『赤いアモーレ』(Non Ti Muovere)
『恍惚』(Nathalie...)
監督 セルジオ・カステリット
監督 アンヌ・フォンテーヌ


 “KUMONOS & 咆哮”のシューテツさんに、僕がたまたま大阪に出向く機会を得て観たものがこの二本だったことについて、いかにも僕らしいと笑われた作品だ。ともに男の浮気にまつわる物語で、両者の視点の違いがちょうど監督の性別の違いにふさわしいものになっていながら、両作ともいささか苦い後味を残すところで通じていて、ともに興味深い作品だった。だが、僕にとって『赤いアモーレ』は『恍惚』と異なり、不快感がいくぶん澱のように残る映画でもあった。


 『赤いアモーレ』の描出には、“男のいい気さ加減”というものが実に的確に掬い取られていたように思う。男に負荷を課してこないイタリア(ペネロペ・クルス)の愛に対し、都合よくそれに乗じていたようにしか見えない外科医ティモーティオ(セルジオ・カステリット)の、恐らくはそのことをも自覚したうえで乗じる気持ちを断ち止みがたい心情についての実感が印象深かった。その心性の在りようには思い当たるところが多々あって、それだけに彼女の愛を“無償の愛”だとか“真実の愛”といった空疎な美辞麗句で持ち上げたくなる感慨よりも、むしろティモーティオの心情のいささか情けない有様についての共感と屈託のほうが僕には響いてきたような気がする。自分にはティモーティオのような強姦体験も愛人を死なせた経験もないのだけれど、実に彼の心情がよく分かるような気がした。貧富の差に留まらず、対等とは言えない関係のなかで性的にも交わりながら、男に縋らず男を縛らず、あくまで対等の男と女として関わろうとしている女の矜持を敬愛し、それを決して傷つけ損ねたくはない想いの真摯さと同時に、それをある種の都合のよさとしても受け取る忸怩たる想いを併せ抱きつつ乗じる男の心情というものを痛烈に感じさせられたように思う。そして、そんな心情がよく分かってしまう自分の心性の在りようへの気づきを促され、何だかとても痛いところを突かれたような不快感に見舞われたのだという気がする。

 ティモーティオがイタリアに都合よく乗じている己の情けなさを自覚していたように感じるのは、この物語が彼の愛娘の絶望的な危篤状態という危機に瀕して十五年も前の彼女との顛末を思い出している構成になっていたからだ。これは、娘のバイク事故をまるで自分の犯した罪への天罰であるかのように彼が受け取っていたことを示しているに他ならない。そして、その回想におけるティモーティオの姿の無惨なまでの情けなさの現れ方には、イタリアを死なせたことへの罪悪感以上に、彼女との付き合い方への悔恨が滲み出ていたような気がする。しかし、回想のなかでの彼の姿以上に僕が男のいい気さ加減をほとほと呆れるほどに印象づけられたのは、幸運にも手術が成功し、娘が辛くも生命を取り留めたことに対して、自分が哀れな死に追い遣ったイタリアの魂が娘を救ってくれたかのように彼が感じていることを容赦なく描きあげていた終幕のほうだった。

 娘の死への覚悟を迫られた不慮の事故に対する因果について、彼が誰知れずイタリアへの自分の罪深さを想起していただけに、その生命が救われたなら、それがイタリアの魂の赦しと愛ゆえに果たされたものだと感じてしまう心情には、彼の実感としてリアリティが感じられるし、彼のみならず僕も含め、そういうものだろうと思えるだけに、そのいい気さ加減が何ともたまらない。何とも厭な映画を見せられた気分になった。


 その点『恍惚』は、夫ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)の浮気を巡る妻カトリーヌ(ファニー・アルダン)と彼女に雇われてベルナールを誘惑する娼婦マルレーヌ(エマニュエル・ベアール)の割り切った関係のなかで醸成される女同士の対抗心と尊重と連帯に味わいのある作品だったから、男の僕には身につまされるという形で響いてくるところが少なく、興味深く覗き見をさせてもらうような窃視感を楽しむことができた。

 僕にとって最も印象深かった場面は、婦人科を開業していると思しきカトリーヌが、娼婦稼業の後にはエステティシャンで自活しようとしているらしいマルレーヌを実母(ジュディット・マーレ)の髪の手入れのために実家に連れて行き、彼女を気に入った老母が珍しくも機嫌よくピアノを弾き始めたシーンだった。歳の頃合いも境遇もそれぞれに離れた女三人のなかに共通している“女であることの哀しみと連帯”のようなものが無言のうちに共有されている情感というものが画面に宿っていて、実に味わい深かった。それまでの物語の展開がそういったものを掬い取り描き出そうとしているようなタッチではなかっただけに意表を突かれるとともに、このシーンの醸成したトーンによって一遍に作品自体の色づけが施されたような印象を受け、その鮮やかさに感心した。

 女性たちの人物造形が魅力的で、それぞれに自負と矜持を備えて生きているがゆえに、相手のそれを尊重するとともに挑発や対抗もストレートにできる姿というものに納得感がある。だからこそ、予期せぬ形で生じてくるカトリーヌとマルレーヌの奇妙な友情と連帯に説得力が備わるのだろう。




『赤いアモーレ』
参照テクスト:掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』過去ログ編集採録

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2005/2005_01_31_3.html
by ヤマ

'05. 2.12. 九条シネ・ヌーヴォ & シネ・リーブル梅田



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