『オーケストラ!』(Le Concert)
監督 ラデュ・ミヘイレアニュ


 前作約束の旅路で強烈な印象を残してくれていたので、少なからず期待していたのだが、大胆を通り越して、些か呆れてしまうほどの乱暴とも思えるストーリーを、堂々たるスケール感でもって感銘深い人間ドラマとして描き出すのだから、やはり大したものだ。同じ脚本で余人が撮れば、これに匹敵する満足を与えてくれる作品には、とてもなりそうにない気がした。それは、バイオリンの若きスター演奏家アンヌ=マリー・ジャケを演じたメラニー・ロランがめっぽう魅力的だったからではなくて、やはり作り手のクラシック音楽への思いの深さが、まさしく作中の俄か楽団のマネージャーたる元KGBとも言われるイワン・ガヴリーロフ(ヴァレリー・バリノフ)の開演前のセリフにあった“奇跡”と同じものを映画作品そのものが引き起こしていたからだろう。

 悲劇的な死を遂げた母親レアの残したメモ入り譜面の力によって、あまり好きではないと言っていたチャイコフスキーを演奏しながらどんどん深く引き込まれていくアンヌ=マリーと、それによって母親と瓜二つの娘から引き出された音色が嘗ての仲間たるオケメンバーにもたらす“音楽の奇跡”というものを活写していて、恐れ入った。
 開演早々がメインプログラムのわけはないのだが、アンヌ=マリーと因縁のありそうな元指揮者の劇場掃除夫アンドレイ(アレクセイ・グシュコフ)が掻き集めてきた俄か再結成楽団の始めたチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の演奏のひどさ加減が絶妙で、それがソリストの奏でる音色でぐんぐん変わっていくと共にメンバーの顔つきまでが変わっていく様子がダイナミックに捉えられていて、まさに音楽が生き物であり、生き物には奇跡が起こり得るものであることを体感させてくれる迫力に満ちていた。
 三十年ものブランクを経て、しかもリハーサルもなしの一発勝負でそういう演奏が果たせるほど音楽はなまやさしいものではないのだけれども、本作のそういう設定が音楽に対する無理解から生じているものでは決してないことを強く物語っていたように思う。そうでないと、ハイライトの演奏場面の長さをこのようには造形し得ないはずだし、大道芸人に落ちぶれていたコンサートマスターを少々見下していたアンヌ=マリーが演奏を聴いて瞠目し、その倍音の出し方に思わず質問する場面などを設けたりできるはずがない。

 オープニング場面で登場したモーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調がちょうど、僕が十代の頃に最初に好きになった協奏曲で、ハイライト場面のチャイコフスキーのバイオリン協奏曲ニ長調が、海野義雄&新日本フィルによって三十年前に初めて生で聴いたプロの演奏として大いに感動した協奏曲だったことが、僕にはとりわけ思い出深く作用したということもあるとは思うけれども、改めて「音楽っていいなぁ」と思わずにいられなかった。

 それにしても、前作『約束の旅路』では、エチオピアのアフリカ系ユダヤ人の受難に材を得て“親子の奇跡”を描き、本作では、ロシアのスラブ系ユダヤ人の受難に材を得て“音楽の奇跡”を描いたラデュ・ミヘイレアニュ監督は、一見そのスタイルを変えているように思わせるけれども、モチーフにも主題にも大河的スケール感にも揺るぎがなく、堂々たる作家性を発揮していたように思う。
 女性の描き方にも通底するものがあって、『約束の旅路』に描かれた三人の母は実に見事だったが、本作でのアンドレイの妻イリーナ(アンナ・カメンコヴァ)もなかなかの人物像だった。「離婚だ! ここで行かないようなら」と夫に発破を掛ける姿も、中継TVを観ながら涙をぼろぼろ零してる姿も、とても素敵だった。僕は、ラデュ・ミヘイレアニュ監督と、どうやらアニマ像が一致しているようだ。


推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
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推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20100516
推薦テクスト:「ツッティーさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1511927548&owner_id=1797462
by ヤマ

'10.11. 5. 美術館ホール



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