『ネバーランド』をめぐって | |
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No.5259から(2005/01/20 19:19)
(ケイケイさん) ヤマさん、こんにちは。 ヤマ(管理人) ようこそ、ケイケイさん。 (ケイケイさん) 昨晩ヤマさんのレビュー読ませていただいて、おかげさまで良く眠れました(笑)。 ヤマ(管理人) それはそれは(笑)。 (ケイケイさん) だって誰が観ても良い作品ですよね? ヤマ(管理人) そうですね。賞にもノミネートされてるようですし(笑)。 画面が気持ちよく、作品的にも美しい映画でした。 (ケイケイさん) それをどうして私は引っかかるのだろうと、悶々としていたもので。 ヤマ(管理人) 僕は、引っかかるってとこまではいかなかったんですが、なんかメアリーが気の毒でね(笑)。 (ケイケイさん) 「主軸となるバリのシルヴィア母子との出会いや交流以上に、彼の妻メアリーやシルヴィアの母親の存在感が印象づけられ、妙に焦点が散漫になったような気がしなくもない。」 散漫なんですね。やっとわかりました。 ヤマ(管理人) 共感いただけましたか、ありがとうございます。 (ケイケイさん) 一人一人に焦点があたって良いとは思っていたのですが、あたりすぎなんですね、匙加減の問題と言うか(笑)。 ヤマ(管理人) このへん実に微妙な問題ですよね〜。なんでもそうですが、加減というのがイチバンむずかしい(笑)。 (ケイケイさん) 私もメアリーに肩入れして観てしまったので、ちょっとバリやシルヴィアの行動の軽さが気になりました。 ヤマ(管理人) メアリーへの肩入れにまで踏み込むと、当然そうなりますよね(笑)。僕は気の毒に思いながらも、ある種のやむを得なさをも感じたので、気になるとまではいきませんでしたけど、ドラマの本筋とは異なる部分での妙な感慨のようなものを触発されましたよ(苦笑)。 (ケイケイさん) メアリーの印象は、ヤマさんとほぼ同じです。寂しい賢夫人とでも言うか、手に取るように孤独や疎外感が伝わって来ました。 ヤマ(管理人) ケイケイさんが日記にお書きのように、演じたラダ・ミッチェルの力が大きかったんでしょうね。 (ケイケイさん) シルヴィアの母親は、私は観ていてずっと『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーさんだなと。シルヴィアがクララ、バリがアーデルハイド=ハイジ(笑)。娘に対して確固たる信念を持って接するも的外れ。娘や孫の心を解放してくれる相手は、疎外しようとする。でも、心から愛してはいる。ねっ、似てるでしょう? ヤマ(管理人) 僕は『アルプスの少女ハイジ』を観てませんでしたから、ロッテンマイヤーさんに似てるかどうかは判りませんが、シルヴィアの母親は、確かにおっしゃるような人でしたね。 (ケイケイさん) ジュリー・クリスティがほどよく頑固で怖そうだったので、家の中での劇中で、一番先に拍手した姿がいきていました。 ヤマ(管理人) あれに掌を返したような老婦人の無頓着さや無神経さを感じさせなかったのは、ジュリー・クリスティの功績でもあったように思います。作品の基調にも関わる大事なところですよね。 (ケイケイさん) 「欠かさず夫の舞台公演の初日に劇場を訪れ、批評家の酷評は前もって新聞から切り抜いて見せないよう気遣うメアリーは、それなりに劇作家の妻を真面目に務め、夫の活躍を楽しみにしている妻として描かれていた。」 そうですよね。私も良い妻だと思いました。さっきいつも買う映画雑誌で、メアリーのことを愚鈍な妻と表現していて、びっくり。それはあんまりですよね。 ヤマ(管理人) 酷だなー(笑)。そんなこと言えるのは同性にしかかなうまいと思ったのですが、ライターは女性でした?(笑) (ケイケイさん) いえ、男性です。(笑)アメリカ人の方でした。 ヤマ(管理人) 自分側は棚に上げて相手側を攻めるのが流行ってるようですな(笑)。 (ケイケイさん) 「むしろ僕の印象に強く残ったのは、バリとシルヴィアたちの関係よりもメアリーとの夫婦関係のほうだった。」 私もそうです。一番理解も共感も出来たのはメアリーです。 ヤマ(管理人) でもそれって、本筋外して観てません?(笑)って僕もそうだったんですが(苦笑)。 (ケイケイさん) そうなんですよ!私も感想に書いたのですが、本筋が全く問題ないのに枝葉にこだわって、私も小さい人間やなと(笑)。でもこの枝葉が自分に合うかどうかが、映画の好き嫌いにかかわるような気がします。『ネバーランド』はもちろん好きですが。 ヤマ(管理人) そんなもんですよねー、いい悪いじゃなく好き嫌いってホントそれですよね(笑)。 (ケイケイさん) 「夫の社会的成功を願い、華ある社交界へ打って出ることを夢見たメアリー」 私はここは、のちのセリフにある「私もあなたと冒険旅行に出かけたかった。」のセリフにあるよう、バリとの間に溝が出来てから、社交界に興味を持ったように思いました。 ヤマ(管理人) 僕は、その台詞は、遂に破局に至ってしまった自らの夫婦関係に対して控えめに表した夫への恨み言であると同時に、そういうことを考えもしなかった自分たちの夫婦関係に対する彼女自身の悔恨の発露だったように思いました。夫とシルヴィア母子の間で交わされたものを羨む気持ちのなかから気づかされたことではなかったかという気がしています。 (ケイケイさん) 女性は寂しいと着飾ったり華やかな場所に身を置いて、寂しさを忘れたくなるような気がします。 ヤマ(管理人) そう言われれば、もちろん成る程と納得なのですが、そのへんを僕は鑑賞時には見過ごしてましたよ(笑)。 (ケイケイさん) 「あくまでもバリは、シルヴィア母子と関わり、子供たちと遊ぶなかで、本来の自分の資質に目覚めたのだという感じがした。そういう意味では、確かに創作のミューズであったわけだが、ファンタジーへの理解ということが直接的な問題ではないとしたら、外に人間関係として何がバリとメアリーに欠けていたのかを思い起こすと、やはり“笑い”だったと改めて思う。」 ありがとうございます! ここなんですよ、私の疑問が解けたのは。 ヤマ(管理人) 嬉しいお言葉ですね〜。拙文が何らかの役に立ったと伝えてもらえるのは書き手冥利です(礼)。 (ケイケイさん) 何故シルヴィアにはネバーランドを見せて、メアリーには見せなかったのか、わからなかったんです。そこがすっごく不満だったので(笑)。 ヤマ(管理人) メアリーに肩入れしてれば、もう許し難いですよね(笑)。 (ケイケイさん) 「このお芝居を書かせたのは、あの人たちよ。」とメアリーは言ってましたものね。 ヤマ(管理人) そうなんです。この台詞には自分たちの夫婦関係に対する悔恨の想いが滲み出ていると思いましたよ。彼女は聡明で自省心もあるしっかりした女性で、愚鈍などではないですよ。 (ケイケイさん) 本人が納得しているのに、私が不満に思っても仕方ないし(笑)。作り笑顔以外は、メアリーの笑顔はなかったですね。 ヤマ(管理人) 夫婦関係に限らず、親密であるべき人間関係において欠かすことのできないものですよね〜、笑顔って。 (ケイケイさん) 「そんなことを考えると、もしも彼ら夫婦が子宝に恵まれていたら、ピーターパン物語は生まれなかったかもしれないけれど、彼ら夫婦は別れることにはならなかったような気もしてくる。」 私も同じことを感じました。 ヤマ(管理人) たくさんの子持ちは、似たこと感じるんだ(笑)。 (ケイケイさん) 『五線譜のラブレター』で、ゲイのコール・ポーターだって、友人家族の暮らしを目の当たりにし、妻に「自分たちに欠けているのは子供だ。」と言って、子供を欲しがったんです。 ヤマ(管理人) もちろん子供の存在がオールマイティになるほど、夫婦関係は単純なものではありませんし、子供の存在が却って夫婦の関係を危うくすることもままあるのですが、バリのピーターたちとの関わりを見ていると、バリとメアリーの夫婦については、たくさんの子供に恵まれていれば、異なっていたのではないかという気にさせられますよね。 (ケイケイさん) 何故バリは妻との間に子供を作ろうと言う気にならなかったんでしょう? ヤマ(管理人) そのへんは映画では示されていませんでしたよね。子供を作ろうという気はあっても結果的にできなかったのか、作ろうという気があまりなかったのか、いずれも描かれてなかったように思います。「子供が欲しかったのに…で、出来なかった」とか「子供は要らないと思っていたけど、…」というような台詞は、バリになかったような気がします。 (ケイケイさん) 夫婦で寝室は別でしたし、シルヴィアとの関係も、ラストに「愛していた」と言いますが、子供達とセットで愛していたと言う感じがしました。彼女を観る目に性的な匂いがしませんでしたし。 ヤマ(管理人) まぁ『ピーターパン物語』の誕生秘話を綺麗に描こうとした作品ですし(笑)。大人になりたくない少年をヒーローにしたファンタジーに官能色はそぐわないって思いが作り手にもあったでしょうし、ね。 (ケイケイさん) 妻の不貞にも寛大でしたでしょう? ヤマ(管理人) バリとてもメアリー同様に、聡明で自省心はありますからね(笑)。 (ケイケイさん) シルヴィアとの関係を引け目に感じてや、冷えて愛情が無くなったからと言うより、深読みですけど、ゲイなのかと思いました。 ヤマ(管理人) ほほぅ。 (ケイケイさん) 女性たちの気持ちに対して誠実ですが、少々無神経ですよね。でも悪気のなさはわかるんです。それは性的にどうのこうのと言う気がないからかと思いました。 ヤマ(管理人) 子供を作ろうとしなかったのでは、との御指摘やメアリーとの関係も含め、そのようにお感じになったということですね。なるほどね。それを受けて、僕はふとゲイというよりもEDだったのかもって思いがよぎりましたよ(笑)。バリが大人になることを拒否するピーターパンを生み出したことには、大人の男であることに引け目を感じないで済む状況への願望もあるのかもと(笑)。 (ケイケイさん) 「子沢山のもたらす難儀というものには一方ならぬものがあるけれども、そのもたらしてくれるものも、それなりにはあるものだ。」 ここはよーくわかります。お互い3人の子持ちですもんね。(笑) ヤマ(管理人) そー思わにゃ、やってられません(笑)。 (ケイケイさん) 「だが、この作品で印象深く繰り返された“子どもには、たった三十秒で大人になる瞬間がある”という言葉を反芻しながら、我が子三人のそれがいつだったのかを思い出そうとしたのに、さっぱり思い当たらないことにいささか苦笑した。」 ないというのは、幸せにお子さん達が育った証拠じゃないですか? ヤマ(管理人) それならいいんですが、とも言えないことではありますが(苦笑)。 (ケイケイさん) 「大人への踏み出しというのは、まず親との関係に対して始まるものだと思えば、直に親が目撃することは却って稀なことなのが、むしろ自然なのかもしれないと思い直すことにした。」 親から見ればいつまでも子供で、見過ごしているのかも。 ヤマ(管理人) まぁ、そういうことなんでしょうね(笑)。いつまでたっても幼く見えて仕方がありませんよ(苦笑)。 (ケイケイさん) うちも今帰ってきた長男が、「得意先の人に、落ち着いているから25くらいかって言われたわ。」と言ったので、「あんた、ちょっとも落ち着いてへんで。」と答えたばっかり(笑)。わからないのは、親ばかりなりかも知れませんね。 ヤマ(管理人) 僕らにしたって、子ども側においては常々そう思ってきましたしね(笑)。 (タンミノワさん) どうもどうも、私も昨日『ネバーランド』観てきたてのホヤホヤで嬉しいです。 ヤマ(管理人) ようこそ、タンミノワさん。そりゃちょうどよいタイミングでした(笑)。 (タンミノワさん) 私にとってはこれ、大きな声ではいえませんが「ナゾの多い映画」でして…。 ヤマ(管理人) 御自分のブログに盛大にお書きじゃありませんか(笑)。 (タンミノワさん) ヤマさんのレビューや、ケイケイさんとの対話でナゾ解きかなりさせて頂きました。 ヤマ(管理人) それはようございましたと言いたいところですが、あれ、あの作品の本筋じゃないんですよ(笑)。でも、タンミノワさんに残ったとこも、ピーターとバリの部分よりメアリーとバリの部分だったようですね(笑)。 (タンミノワさん) ジョニデ演じる主人公は、私には余りにも大人の匂いとか生身の人間の匂いさえ感じられず、ああいう夫だと、私だってしんどいかな〜とあの夫人にかなり同情してしまいました。 ヤマ(管理人) ピーターにピーターパンはこの人だよって言われるくらいですからね(笑)。僕は、ああいう夫だとっていう感じではなくして、メアリーって人は可哀想な人だなと思っていたのですが、言われてみると、ああいう夫だとって側面は確かにありますね。メアリーとの破局に際し、バリが自省したのは、シルヴィア母子とのことだけではなかったんでしょうね。メアリーほどには自分たちの夫婦関係を振り返って悔恨を覚えたようには思えませんが、メアリー同様、思いは馳せたような気がしてきました。 (タンミノワさん) イマイチどこに感情移入してよいものやらっていうのは皆さん感じたことなのかな〜。 ヤマ(管理人) 焦点絞りにくい散漫さっていうのはありましたよね。 (タンミノワさん) 一番印象的に残っているのは二人が別々の部屋に帰っていく時の部屋の様子が違う風景なのを映像で見せていたとこですかね〜。 ヤマ(管理人) 観ている世界が違うってのが鮮やかに示されてましたね。大事なとこ、寝てないじゃありませんか(笑)。 -------大絶賛派の登場------- (とめさん) ヤマさ〜ん。こちらでははじめまして。 ヤマ(管理人) ようこそ、噂のハードボイルドとめさん(笑)。 (とめさん) うちのサイトに顔を出していただいておきながら、なかなかこちらに顔出しするタイミングがつかめず不義理をしてましたが、やっときっかけがつかめました(笑)。 ヤマ(管理人) それはそれは、いらっしゃ〜い(ぺこ)。 (とめさん) 私は『ネバーランド』深く考えずに大絶賛。深く考えたとしても、なるほど〜と感心してしまう映画だったんですけどねぇ。 ヤマ(管理人) ここんとこが面白いのは、ケイケイさんとの話にも出てきた匙加減っていうものの鑑賞者との相性っていうとこなんでしょうね。 (とめさん) なんだかみなさんメアリーに視点を置いたために…と意見が一致している中、暴挙に出ようとしているのですが…(笑) ヤマ(管理人) 暴挙歓迎!(笑) 一辺倒になり始めると掘り下げの止まる談義に新たな切り口、鉱脈が生まれますもの。 (とめさん) バリとメアリーの夫婦関係、私はこうとったんですけど… 社会的成功、華のある社交界へと夢を描くメアリーにバリはあわせていたんじゃないかな? ヤマ(管理人) お、とめさんは真っ当にバリ肩入れ派でしたのね(笑)。そーか、バリが無理をしていたんだということですか。 (とめさん) 大人として優れた劇作家としての評判がメアリーを幸せにする…と、 ヤマ(管理人) そのために、書きたかったファンタジー劇のほうを封印してたんだということですね、なるほど。 (とめさん) だから不評だった作品はファンタジーではなかったのではないでしょうか。 ヤマ(管理人) これは僕もそう見てましたね。ただ僕の場合は、バリがメアリーのために封印していたのではなくて、バリ自身が忘れ去っていたものだろうと解していましたが。 (とめさん) 一方メアリーも彼の…う〜んなんて言うんでしょ、ちょっと単純な言葉ですが「子供っぽさ」はわかってはいても、彼女の目の前には「大人の社会」というのがあって、大人の劇作家としての名声が…社会的地位が彼の望むもの…彼に必要なものだと思っていたからこそ、新聞記事の不評を隠し、彼の舞台には必ず足を運んでいたんだと思うんですよ。 ヤマ(管理人) それは同感ですね。おっしゃるように「彼の望むもの」というより「彼に必要なもの」「ふさわしいもの」としてメアリーは思っていたでしょうね。でもって、彼の「子供っぽさ」はわかっているけど、必要なものともふさわしいものとも思えなかったのでしょう。 だから、テーブルマナーに反するスプーンでのおふざけを笑えないわけですね。純粋に子どものためにしていることなら笑えたのかもしれないけど、子どもが多い席だから、彼の悪い癖が出たっていうふうにメアリーが思ったら、そりゃ〜笑えませんよねー。んで、そこんとこが彼女の気の毒なとこだと僕は思ったんですよ。 (とめさん) メアリーは、まさか自分の夫がピーターから「ピーターパンはこの人だよ」と言われるまでにファンタジーの世界に暮らしている…暮らせる人だとは思わなかったんでしょうね。 ヤマ(管理人) 勿論そうだったでしょうね。「子供っぽさ」みたいなとこと「ファンタジーの世界に暮らせる」には、かなりの隔たりがありますし、バリ自身もファンタジーの世界のほうは、ピーターたちと出会うまで忘れていたのだろうと僕は思いましたからね。 (とめさん) バリ自身もそこまで言わないし、言えないし、それはメアリーを思って故だったのですが、ピーターたち親子と出会ったことで、その思いが解き放たれてしまったと私はとったんですが。 ヤマ(管理人) ここが受け取りの別れる分岐点ですね(笑)。「誠実だが、少々無神経」とか「ああいう夫だと、しんどい」と感じると、それが主人公だけに作品に乗れなくなる部分が生じますよね。 (とめさん) だから、ピーターたちと出会うことになった散歩に出かける前、バリはメアリーを誘ったけど、彼女は来なかった。あれがこのドラマの始まりであり、バリとメアリーの夫婦関係の終わりとまで言ってしまうと大げさですが、舞台でいう幕の変わり目のチョン!という拍子木だったような気がするんですよね。もし、あそこでメアリーが一緒に散歩に行っていたら…。私はここで「なんで行けへんねん!」と心の中で叫んじゃいましたよ(笑)。 ヤマ(管理人) バリはメアリーを想って、彼女に合わせようとし、自分のファンタジー指向を封印していたのであって、まず妻を誘うことに怠りもなかったのに、メアリーが汲めずに彼ら夫婦のクロスロードへとバリを向かわせたという解釈ですね。 その岐路で運命的な出会いを果たし、封印してきていたものを解き放たれてしまって、バリはピーターパンを得た代わりにメアリーを失ったというわけですね。なるほど、それもありですね〜。でもって、この夫婦の描き方は、むろん本筋ではないけれども、こういうところにまできちんとした描出があるから(つまり匙加減がとめさんにはぴたっときたから)、登場人物の一人一人にきちんと焦点が当たっていて、非常にいい作品だってことになったわけですね。 やはり「ピーターたちと出会うことになった散歩に出かける前、バリはメアリーを誘ったけど、彼女は来なかった。」ってとこが重要なんですねー。でも、バリ以上に酷評がこたえていたのはメアリーでしょうから、散歩という気分にはなれない落胆があっても仕方ない気がしますね。ちょっと気の毒なんですけど。 (とめさん) あ…別にメアリーを責めてるわけじゃなくって、私は誰に共感とかっていうのは全くなくって、それぞれに納得出来たんですよね。 ヤマ(管理人) ええ、それは了解してますよ。少しバリに肩入れって感じはありますが(笑)。僕は、メアリにもバリにも、肩入れも憤慨も特には感じませんでした。 (とめさん) 人の不器用さとでも言うのでしょうか。誰しもここはこうだろうって思う部分は絶対にあるんですが、そうは問屋が卸さない。そう思っててもそうは出来ない何か…が人それぞれにあるんだと思うんですね。 ヤマ(管理人) そうですよね。自己制御を超える大きな力というものが、人の生には何らかの形で働きを及ぼしてますよね。運命とか、ままならなさとか、本能とか、情熱だとか、時々にいろいろに名付けられますが(笑)。 (とめさん) それが私にはこの映画の中のそれぞれの人に感じられて、それぞれの人に共感出来てしまったんですよ。 ヤマ(管理人) ピーターを軸とするバリのファンタジーとの出会いによるピーターパン誕生秘話っていうわけではなく、普遍的な人の生について想いを馳せ、描いた物語だということですね。だから、バリ夫婦の話だって本筋に対する傍流なんかではないのだと。なるほどね。そうも言えますね。 でも、僕はとめさんと同じように、けっこう深くそれぞれの人をきちんと刻み込まれてしまったことが作品の豊かさには繋がらず、「妙に焦点が散漫になったような気がしなくもない」と綴ることに繋がってしまったようです。面白いものですね〜。この違いは、どこから生まれてしまうんでしょうね。僕も勿論とめさんが今回お感じになったように、表現の豊かさのほうに繋がることも、よくあるんですけどね。 (とめさん) だって、人知れず相手を傷つけているというのは確かにありますが、傷つけようとして、自分だけが!って思いを元に行動している人ってこの物語にはいなかったように思うからなんですけどね。 ヤマ(管理人) バリはメアリーを想って合わせ、メアリーは夫に必要なものをと念懸け、シルヴィアは子どもたちを思い、モーリエ夫人は娘と孫のためにってことですからね。そのなかでのままならなさであると同時に、奇跡のようにして立ち現れた美しい舞台劇の誕生って話だったわけですね、とめさんには。儲けましたね〜、とめさん(笑)。 (とめさん) なんだか何を言いたいんだかわかんなくなってきましたが…(笑)。 ヤマ(管理人) いや、僕には非常に分かりやすく書いていただけたように思えるんですが(笑)。 (とめさん) 私はこの映画手放しで大絶賛ということで…(^^;) ヤマ(管理人) ええ、充分、納得できましたよ。 (シューテツさん) あっ、とめさんだ(笑)。 ヤマ(管理人) ようこそ、シューテツさん。シューテツさんが「気ままな掲示板」に『パッション』の拙日誌を取り上げてくださってたおかげで、こうしてお互い訪ねることになりましたよ(礼)。 (シューテツさん) ちょうど今、私の掲示板でこの話題のレスを非常に舌足らずの表現で書いてUPしたところでこちらを覗くと、とめさんが殆ど私の言いたかった事を言ってくれているではあ〜〜りませんか(笑)。 ヤマ(管理人) 拝見しました。ブログのほうでは評価マーク数の表示だけでしたものね。 「抑制した演出に惚れた」とお書きですよね。そこが物足りなさにも繋がるかもと(笑)。抑制というのかどうかってとこはありますが、上品な作品だったのは間違いないですよね。とめさんが代弁してくれているっていうのは、特に、本人の実感以上に「彼の作家魂に子供たちが火をつけてしまった」と書いておいでる部分のことですね(笑)。 (シューテツさん) バリって自分でもアレほど子供たちに夢中になるとは想像していなかったのかも知れませんね。でも、会ってから次から次へと作家としての創造力が膨らんでしまい、その勢いに周りにいた人達もそれぞれ自覚のないまま巻き込まれてしまい、今まで元々あった問題点がじょじょに表面化してゆっくりと自覚し始めた様に思えました。 ヤマ(管理人) 僕も拙日誌にメアリーについては、思わず「冷えた夫婦関係への直視を強いられ」というふうに綴りましたよ(笑)。 (シューテツさん) まあ、とりあえず絶賛派のお仲間が見つかって嬉しいです。 ヤマ(管理人) 慶賀、慶賀(笑) (ケイケイさん) ヤマさん、タンミノワさん、とめさん、シューテツさん、こんにちわ。タンミノワさんの似た感想にホッとしたり、絶賛派のとめさん、シューテツさんの御意見に、なるほど〜と納得したり、楽しませていただいています。 監督のマーク・フォスターの前作『チョコレート』は、劇場で見逃してDVDで観ましたが、何故無理して劇場へ行かなかったのだろうと、心底後悔しました。 ヤマ(管理人) あれはなかなか観応えがありましたよね。 (ケイケイさん) ヤマさんの感想も拝読しました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。あれも、参照テクストに採録した掲示板での談義が非常に楽しかった覚えがあります。 (ケイケイさん) 本当に無駄なシーンが一つもなかったですよね。全部のシーンやセリフに心が宿っていました。 ヤマ(管理人) ええ、実に行き届いてましたね。 (ケイケイさん) 『チョコレート』の邦題は悪評でしたが、私は良い題だと思っています。 ヤマ(管理人) そうですか、悪評だったんですか。 (ケイケイさん) ハンクはチョコアイスを店で食べる時、使い捨てのスプーンに変えてくれって言ってたでしょう? 洗っても人が使ったのはいやだと言う、偏屈な人でした。それがラスト、これから共に生きこうとするレティシアに、自分の使ったスプーンで食べさそうとして、また自分も使う。びゃーびゃー泣きました。息子の愛が届いたんだと思って。 ヤマ(管理人) なるほど。そういう仕込みもキチンとされてたんですね〜。やっぱ、行き届いているなー。 (ケイケイさん) 放心しつつも彼女も口に入れたでしょう? 私はあのセリフ通り、きっと上手くいくと思いました。 ヤマ(管理人) 僕もそう思いましたよ。ハンクと違って、その直前の事情を観ているにもかかわらず「今度は本当にうまくやれるかもしれないな、ハンク!」という気持ちになれましたもの。 (ケイケイさん) だからシルヴィアに「奥様は御存知なの?」だけで、無神経によその旦那さんと旅行になんか行かして、監督私のこと裏切ったでしょう!みたいな(笑)。すごく期待してたんですよ。 ヤマ(管理人) そうでしたか〜(笑)。 僕なんか監督名は映画観終えてから認識したような有様で(苦笑)。 でも、期待との相関って大きいですよね、感想って。だから僕は、なるべく期待を膨らませないようにしてますよ、せこいから(笑)。 (ケイケイさん) でも観終わってみれば、ティム・バートン向きの作品じゃなかったかなと思います。 ヤマ(管理人) そしたら、あんなふうに上品な作りにはならなかったでしょうね(笑)。 (ケイケイさん) 大人に成りきれないバリに、少々違和感が残ったので、バートンなら愛すべきバリにしてくれたかなって、ちょっとだけ思いました。 ヤマ(管理人) なるほど、それはそうかも。拙日誌に綴った、シリアスなアクセントが利きすぎてバランスを損ねたような感じなんてことは起こり得ないような気がしますね、確かに(笑)。 (ケイケイさん) タンミノワさん >大きな声ではいえませんが「ナゾの多い映画」でして…。 大きな声じゃ言えませんよね(笑)。こんなにみんな感動してはるのに、水を差すのは私もはばかられました。良い作品だと思っているので、尚更です。だからヤマさんやタンミノワさんの感想をお聞きして、すごくホッとしました。 とめさん、シューテツさん 視点を変えてみればいいんですね。目から鱗でした。こんなに自分と違う感想を読んで、嬉しかったのは初めてです。この作品は、「私も絶賛に連れて行って!」みたいな気持ちだったので(笑)。ほんと、嬉しかったです。 (タンミノワさん) 皆さんの対話によって、『ネバーランド』が完成しつつあります。ありがとうございます。(笑) ヤマ(管理人) それはそれは(笑)。間借り人の部屋が役立って嬉しいですねー。 (タンミノワさん) ケイケイさま あの、実は…私この映画、前半ですね…自分だけのネバーランドに行ってしまってまして…(恥)その意味でわからない部分が多かったんです。すみません。批評する資格ないんですが…(汗)。見てた部分だけで発言しておりましたが、とめさんたちの意見を聞いてたら「もしかしてもっといい映画だったかも?」と揺れてたちして…。(ええかげんな奴) ヤマ(管理人) 観直してみると、ぐっと印象が違ってくるかもしれませんね(笑)。 (タンミノワさん) あ〜ちゃんと見とくんだった… ヤマ(管理人) TVでは、きっと再見の機会があると思いますよ(笑)。 -------焦点の散漫さとは異なる原因(観る側の子供心)------- (タンミノワさん) なんとなく『ネバーランド』に関して根本的に乗れない…というより寝てしまった(笑)つまりは乗れなかった主原因には、私が、あまり「想像力で、紙のお月様も本物に見える」というメインテーマに乗れない人間なのでは、などとおもってました。 ヤマ(管理人) 焦点の散漫さとかではなく、根本原因としての観る側の属性ってことですね。なるほどなぁ、そう言われてみると、僕も割とリアリストだからな〜(苦笑)。 (タンミノワさん) 犬と踊る姿を「想像で熊に見える」というようなことが、出来たら素晴らしいだろうなあとは思うのですが、私はそういう想像力にはほとんど欠けてるんですよね。哀しいことに。 ヤマ(管理人) 想像力っていうのにも、さまざまな方向性があるわけですが、確かに僕もそういう方面は弱いほうですね。 (タンミノワさん) 子供の頃にはあったんだろうけど。だから、実はそのへんでもうシラけて、というかついていけなくなっていたのかも。 ヤマ(管理人) ただ僕はけっこう遊び心はあるんで、シラけたり、ついていけないってこともないですが、思えば、元々弱いほうの線だから、ちょっとシリアスが利いてくるとすぐにそっち側に引っ張られるってのはあるかもしれないな、と思いました。ちょっと面白い気づきをくださり、ありがとうございました。 (タンミノワさん) 子供はできるんですよね。イマジネーションで犬も熊に見える。というか、ごっこ遊びなんかしてると、親である私がカラスになったふりをすると真剣に怖がってるけど、私自身は、余りそういうのを心から楽しめてないで、サービスとしてしているところがあるんですよね。つくづく子供心がないんだと思います。本気で信じられない。朝の出勤の時「今、私の歩いているのはパリの町並み…」と想像してみましたが、ダメでした(笑)。 ヤマ(管理人) そういうのは確かに僕もダメですね(笑)。でも、本気で信じる力はなくても、そうして遊んでみるっていうのはあって、子供とごっこ遊びするのをサービスとしてしている気にもなりませんでしたよ。けっこう楽しんでた記憶があります。しかし、それは“ごっこ”自体を楽しんでいたのではなく、子供と遊ぶことを楽しんでただけなんでしょうね(苦笑)。 そして、自分が飽きるとやめちゃうから、そうなんであって、子供のためにちょっと無理して付き合ってあげると、サービスって思いも湧いたんでしょうね、僕も。それで言えば、サービスって思いながら相手してあげてるほうが偉いようにも思いますよ。 (タンミノワさん) きっと、この当たりが冒頭で話の軸にあったから寝てしまったのかもしれない…と告白してみました。 ヤマ(管理人) 僕が寝ずに済んだのは、子供とのごっこ遊びに対するそのへんのビミョーな差なのでしょうか?(笑) (タンミノワさん) 子供心がないのって、なんとなく罪悪感するんですが、カッコつけてもしょうがないんで… ヤマ(管理人) そうですか? 善し悪しとは違うことでしょうに。 子供心ないからって子供を投げ出すのは悪でしょうが、子供心のあるなしで善悪問われても、どうしようもないというか…(笑)。 (タンミノワさん) あ、なんとなく寝てしまった言い訳っぽいですね。すみません。 ヤマ(管理人) ちっとも、ちっとも。面白い気づきを貰えて嬉しく思いましたよ。 (タンミノワさん) でもきっと、私がこの映画に冒頭でしっくり来れなかったのがそのへんなんだと思ったんですよね〜。 ヤマ(管理人) そういう面は確かにあったのかもしれませんね、お互い(笑)。でも、映画好きのタンミノワさんがいっさいの有り得なさを受けつけられないとは到底思えませんよね(笑)。ハウトゥものや評論しか読まないってなことがあるわけなさそうだもの。 -------焦点の散漫さとは異なる原因(夢見への威張り)------- (Fさん) ヤマさん、こんにちわ。 ヤマ(管理人) ようこそ、Fさん。 (Fさん) タイトルはあの『私は好奇心の強い女』・・・からです(笑)。説明しないと分からないギャグを入れるなって(笑)。 ヤマ(管理人) 自他共に認めるって受け取られ、ネタって思われにくいかも、ですからね、Fさんの「私は子供心の強い男」って書き込みタイトル(笑)。 (Fさん) 僕もいかんかったです、『ネバーランド』。 ヤマ(管理人) あ、そうでしたか(笑)。 (Fさん) 子供心あるつもりだったんだけどなぁ…。 ヤマ(管理人) なれば、タンミノワさんよりもショック大?(笑) (Fさん) というか、大人げないというか(笑)。ここにおられるみなさんみたいには大人でない事は間違いないと思っているんですけどねぇ。 ヤマ(管理人) んなこと、Fさん以外は誰も思っていないと思いますが(笑)、Fさんが子供心を人一倍大事に思っているというのは判ってます。 (Fさん) お芝居に絡んだ部分とかはすごくいいと思うんだけど、あの主人公たちの脇のドラマがね。 ヤマ(管理人) そうそう、ちょっとバランス欠いてますよね、やっぱ。 (Fさん) 一言で言って…。夢見る奴ってそんなに偉いんか(笑)?…って言いたくなる。何だか本当に威張って夢見てる。 ヤマ(管理人) こりゃまた、身も蓋もない(笑)。Fさん鬼門の「偉そう」に触れましたか(笑)。夢見好きは、好きでそうしてるだけであって、それを持ち上げるなってことですね。 (Fさん) 自分の子供心もすこぶる怪しくなってきましたが、子供はウソには敏感ってとこもありますからねぇ(笑)。何となく…そんな気もしています(笑)。 ヤマ(管理人) おや、説教がましささえお感じになりましたか(笑)。ショック大ゆえの逆襲か?(笑) 僕はそこにまでは至らなかったんですが、Fさんに「敏感」って持ち出されると、自分はそこまで気づかなかっただけかもって思ったりするじゃないですか(笑)。 しかし、普通に見れば、やはりそこまではいかないんじゃないでしょうかねー。けど、そうとさえ映る部分があるっていう御意見は、非常に興味深いですね。言われてみれば、故なしとも言えないような気がしますもん。それにしても、儲け損ないましたね、Fさん(笑)。ですが、それだけに感想文が楽しみですな〜。 (とめさん) 『ネバーランド』で儲けたとめです(笑)。バリに肩入れしてるつもりはなかったんですけどねぇ。そうなりますかねぇ。 ヤマ(管理人) 肩入れというのはちょっと言い過ぎですね、失礼失礼(笑)。お汲み取りっていうほうが適切でした。 (とめさん) いや、どうも私「芸のためなら女房も泣かす〜」って男嫌いじゃないんですよ。 ヤマ(管理人) お、浪花女の心意気! (とめさん) だからもしかしたらバリにそれを感じたのかも(笑)。 ヤマ(管理人) バリにメアリーを泣かす覚悟と自覚が無かったように見えたとこがケイケイさんたちの顰蹙を買ったように思うのですが、とめさんがバリに芸の肥やしってとこを感じられたのなら、そりゃ浪花女として、咎めるわけにもいきますまいて(笑)。 (とめさん) かと言ってそういう人の嫁には到底なれませんけどね。 ヤマ(管理人) なりたくてなる人はいないでしょうね、きっと(笑)。そういう男に惚れた自分のツトメやってなもんでしょう。前回の更新でアップした『ポロック 2人だけのアトリエ』の奥さん、そんなんやったな〜。 (とめさん) 私はそういう人の嫁になれる人を心底尊敬してますから。 ヤマ(管理人) 同感ですよ、真似できませんよね。ですから、『ポロック』の日誌にて、つい自省を促されましたよ(笑)。 (とめさん) もう菩薩と言い切っていいくらいかもしれません。ですから、ついていけない人もいける人もどちらも至極納得出来るんですよ。 ヤマ(管理人) なるほど。バリのみに汲み取っているってわけじゃないよってことですね。でも、それはそう受け取ってましたよ。ですから、とめさんには表現の豊かさとして繋がったと拝察し、自分との対照を興味深く感じていたのでした。 (とめさん) 『ネバーランド』のバリはこのあたり妙に優しすぎたのかもしれませんね。 ヤマ(管理人) それはありますね。そこんとこが優しさとして伝わればまだしも、無頓着なり無神経として伝わるとやはり顰蹙を買うでしょうね(笑)。 (とめさん) いっそのこと「酒や酒や!酒こうてこんかい!」くらいの理不尽さがあったほうが納得いきやすかったかも… ヤマ(管理人) そうそう、ポロックやなにわの春團治のように弱者露呈の図のほうが、顰蹙を買わずに済むところがあるようには思いますね(笑)。 (とめさん) って物語、かわっちゃいますね(笑)。 ヤマ(管理人) うんうん、上品にファンタジーを語りにくいですわな(笑)。酒に溺れて朝帰りってな状態で、犬を熊だと信じようって呼びかけても、ただの酔っぱらいの戯言になっちゃいますもん。それじゃあ、バリも救われまいて(笑)。 (Fさん) うん。僕も芸道モノのことはチラッと思いました。僕もあの手は好きな方なんで。 ヤマ(管理人) Fさんも表現者としての創造性やら芸の探求って、ある意味、御自身のなさっていることに繋がりありますものね。 (Fさん) で、何でこっちは自分は受け入れられないんだろう?…って考えると、嫁さん泣かせたからってことじゃないと思うんですよ。 ヤマ(管理人) 今言った御自身に身近だと思われる問題意識の視座のありようからして、当然と言えば当然ですよね。 (Fさん) ひとつは、とめさんご指摘の「酒買うてこい!」がなかったからだと僕も思います(笑)。そうでなくっちゃね(笑)。 ヤマ(管理人) バリには、苦悩と葛藤が窺われないってことですね。 (Fさん) もうひとつは、芸道バカ男は自分を善人とか思ってなくて、自分で自分がゲスな男、自分が非道であると分かってる。 ヤマ(管理人) なるほど。 (Fさん) それでもあえて汚れる求道精神ってとこがあると思うんです。 ヤマ(管理人) 芸道の持つ牽引力にやむにやまれず引っ張られる部分ってことですね。 (Fさん) でも、ジョニー・デップは自分が悪いと思ってないでしょ? こんな子供心で純粋なオレは善人だ…と思っている。そして、世俗な女房は自分より劣ると思ってる。 ヤマ(管理人) 僕は、そうともそうでないとも描かれていなかったように思うのですが。 (Fさん) そういうニュアンスの台詞も実際にある。 ヤマ(管理人) そうでしたっけ。そんな重要な台詞がありましたか? ちょっと見過ごしてしまったかな。 (Fさん) その見下しが思い上がりだし、偉そうだと思うんですよ。芸道バカは、自分を正当化したり善人づらしちゃいかんです(笑)。 ヤマ(管理人) それはそうですね。ポロックも春團治もそういうことはしません。って出来るような行状じゃありませんよね(笑)。 -------バリの弱さ------- (とめさん) 優しさは〜男の罪〜なんて歌がありましたが…(笑)。 ヤマ(管理人) 男のワガママを許さないのは女の罪とかっていう、我々男には、とってもオイシイ歌ですよね(笑)。 (とめさん) Fさんのおっしゃること大きく納得です。「酒買うて来い!」がなくって善人ヅラに見えちゃったらそらダメですよね。私はバリのことを優しい…と言ったのですが、これもうちょっと意地悪く言い換えると、弱い…んですよね。 ヤマ(管理人) あ、このへん、メアリーに合わせてたバリのイメージとも重なっておいでなんですね、きっと。 (とめさん) 善人ヅラすることさえも出来ない弱い人間に私には映ったんですよ。 ヤマ(管理人) メアリーとの冷えた関係について言えば、その修復に向かうことからも、劇作のための自分のワガママを妻に押しつけることからも、逃避しているような傾向があったってことですか? 中途半端に紳士的で理性的な部分が虚弱さに繋がったんですかねぇ(笑)。 (とめさん) なんか妙なたとえ話になっちゃうんですが…(^^;)、雨振りに一本の傘を二人でさしてて、お互いが濡れない様にと気遣ってるせいで結局二人とも濡れてる。 ヤマ(管理人) 半端な気遣いが共倒れを招いているわけですね。 (とめさん) これ普通なら男の方がおまえさしとけ!って自分はとっとと濡れながら歩いていくんだと思うんですが、 ヤマ(管理人) なるほど。雨は一人でかぶるんですね。目指すとこへ向かいながら。 (とめさん) バリの場合は、濡れると風邪ひくわよとかなんとか声をかけられると、強気で歩いて行くことも出来なくて、そんな時子供たちに雨なんて大丈夫だよと手をひっぱられて走っていっちゃうんだけど、置いてけばいいのに傘持ったまま行っちゃった…って感じなんですよね(笑)。 ヤマ(管理人) ふむふむ。引きずられ型だと(笑)。自分からの切り開き型じゃないから、ついうっかり傘をそのまま持って行ったんであって、無神経とか無頓着とかとは違うように感じられたということなんですね。 (とめさん) ズブ濡れ状態で放ったらかしにされたメアリーを見たら、誰しもなんなんだあのバリって野郎は?!って、腹たって当然だとは思うんですよ。 ヤマ(管理人) 傘持って行ったんだから、自分は濡れてないってことですもんね(笑)。 (とめさん) でも私には「あ〜あ・・・バカだねぇあいつ・・・」って、そのバカさ加減がなんだか妙に許せてしまったんですよ。 ヤマ(管理人) 許せる弱さもバカさ加減も感じたよってことですね。ふむ、おバカか、なるほどね。 (とめさん) おまけにすっかり雨あがってるのに、まだ傘持ってウロウロしているというマヌケさも憎めなかったんですよねぇ。 ヤマ(管理人) 僕が彼に感じ取った自省心とかに通じる部分は、確かにこういうふうにも言えるようには思いますね(笑)。 (とめさん) 春団治なんかは理不尽なこと言いながらも、傘だけはちゃんと置いて行ってるタイプだと思うんですけどね。ま、その傘穴だらけかもしれませんが…(笑)。 ヤマ(管理人) うむ、とめさんの肩入れ・贔屓は、バリやのうて浪花の芸道男なんや! その場合、穴だらけの傘残されても濡れるだけなんですが、置いて行ってくれたとこが嬉しくて許せるんでしょうね。 (Fさん) 引き続きジョニー・デップは芸道一代男か?…という問題ですが(笑)。とめさんのおっしゃる「置いてけばいいのに傘持ったまま行っちゃった…って感じ」…と言われたら、なるほどと思いましたね(笑)。そういう男は、実際にいそうですし。実はうちの親父がそれに近いんですけど…。まったく思いやりとデリカシーがなくてねぇ(笑)。よくオフクロ泣かされてました。 ヤマ(管理人) そうでしたか(笑)。 (Fさん) 僕はそういう親父が嫌いだったのですが、年とるごとに、どこか似てくる訳でして(汗)。少し共感も出てくる。 ヤマ(管理人) そのへんの不器用さというか、とめさんのおっしゃるバカさ加減やマヌケさが、嫌うことも笑うこともできなくなってくる感じというのは、ちょっとありますよね。泣かされてたとのオフクロさんは、泣きつつもそこを感じ取ってて、自分や夫のことより、それで父親を嫌ってる部分があるらしいと気づいて息子のほうの心配をしたりするものなんでしょうね、きっと。 (Fさん) そのへんの僕の個人的な心の琴線に触れるところがあったんでしょうかね(笑)。まったく映画というものは不思議なものですねぇ。 ヤマ(管理人) とめさんに思い掛けない見直しの視点をいただいたってとこですか?(笑) 儲け損ねたとこをちょっと取り返させてもらったみたいですね(慶)。 -------新たなる断然支持派の登場------- (めだかさん) ヤマ様、こんにちは。 ヤマ(管理人) ようこそ、めだかさん。 (めだかさん) 『ネバーランド』の日誌を拝読しました。 ヤマ(管理人) それは、それは(礼)。 (めだかさん) とても美しい映像でした。私は劇の上演部分が一番好きです。 ヤマ(管理人) 「ピーター配役の女優役はそれまではパッとしなかったのだが、劇の中での魅力と美しさに見間違えた。」とお書きになってましたが、僕も同感でした。 (めだかさん) 緑が豊かな映像が多かったというのにはヤマ様の日誌を読んでそういえば、と初めて思い至りました。想像力の幅の豊かさではティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』に軍配(私的に)と思っていたものの、映像が華があって目に心地良いのはこちら…と感じていて、デップの魅力? と思っていたのですが。確かに私にも緑の色彩効果があったかもしれないと気付きました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。気づきに役立てば本望です(嬉)。 (めだかさん) 私は映画を観ていて泣いたのはあちらですが、好きなのはこっちです。断然、支持します(笑)。 ヤマ(管理人) お、間借り人の部屋にお訪ねの方では、三人目の断然支持派宣言ですね(笑)。 (めだかさん) 支持派のくせにかなり文句つけてますね^^; ヤマ(管理人) 支持すればこそのってのもあるんでしょうね(笑)。 (めだかさん) うーん。変に聞こえるでしょうけれど、好きなのは絶対こっちだけれど、面白い…というか、味があると思ってるのはあっちだったりするからややこしい。親子ものが好きですしね。 ヤマ(管理人) そういうのってありますよね。実は、昨日当地でオフシアターベストテン2004の選出をしたんですが、外国映画の第1位が『ドッグヴィル』になったんですけど、これなんかも「好きじゃないけど、面白い…というか」ってクチですよね(笑)。 (めだかさん) 私がこの映画をこんなに好きなのは、その空想のシーンが自分の子どもの頃をとても思い出させてくれたからでしょう。 ヤマ(管理人) こういうのがあると、もう特別なものになりますよね。僕の『春の日は過ぎゆく』みたいに(笑)。 (めだかさん) 『ビッグ・フィッシュ』はその共感は無かった。 ヤマ(管理人) 僕は、逆にこちらで昔のことを思い出しましたもん(笑)。この掲示板でも書いたように思うんですが、今は亡き親父にかつがれたときのことを思い出したんですよ。 (めだかさん) 積み上げた客用布団や座布団を見るたびに乗って飛び跳ねずにはいられなかったことやその時の体の感覚とか、イチジクの木の下で友達と秘密の毒薬製造会社を作ってドクダミの葉っぱをすり潰してたこととか、探偵会社ごっこで窓の開いたアパートの部屋へ入り込んだりとか(親に無茶苦茶叱られました)。その時のワクワク感とか体の感覚とかまでなんだか思い出してしまって。 ヤマ(管理人) それはよかったですね〜。それだと好きになるはずですよね。 (めだかさん) 現実には今はジャンプしても体重を思い知るだけで、あの感覚は思い出せないですけれど、視覚で思い出させるのが凄い。 ヤマ(管理人) だからこそ、特別なものになるんですよね。 (めだかさん) 「主軸となるバリのシルヴィア母子との出会いや交流以上に、彼の妻メアリーやシルヴィアの母親の存在感が印象づけられ、妙に焦点が散漫になったような気がしなくもない。」 この行、焦点が散漫とまでは思わなかったのですが、顰蹙覚悟で言うなら、実は私はシルヴィアをこんなに大きく扱わなくていいのにと思いました^^; ヤマ(管理人) 僕は、大きく扱っているわりに存在感が希薄な感じを受けたんですよね〜。彼女の母親やメアリーと比べて、ね。 (めだかさん) そうそう。出番が多い割にはたいした存在感じゃないように感じられたんですよ。別にメアリとの対比みたいにしなくてもいいと思ったのです。メアリはとても魅力的でしたから、シルヴィアをバリが愛するようになったことに納得がいかない。 ヤマ(管理人) ここんとこが即ち、彼女の存在感の希薄さゆえだったじゃないんですか? (めだかさん) そういわれると仰るとおりです。子どもたちの母親という以上の関係が起こりそうには思えなかったですね。 ヤマ(管理人) 美しい物語として描こうとしてましたから、生々しい官能色は排しますよね。でも、そこんとこが少々不自然な感じがするから、観ているほうは「少年性」とか「ピュアな魂」とかで納得するか、同性愛者やペドフィリア、EDなんてな邪推をするかってことになるんですよね(笑)。 (めだかさん) メアリーがまた細くて落ち着きがあって同情心や保護欲を誘いそうなタイプで、シルヴィアのほうが逞しそうな感じで(笑)。 ヤマ(管理人) そう言えば、そのような感じもありましたね(笑)。 (めだかさん) 役が逆のほうが良かったんじゃないの? とまで思ったり(顰蹙)。 ヤマ(管理人) そうですか〜(笑)。 (めだかさん) あの家庭に入り込む理由は、子ども達だけでも充分に思えました。 ヤマ(管理人) 御自身の映画観賞日記には「子ども達への感情だけで話を通すことは不自然なのか、それとも作中のバリに対してペドフィリアなどの誤解を生ませない配慮なのだろうか。」ともお書きになっておいでますね。まぁ、シルヴィアをあのように位置づけていてもなお、彼にペドフィリアを観て取ってる方もおいでるようにはあるんですけどね(笑)。 (めだかさん) そうなんですか。うーん…私もちょっと実在のバリには否定しきれないものがあるんですけどね。この辺、作り手はちょっと過敏にならざるを得なかったかもしれないし、 ヤマ(管理人) あらま、そうなんですか(笑)。だから、ああいう作りの映画になってたのかなぁ。 (めだかさん) それは仕方が無いとも思います。そういえば『ボディ・ガード』でもその辺りの配慮がありましたね。 ヤマ(管理人) そうでしたっけ? もう忘れちゃってますが(苦笑)。 それはそうと、焦点が散漫というのとは少し違う御趣旨なのかもしれませんが、「あまりに愛すべき人物のように見えて、その想像力よりも“少年”の印象の部分が映画の中で際立ってしまう。子どものように豊かな想像力に焦点を当てており、“永遠の少年”というイメージを賛美する作品ではないはずなのに、むしろそこが目立って」とお書きになっているところなどは、焦点のぼやけみたいなことには通じるように感じましたよ(笑)。 (めだかさん) そうですね。はっきりとそこまで私の思いが至らなかっただけだと思います。デップのバリは魅力過多と文句をつけながらもそれにかなり幻惑されてたんです(笑)。 ヤマ(管理人) いや、そのほうがお得でよろしいじゃありませんか。 (めだかさん) 「メアリーとファンタジーに心遊ばせたいバリの相性の問題と言ってしまえばそれまでなのだが、」 おっしゃるとおり夫婦の相性の問題と流して、あの離婚には全く頓着してませんでした^^;。 ヤマ(管理人) このへんは断然支持派になるための必要条件なのかもしれませんね(笑)。 (めだかさん) ですね(笑)。私のメアリーとバリの立場の解釈というのは、とめさん(はじめまして。)が「“子供っぽさ”はわかってはいても、彼女の目の前には“大人の社会”というのがあって」とおっしゃったのに近いかしら。 ヤマ(管理人) なるほど。やっぱり支持派の必要条件なんだ(笑)。 (めだかさん) 私には、バリがメアリーに合わせようと努力するほど大人にも見えなかったのですが(笑)、まぁあのくらいに配偶者を気遣わないことは、どこの夫婦でもありそうなこと。 ヤマ(管理人) だから離婚率が増加の一途を辿るんでしょうけどね(笑)。まぁでも、始終こまやかな気遣いをってなわけにもいきませんよね、日常を共にしていると(笑)。 (めだかさん) バリばかり歩が悪いですけれど、メアリーだって似たようなものだと思うし。私には、互いの気遣いの方向性が違っただけのように見えたんですよね。 ヤマ(管理人) あっさりと相性の悪さってことで収まったということですよね。っていうか、方向性の違いを提示して始まった物語だったとの解釈でしたね、めだかさんは。 (めだかさん) ケイケイさん(はじめまして。)が男性ライターの方がメアリーを愚鈍と評していたというお話をしていらっしゃいましたが、私はこれってあってもおかしく無い。むしろ男性から出そうなご意見だと思いました。 ヤマ(管理人) そうですか(苦笑)。ま、酷な男だってたくさんいるでしょうね、そりゃ(笑)。でも、僕にはちょっと違和感がありましたよ、愚鈍はなかろう?って。 (めだかさん) 子どもっぽさというのは、私は誰にでもあるものだと思うので、バリのそれも気にならなかったです。「あ、こういう人、いるね〜」程度(笑)。 ヤマ(管理人) これは僕もそうでしたね〜。 (めだかさん) 幼稚さの基準と偏向が人によって違うでしょうから、バリの愚鈍さ(優柔不断、無神経)が引っ掛かる方のお気持ちもわかります。 ヤマ(管理人) ええ、同感です。 (めだかさん) それと、子どもがいたとしても、あの夫婦は価値観を認め合うことが無い限り、育児態度でぶつかってた気がします。 ヤマ(管理人) もちろん、その可能性も大いにありますよね。でも、それぞれの価値観を接近させる契機になり得た可能性も同時にあるわけで、僕は、そちらのほうをふと思ったのでした。 (めだかさん) 互いの価値観を見直す機会がピーター・パンであり、その誕生が、父親を失った子どもへの共感にあったのなら、たとえ2人の間に子どもがいても、ヤマ様のおっしゃるとおり「ピーター・パン」は生まれないし、価値観の寄り合いもないでしょう。 ヤマ(管理人) 少し、意味が取りにくいのですが(詫)、ピーターパンはバリ夫婦の互いの価値観を見直す機会になったんですか? (めだかさん) すみません。読み返したら変な自分でもワケワカメな文章でした(汗)。 価値観を見直す機会になったというのは、私には「このお芝居を書かせたのは、あの人たちよ。」の言葉には、結婚生活への恨みと悔恨の他の気持ちもあったように思えて…。 ヤマ(管理人) これなら、よく分かります。僕もそういうふうに受け取ってましたよ。 (めだかさん) つまり、日記がメアリーにバリの価値観、というかヤマ様のお言葉をお借りするならファンタジーへの理解の切欠になったかもしれないけれど、同調するには至らなかったのだなあと。 ヤマ(管理人) うん、日記を読んだことは彼女にとって大きかったでしょうね。ピーターパン物語の誕生よりは、断然日記だろうと僕も思いますね。 (めだかさん) 私は、あそこでメアリーがまた女優業に戻ってバリの劇に出ることをとても期待したものでした。そういう話ではないし、メアリーがバリのネバーランドに同調すべきとも思わないのですが、できれば良かったね、と。 ヤマ(管理人) 僕もメアリーが同調すべきだとは思いません。ただ気の毒な感じがしたんですよね〜。 ところで、ピーターパン物語の誕生は、確かに映画では、父親を亡くし、母親をも失う不安に怯えるピーターへの共感に端緒があったわけですから、バリが自分の子供を得ても、それがピーターのような父親を亡くしている子供として接する機会はバリにはありませんよね。ですから、「たとえ2人の間に子どもがいても、ヤマ様のおっしゃるとおり「ピーター・パン」は生まれないし、価値観の寄り合いもないでしょう」とお書きのほうは、僕にもよくわかります。 (めだかさん) にしても、バリもメアリもそれぞれ違う価値観ながら魅力的な人物造形でしたからどちらの立場にも加担したくなってしまいました。 ヤマ(管理人) 僕は、どちらにも加担しなかったんですが、断然支持派としては、どちらにも加担ですか(笑)。なるほどね。 (めだかさん) どちらも好きになったから(笑)。好きな人には、できれば傍観ではなくて加担したくなってしまう(笑)。 ヤマ(管理人) そりゃそういうもんですよね(笑)。 (めだかさん) 結局、そんなことはできなくてこれはしょうがないなぁと思うしかないのですが。 ヤマ(管理人) 相性に尽きるってことですね(笑)。 それはそうと、断然支持派のめだかさんの映画観賞日記での結語は興味深かったです。 (めだかさん) お読み戴きましてありがとうございます。 ヤマ(管理人) 「バリの表情はとても哀しい。それは決して現実から夢の世界に逃避した人の姿ではない。現実を生きるために夢を望み足掻く人の姿だと思う。人は“ネバーランド”を探し続け、誰もそれへの道を辿っている。」こういう映り方もあるんですね〜。 逃避ではない。足掻く姿。“誰もが”ネバーランドを探し、道を辿っている。いずれも、ここ「間借り人の部屋」では、支持・不支持の如何に関わらず、逆の指摘しか出て来ていなかったように思いますので、ちょうどよかったです(感謝)。 (めだかさん) ガーン!。すみません。実は前の書き込みの時には、過去ログをまだちゃんと読ませて頂いてなくて。「逆の指摘」の意味がわからなくて、このレスの前に読ませていただきました。(本当にすみません) ヤマ(管理人) いえいえ、謝っていただくようなことじゃありませんよ(笑)。 (めだかさん) 映画のバリを大人だなんて言ってるの、私だけですね(-_-;) ヤマ(管理人) だから面白かったんですよ。 僕は、彼もまた聡明で自省心を備えていればこそ、メアリーが他の男の元に走ったことを咎めも憤りもしなかったのでは、というようなことを言ったりはしてるんですけどね。 (めだかさん) えっとですね、バリという作家は、常に自分の身近な人物や自分自身に題材や着想を得ていた作家なのです。 ヤマ(管理人) これは映画のなかでのってことではなく、史実上のって話ですね。 (めだかさん) その想像は、指輪物語のように別世界と別世界の住人を作るのではなく、あくまで現実に即していて現実の人物を想像で動かすタイプの作家さんだったようです。 ヤマ(管理人) このことは、めだかさんの映画観賞日記にも書いておいででしたが、僕などピーターパン物語の作者ということさえ知らなかったんですよね(笑)。 (めだかさん) 『ピーター・パン』にしても、ピーターを英雄にしながらもとても孤独に描いていて、最後は子ども達が家へ戻ってくる話です。 ヤマ(管理人) 確かに。 (めだかさん) 賛美するだけでもなく行ったきりでなく、現実に戻ってくるというところが、バリは想像に遊びながらも現実を見失うまいとした、実はとても現実重視の作家さんだったと思うのです。そう私が考えていたのが多分、この映画を観るにも影響したのでしょう。 ヤマ(管理人) それはかなり大きいかもしれませんね。映画からはとてもそこまでは窺い知れないことですが、ある種の聡明さと自省心というものを備えた人物であることは推察できましたよ。例の「子供にはたった三十秒で大人になってしまう瞬間がある」ってな台詞にも窺えるように、ね。 (めだかさん) それはそうと、ヤマ様の日誌の「“演劇はプレイ[遊び]だったな”とバリに語る興行主フローマンの台詞を待つまでもなく」の行、映画の字幕で「プレイ」が何と訳されていたかの記憶が無いのですが、とても触発されました。 ヤマ(管理人) あれは、けっこう重要な台詞ですよね。バリが興行主に忘れていたことを思い出させたように、バリもピーターに思い出させてもらったことがあるってことを示唆しているというふうに、僕は感じました。 (めだかさん) 美しく見せられる空想の世界だけが人にとってのプレイではなく、映画や小説、TVドラマも全てプレイで子ども心ありきですよね(笑)。 ヤマ(管理人) それらの全てとまでは僕は言い切れませんが、とても重要な要素であることは間違いないですね〜。 -------『レイクサイドマーダーケース』とも繋がるとの話が飛び込んで------- (めだかさん) 「大人への踏み出しというのは、まず親との関係に対して始まるものだと思えば、直に親が目撃することは却って稀なことなのが、むしろ自然なのかもしれない」 『ネバーランド』には関係ないのですが、親との関係というところに、昨日に観賞した青山真治の『レイクサイド・マーダーケース』を思い出してドキッとしました。 ヤマ(管理人) これはそういう映画なんですか。僕は青山監督作品ということくらいしか知らずにいるのですが(苦笑)。 (めだかさん) あ、いえ^^;。注目するところによっては、ということですけれど(笑)。 ヤマ(管理人) じゃあ、観てみないことには始まりませんね(笑)。ま、何だってそうなんですが。 (めだかさん) 話としては、もしかしたら『13階段』並にツッコミどころ満載。私としては、煩い演出もある。でも、ホラー好きとしてはツボ。 ヤマ(管理人) およ、『13階段』と来ましたか(苦笑)。でも、『レイクサイド・マーダーケース』って、ホラーなんですか?(笑)。 (めだかさん) 中学のお受験を扱っているので、そこはヤマ様には過ぎた話で今更でしょうけれども、お受験はともかく「親の敷くレール」「親に敷かれるレール」には誰でも反応できるかもと思うのです。 ヤマ(管理人) あ、それは面白そうですね。 (めだかさん) もしかしたらこれ、『誰も知らない』のように、罵ることは簡単だけれど他人事には観れない映画かもしれません。 ヤマ(管理人) ほほぅ、それは興味深いですねー。 (めだかさん) 薬師丸ひろ子にはご興味ないですか?(笑) ヤマ(管理人) 実は、あまりありません(苦笑)。 ですが、青山作品には関心あり!です。なにせ当地では1本も公開されずに来ていますからね(とほ)。 (めだかさん) 調べましたらこれはそちらでも上映があるようですね(^^) ヤマ(管理人) ええ、でも、始まったばかりなのに、2/10までなんですって(苦笑)。 (めだかさん) ふふふ〜。さて、ヤマ様はどうご覧になられますでしょう。ヤマ様のお好きなジャンルではないとは思うのですが。 ヤマ(管理人) いや、ジャンルはともかく、これは観逃したくないと思ってますよ。 (Fさん) めだかさんがたまたま『ネバーランド』とのつながりで、『レイクサイド・マーダーケース』を引き合いに出されていましたけれども、ヤマさんがご覧になってない映画の話で恐縮ですが、実は僕も、この両者に相通じるにおいを嗅ぎ付けましたね。とは言っても、『ネバーランド』の受けとり方が180度違っているので、当然反応した部分も違いますが(笑)。 ヤマ(管理人) 出ましたね、『ネバーランド』のFさんの感想文。タンミノワさんが早速、そちらの掲示板で怒濤の告発文とおっしゃってますが(笑)。Fさんも掲示板に「“それって常識だろ?”って力強く言ってる奴の方が、実は常識が歪んでいるとか(笑)? あのジョニデの主張を聞いてたら、完全に危ない奴だと思いますもんねぇ(笑)。」とお書きになってましたね。 Fさんは、序盤の会食シーンで「一気にサーッと醒めちゃったから、それから何がどうしたってシラケて見えてしまった」と感想文にお書きですし、めだかさんは、ピーターパン上演シーンが圧巻で、「空想のシーンが自分の子どもの頃をとても思い出させてくれた」ということですから、『ネバーランド』の支持不支持は違ってますよね。だから、おそらく『レイクサイド・マーダーケース』に反応した部分もまるで違うだろうってわけですよね。 でも、Fさんだって、このあたりには「確かにこれこそが…“夢”の勝利の最たるものだからね」と「僕でもウッと感激してしまった。」とお書きですし、めだかさんにしても、会食シーン以前の冒頭シーンで、既に「夫婦が同じ対象に向かっても別の位置にいる、別の視点(高い天井桟敷と幕下)にあることを映画の最初から見せているように思う」とお書きになっていて、「彼ら2人はそれぞれ作中でこの時代の通念だった“大人の現実”とそこに住む“大人になりたがらない子ども”の心象を体現している」と感想に綴っておいでですから、180度とまでは言えないんでしょうね。結論的に断然支持派と怒濤告発派とはなっても、僕が読んだところでは、そんなに隔たってはない気がしましたよ(笑)。 (Fさん) 僕は、何だか歪んだ考え方をしている奴の方が、力強く何のためらいもなしに自分を信じて主張したら、あたかもそっちが正しいみたいな雰囲気になって勢い反論もできぬままズルズルといってしまうような、そんなところに似た思いを抱いたんでしょうか(笑)。 ヤマ(管理人) バリにしても、ズルズルと深入りしてしまったんでしょうかね、シルヴィア母子との交流に(笑)。ま、子供たちメインっていう世間向け免罪符の効能を過信したきらいはありますね。なまじホントにそういう気配だっただけにね。でも、そういう意味では、ドイル氏の忠告があった時点でバランス感覚を働かせるべきだったんでしょうが、そのときにはもう既に深入りしすぎてましたね(笑)。 (Fさん) あと、確かに「親と子」という部分もありますね。 ヤマ(管理人) めだかさんがホラー苦手の僕でも反応できる“敷かれたレール”って話のとこですね。Fさんとこの掲示板では、ミステリーってな話もあって(笑)、しかも、めだかさんによれば「罵ることは簡単だけれど他人事には観れない映画かも」ってな話もあって、まぁ何はともあれ、観てみないことにはって感じですね(笑)。 それはそうと、お訊ねしていた台詞って「結婚した時、僕は君と冒険に出かけられると思った。ところが君は家具なんか揃え出した…」ってヤツだったんですね。確かにな〜、相手の責にしちゃいけませんね。こいつは思っても飲み込むべき台詞です、間違いなく。ですが、それのできる人って物凄〜く少ないですよね、きっと。特に、こうして破局に至った時点での確認作業のような対話のなかでは余計にむずかしいだろうと思います。 彼らは、むしろ破局に際しては潔く美しく別れていたように僕は思いましたよ。 (Fさん) いろいろこちらでも読ませていただいていますが、『ネバーランド』、こんな事を言ったら身もフタもないですが、みなさんの言うことはたぶん全部的を射ていると思います。 ヤマ(管理人) みなさんそれぞれ成る程って思わせてくださいますよね。 (Fさん) では、何でそれを語る語り方がいろいろ違ってくるかと言えば、少なくとも僕に関しては、自分の世の中におけるポジショニングから見て、ジョニー・デップを容認できるか否か…ってところに起因するんじゃないかと思うんですね。 ヤマ(管理人) 感想文を拝読すれば一目瞭然、Fさんにおいては、まさしくそこが肝でしたね。 (Fさん) 僕は自分の立場からすると、ガキっぽい男の側ですから、ここは厳しくデップを糾弾しないと立場的にマズイ(笑)。みなさんは大人だから大らかに認められるけれども(笑)。そういう政治的配慮も無意識下にあるんじゃないか?…などなど、いろいろ考えさせられましたね(笑)。 ヤマ(管理人) 自らの無意識での政治的配慮ですか(笑)。これは何か面白いというか、映画で自分を振り返るだけでなく、他の人の感じ方でまた自分を振り返るってこと、わりとありますよね。そういうの、僕は自分自身かなり好んでいて、成る程の異見を示してくださる方の書き込みをいただけると、とても嬉しくなりますね。一粒で二度オイシイ感じで(笑)。 (Fさん) で、ご覧になってない作品の事を繰り返し言うのも大変申し訳ないんですけど、『レイクサイド・マーダーケース』についても、見ているうちに自分の立ち位置をかなり問われて来てしまう。 ヤマ(管理人) 社会派、ホラー、サスペンス、シチュエイション劇、そのいずれであれ、観逃すには惜しい作品だろうとは最初から思ってますよ。 (Fさん) さっき自分で感想書いていて、墓穴掘りそうでヤバイと、書き直そうかと真剣に思ったりしています(笑)。 ヤマ(管理人) これまた楽しみですね、拝読するのが(笑)。 (Fさん) 何だかそのへんの臭いに共通のモノをかいだかもしれません。 ヤマ(管理人) 『ネバーランド』のほうは、作り手自体はそこんとこを別段狙ってはいなかったんじゃないかと思いますが(笑)、それから言えば、『レイクサイド・マーダーケース』のほうは、作り手もそのへんを狙って撮っている作品なんじゃないかってな気がします。観てもないですし、勘に過ぎませんが(笑)。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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