描出を楽しんだ。なかでも、宇高連絡線の阿波丸にまつわる旗と置き忘れたスケッチブックのエピソードが印象深い。

 それにしても、僕が十二歳の頃にはもう少し開けていたように思うのに、何だかALWAYS 三丁目の夕日の頃の東京と大して違わない風情だったことに苦笑した。映画日誌に僕は、昭和33年3月28日生まれだから、丁度この映画で星野六子が集団就職で上京する汽車に乗っていたときに生まれたことになるわけだが、田舎に住んでいたから、東京でその頃既に小学生だった一平と時代感覚的にはほとんど重なると綴ったけれども、さらに五年くらい遅れていたようだ。

 高知市に隣接する伊野町に住む奥村一家は、三世代14人家族で農業を営んでいたが、第二世代の兄弟家族までもが一家で同居しているさまは、圧巻だった。奥村少年は、わずか400mで失敗した最初の試みを含め、三度の失敗にもかかわらず遂には大阪に辿り着くのだから、凄い。この逞しさと突破力は、大家族に揉まれ、朝の便所一つとっても、凌ぎを削って競り合いつつ折り合いを付けていかなければならない環境でこそ育まれたものなのだろう。核家族で育った子には望むべくもない気がする。

 近所のタバコ屋の後家さんを演じていたミヤコ喋々が面白く、左卜全と北林谷栄の演じていた祖父母夫婦が絶妙だった。
 ところで、この映画が、財団法人高知県人権啓発センターの主催で“ハートフル・セミナー”と題する講座の1コマとして上映されたのは、一体どういう理由からだったのだろう?


 もう一方の『土佐の一本釣り』が撮られた'80年と言えば、僕が大学を卒業して帰郷し職に就いた年だ。いかに漁師町久礼が主な舞台とはいえ、あの頃、我が郷里は、これほどに時代錯誤していたか?との失笑を漏らさずにはいられないような物語だったが、さすがに時代設定は、その十年前の昭和45年で、ちょうど『ボクは五才』の舞台となった年と同じだった。

 五年近く前にMAZE~マゼ[南風]('05)を観たときにも思ったことなのだが、土佐の男を漁師に託して描くと、常にこうなるのは、やはり実際にそういうところがあるからというよりは、憧れのような気がしてならない。'80年当時に敢えて十年遡ってでも描きたがるのは、まさしくそういうことなのだろう。『土佐の一本釣り』には清水港のヤクザとの談判に乗り込む船頭(宍戸錠)ら漁師の姿に、代貸し(成田三樹夫)がその男気を買うエピソードがハイライトシーンの一つとして登場するのだが、思えば鬼龍院花子の生涯('82)もそうだったように、侠客への親和性に富んだ土地柄というイメージが土佐にはあるのかもしれない。

 また、女たちが漁に出た男たちの無事を願って社の前で酒盛りをしつつ、男根然とした御神体に秘所を見せ合う“チラ見せ”などという行事が登場したことに少々驚いた。久礼の町にそんな奇習が本当にあって、映画の製作時を十年遡る'70年当時には、まだ続いていたのだろうかとも思った。漁業はすっかり寂れたし、奇習が今なお続いているとは到底思えないが、もし当時まで残っていたとしたら、さぞかし霊験あらたかだったのだろうと言う他ない。

 役者では、八千代を演じた田中好子の高校生姿に少々違和感があった。確か僕より二歳上だから、二十四歳のセーラー服姿だったわけだ。今はなかなかいい女優さんになっているように思うが、この頃は、演技がまだまだ素人っぽいと思ったら、デビュー作だったようだ。『MAZE~マゼ[南風]』では主役だった蟹江敬三が、同じく漁師を演じていたのも目を引いた。

 『ボクは五才』の上映会の主催は人権啓発センターだったが、『土佐の一本釣り』を上映することはいかにもなさそうな気がした。『土佐の一本釣り』は、人権啓発センターのような機関が推し進めている“男女共同参画”などというスローガンを一蹴するような作品だったように思う。
 同じ町の漁師の女房(山口美也子)から、純平を誘惑したのに「儂ぁ商売女は、なんぼでも買うけんど、素人は八千代一人と決めちゅう」と言って断られたと教えてもらい、二人の仲を誤解していた八千代が喜び安堵する場面があったのだが、その純平の台詞が男気と純愛を示すものとして通用したのは、昭和の何年頃までのことだったのだろう。
by ヤマ

'10. 1.16. 美術館ホール
'10. 2.13.   あたご劇場



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