『至福のとき』をめぐって
DAY FOR NIGHT」:映画館主・Fさん
Across 211th Street」:Tiさん
神戸美食研究所」:タンミノワさん
ヤマ(管理人)



 
書き込みNo.3672から(2003/07/10)
------さまざまな映画を想起させた『至福のとき』------

(Fさん)
 ヤマさん、こんにちわ〜。『至福のとき』拝見しましたよ。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。確かFさんにも、そちらで公開されたときに観ることを勧められてましたよね。結局、こっちでは未だに公開されてないのですが、思いがけなく観る機会を得てラッキーでした。

(Fさん)
 ヤマさんはこれを『ハリポタ』『街の灯』を引き合いに出して論じてましたね。ここでは『あなただけ今晩は』なんて名前を挙げてる方もおいでですが。

ヤマ(管理人)
 そういえば、Fさんは冒頭『オール・ザット・ジャズ』なんて意外どころから書き始めてるじゃないですか(笑)。あの映画で出てきたキューブラ・ロスの「死に至る5つの段階」理論ってかなりインパクトありましたよね。

(Fさん)
 要はどれにしても、往年のハリウッドのウェルメイドな作品群を思わせる人情劇に仕上がっているって事だと思うんですよ。で、そこが僕は、チャン・イーモウの今回買えるところだと思う。

ヤマ(管理人)
 オーソドックスな本流テイストって、米の飯のような安心感ありますよね。

(Fさん)
 やっぱり僕は、この人ってチェン・カイコーとの比較で考えてしまうところがあるんですが、

ヤマ(管理人)
 僕も『活きる』の日誌で綴ったように、Fさんのおかげで、その線、抜きには観られなくなってますね(笑)。

(Fさん)
 おそらくは、本人たちもお互いのことをすごく意識してると思うんですよね。

ヤマ(管理人)
 あそこまで来るとね、きっとそうだろうって思われますよね。

(Fさん)
 で、ほぼ同時期にいわゆるアートシアター系作品の限界を感じて娯楽大作路線への転換を図った。

ヤマ(管理人)
 Fさんのお書きになった『初恋のきた道』の感想は、鮮烈でした。

(Fさん)
 その転換が分かりやすいカタチで出たのがチェン・カイコーで、だからその結果も成功なら成功、失敗なら失敗で、すごくハッキリ出ちゃったんだと思うんですよね。
 そんなライバルの上昇と転落を冷静に見つめてたチャン・イーモウが、従来のアートシアター系作品のへその緒を引きずるカタチで、実はコッソリ娯楽作品を模索した『あの子を探して』『初恋のきた道』っていうのを、僕は何だか吹っ切れないものを感じてセコいと思ってたんです(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよね。なんのかんの言っても、ヤツはいつも後から追ってる(笑)。
 巧さではもう確実にチェン・カイコーを凌駕してると思うんですよ。でも、やっぱ後を追ってる二番手(笑)。『ミニミニ大作戦』じゃありませんが(笑)。
 確かにこれってチェン・カイコーの上昇と転落を冷静に見つめてたと言えると同時に、Fさんがお感じになっていたセコさにも通じているのかもしれませんね。

(Fさん)
 ところがこの『至福のとき』は、みなさんおっしゃるように、その出どころがすごくよく分かる。

ヤマ(管理人)
 二番手の居直りというか、腹を括った姿ってことかも(笑)。
 オリジナリティへのこだわりから一皮剥けて、オーソドックスさにひるまなくなっているところが立派ですよね。

(Fさん)
 僕はフランク・キャプラの『ポケット一杯の幸福』だと思ったんですけど、たぶんそのへんが源流でしょう。

ヤマ(管理人)
 キャプラですか、なるほどね。

(Fさん)
 しかもエンディングだけは辛い。そこに現実感覚が忍び込む。要はこれが彼の模索した「娯楽映画」の一つの通過点だろうと。
 面白いことにライバルのチェン・カイコーが『北京ヴァイオリン』で、現代中国舞台に人情ドラマを作り上げたのも何かの縁でしょう。彼もまたスペクタクル超大作、ハリウッド資本西欧映画を経て、同じところに行き着いたのかもしれません。

ヤマ(管理人)
 おおー、前にFさんが言ってた映画は『北京ヴァイオリン』っていうのか。
 人情ドラマですか? チェン・カイコーが?(笑)。ま、性愛ものよりゃ、リスク小さいかも、ね(笑)。

(Fさん)
 そしてチャン・イーモウがこれの次作に、真っ正面からアクション映画に取り組む『英雄・ヒーロー』を取り上げたのもすごく分かるんですよ。この二人のゴジラ対ガメラそこのけの対決は、これからもっと楽しめるんじゃないかと思うんですね。

ヤマ(管理人)
 『HERO<英雄>』は、予告編を観たんですけど、めっちゃそそられましたね(笑)。
 んで、Fさんの影響でゴジガメ対決路線が染みついちゃってる僕は、たちどころに『始皇帝暗殺』を想起したのでありました(笑)。

(Tiさん)
 僕は、『スモーク』のラストの盲目の老婆のエピソードを思い出しました。ヒロイックでない気持ちから始まった、幸せないかさまっていうところが。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、Tiさん。なるほどねー。
 それにしても、さまざまな作品を想起させる触発に富んだ豊かさというのが、まさしく観る側にとっての『至福のとき』という作品なのかもしれませんね。

(Tiさん)
 ウー・インは、ホントにいい娘でしたよね〜。逆境でもひねくれず、かといって父親を盲信しちゃう危うさもなく。

ヤマ(管理人)
 あの、偽札とも言えないような剥き出しの紙を指で伸ばしながら、にっこりと、安心と悪戯っぽさと嬉しさをないまぜにした笑みを浮かべたショットは、絶品でしたね。
 父親のことをチャオおやぢに悪し様に言われてムキになってたときの表情もよかった! 表情の魅力って本当に味わい深いものだと思いますね。

(Tiさん)
 長崎の事件と合わせて、子供の人格って一体どうやって作られていくんだろうって考えてしまいます…。

ヤマ(管理人)
 社会とか文化とか気質とか愛情体験とか、いろ〜んなものが合わさって行ってのことでしょうが、やっぱり親子関係、友人関係、師弟関係などなど人間関係によって育まれていく部分が一番大きいような気がしますね。

(タンミノワさん)
 おおお『至福のとき』で盛り上がっていますね〜。こんばんわ。タンミノワです。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、タンミノワさん。

(タンミノワさん)
 私も拝読しましたよ。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。

(タンミノワさん)
 「いったいどこがハリポタ〜〜??」と不思議でした(笑)。

ヤマ(管理人)
 小憎らしいデブ坊主がいて、継子イジメされてる境遇から始まってますもん。んでもって、いじめられっ子が自信を得て独り立ちしていく話ですもん。

(タンミノワさん)
 『ハリポタ』とのつながり、わかりました。そうか、そうか〜って。確かにドン・ジエを中心に見るとそうですねえ。

ヤマ(管理人)
 でも、やっぱ、残された失業者たちにとっての話なのかな? 甲斐と張り切りを与えに舞い降りた天使、みたいな?

(タンミノワさん)
 そうですねえ・・どっち側に立って見たかというと失業者側・・やっぱ主人公のオッチャンかなあ。

ヤマ(管理人)
 あらあら、オッチャンなんですか(笑)。

(タンミノワさん)
 途中までは、私、そういう人情話が展開されると思っていなくって、妙にドン・ジエが下着でウロチョロすることもあって、「もしかしてドン・ジエとオッチャンの愛が芽生える話?」なんて不届きなことを思っていたのでした。
 私の中では余りにもハリポタ自体がうす〜いので、思い出すにはいたらなかったのかな。皆さん、結構『街の灯』とか『スモーク』とか思い出したんですね。私は数年前に起きた名古屋の少年事件を思い出しましたけどね。
 こういう偶然ハチ合わせた人が誰かの救いになるという話は本当にいいですね。

ヤマ(管理人)
 なるほど、そう来ましたか。
 でも、そういう出会いというのは、偶然のように見えて案外と必然だったり、宿命だったりしてるのかもしれませんよ。行き掛かりってのは、偶然のようにも思えるけど、運命に織り込まれてたようにも思えたりしますよね。

(タンミノワさん)
 うーん。そうかあ・・そう思うと身をゆだねる気にもなろうという感じにさせてくれる映画でしたよね。運命に逆らう、という生き方もありますけどね。

ヤマ(管理人)
 沿うてみるも、逆らってみるも、それぞれの生き方ですよね。どっちがいいとか悪いというもんでもないでしょうね。

(タンミノワさん)
 どっちがトクかよ〜く考えてみよう(ふる)

ヤマ(管理人)
 片っぽ選ぶと、もう片っぽは選べないから、実証のしようはないけど、よ〜く考えてみても、保証はないとこがツライですけどね〜(笑)。
 それにしても、タンミノワさんがサイトアップしておいでの感想を拝読すると、他の色々な映画作品を想起するのではなく、我が身のことであれ、名古屋事件であれ、実際に起こった出来事を想起されたというのが、かなりインパクトありって感じですね〜。Tiさんは、長崎事件だったようですが、いずれにしても映画を映画館のなかにだけ閉じこめてないとこがいいですね。

(タンミノワさん)
 言われて気づきましたけど、そうですね〜。Fさんなんかもそうですよね。事件とかを想起してはるじゃないですか。

ヤマ(管理人)
 そうですねー。映画って“同時代性”っていうのが肝のようなとこありますから、Fさんもそのあたりのこと、意識しておいでじゃないんですかね。

(タンミノワさん)
 読むほうの文学に比べると同時代性はより強いんでしょうかね〜。まあ俳優とか、カントクとか、自分と同時代の人間が演じているとかいうのもありますね。

ヤマ(管理人)
 そうですよね。映画は何と言っても、“映像ゆえの具体性に最大の特長”がありますからね。実は、そのへんのところ、前々回の更新でアップした『私が棄てた女』の日誌で、ちょっと書いてたとこなんですよ。文学と映画っていうことで。

(タンミノワさん)
 元々私の場合は、映画体験が少ないから、他の映画作品とは結びつきにくいってのもあるんですが。そうですね。映画を観て、映画を思い出すってのは少ないですね。

ヤマ(管理人)
 こっちのほうが映画オタクっぽくなくて、断然いいじゃないですか(笑)。

(タンミノワさん)
 映画に詳しくないだけなんですが。


------際立つ下着シーンの謎------

(タンミノワさん)
 私が「もしかしてドン・ジエとオッチャンの愛が芽生える話?」なんて不届きなことを思ったのは、やはりあのナゾのこれでもか下着シーンというのがですね(笑)、まあご愛嬌ではあるんですけどね。
 あれって、何なんでしょうか(笑)。

ヤマ(管理人)
 あ、あれは演出者のよこしまな企みかもしれませんが、一応いわゆる芸術的必然性とやらでいうと(笑)、目が見えない側のドン・ジエと見える側の観客っていうことを強く意識させるってことがあるとは思うんですよね。
 こっそり忍び込んだ場面でなくても下着姿だったような気がするんですが、自分の目が見えないと、見られる姿に無防備になってしまっているわけで、その姿を露わにすることによって、盲目であることが強く印象づけられるし、彼女が突っ張り「無理もなく頑なさと依怙地を育まざるを得ずに来て」いても、やはりとても無防備で危ういイメージというものを与えてくれますからね。

(Fさん)
 おお〜、アレは僕はてっきりチャン・イーモウのスケベ心全開かと(笑)。僕も映画監督なら、お気に入りの娘をチョイスして、バンバン脱がせますけどね。芸術的必然性とか言って。そういう屁理屈こねるの、あいつうまそうでしょ(笑)。

ヤマ(管理人)
 この場合、共演男優を羨むタイプと監督を羨むタイプとありますよね。男優よりも監督のほうを羨むタイプに権力志向が窺えますけど、女性は、わりと男優を羨む男のほうが多いと思っているけど、意外と監督のほうを羨む男が多かったりするもんですよね(笑)。共演男優だと自分も脱がなきゃいけないからな(笑)。

(Fさん)
 あるいは、あの娘がマッサージ業ということもあって、お客さんにその後の展開への良からぬ期待をたくましくさせるのかとも(笑)。いや、そのくらいのサービス精神はあると僕は踏んでいるのですよ(笑)。『英雄・HERO』の娯楽性全開は、今始まったことではないということで(笑)。

ヤマ(管理人)
 あ、このサービス精神は最近、特に目立ってきてますよね。だから、予告編だけ観ている『英雄』が今から楽しみでもあるわけです。

(Fさん)
 もうひとつは、ただ上辺だけだと、それこそ懐かしのハリウッド人情劇の衣をまとっている『至福のとき』なので、そのへんに今風リアルをちょっとまぶしたかったのかも。う〜ん。やっぱあんまり必然性ないな(笑)。

ヤマ(管理人)
 いや確かに、ちょっと際立った形で、ある種の生々しさが映画のリズムに楔を打つ格好にはなっていましたよね。なるほど、そのへん狙ってたっていうとこもありそうですね。
 あるいは、確かに意図していたと思われる「洗練はずし」の主砲とも言うべきものだったのかもしれませんね。もしチャン・イーモウが洗練に向かえば、併映作品のダイ・シージエなど及びもしない鮮やかさを見せてくれるはずでしょうから。

(Fさん)
 そうなんざんす(笑)、ヤマさん。チャン・イーモウならダイ・シジエなんざ敵じゃないほどオシャレにできるはず。シェ〜〜〜〜(笑)!

ヤマ(管理人)
 ですよね〜。

(Fさん)
 あのゴツゴツとした現代中国の現実って感じを出したくってのパンツ丸見えだと思いたい(笑)。たぶん自分が見たかったんでしょうが(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕的には、小娘はどうもね〜(笑)。もっと熟れてるほうがいいな。

(タンミノワさん)
 この「ドン・ジエはなぜ脱がされたか」問題なんですけど(笑)。私は、ヤマさんのストーリー的必然性ってのもわかるんですけど、やはりあれはカントクのシンプルなスケベ心ではないか、と(笑)。

ヤマ(管理人)
 もう少し熟れてれば、僕もそっち行くんですけどね(笑)。どっちかってーと痛ましいくらいで。

(タンミノワさん)
 確かに、痛々しかったですね。なので、「こんなにか細くて痛々しくても脱がすんかい!」と思っちゃいましたが。

ヤマ(管理人)
 まぁ、そういうのが好みって人もいるらしいし、この世界だけは、この個人差というものの幅がめちゃくちゃ大きいですから、ね。

(タンミノワさん)
 もうそこには観客へのサービス精神とかいう職業意識さえも希薄で、とにかくボクは脱がせたい、脱いでくれという声しか聞こえないです。

ヤマ(管理人)
 まぁね、一般項的官能性って漂ってませんでしたもんね(笑)。逆に、だからこそ、観客側には???ってなるわけですから。

(タンミノワさん)
 映画見てると、時々、こういう「?」に出くわすことありますよね。で、映画での全体がよいだけに色々深読みするんだけど、

ヤマ(管理人)
 ハイハイ(笑)。でも、そこがけっこう愉しいもんですよ。深読みだろうが、楽しめたほうがオトクです(笑)。

(タンミノワさん)
 案外カントクの気まぐれだったして。

ヤマ(管理人)
 気まぐれで観客のそういうとこを触発できるんなら、それはかなりの才能って言えるんじゃないでしょうかね〜(笑)。
 僕としては、こちらの掲示板にFさんが書き込んでくれた説がけっこう魅力的なんですけどね。

(タンミノワさん)
 以前、大林監督の『あした』という映画を見た時、

ヤマ(管理人)
 あ、それ、死者が帰ってくる話じゃなかったですかね。

(タンミノワさん)
 そうです。『黄泉がえり』みたいなの。

ヤマ(管理人)
 『黄泉がえり』のほうは観てないなー。

(タンミノワさん)
 『あした』には主人公の女の子が幼馴染と結ばれるというシーンがあり、脱ぐのは必然性があるからいいんですけど、その脱ぎ方の表現というのが、どう考えても作り手の趣味としか思えないシーンでして・・ヘンタイだなあ・・(笑)と思ったことがありました。

ヤマ(管理人)
 おかしいなぁ、僕、覚えてないですよ(苦笑)。小娘、目に入らないんですかねぇ(笑)。ヘンタイってとこ興味深いんだけどな。どんなでしたっけ?

(タンミノワさん)
 多分、青い小娘なので、あまりヤマさんの視界には留まってなかったのかも(笑)。

ヤマ(管理人)
 あは〜(笑)。

(タンミノワさん)
 ヘンタイというか、「なんでそこまでする必要がある」みたいな印象を受けたんですよね。映画監督って芸術という名の下に、己の欲望を実現させられる数少ない職業ですよね。

ヤマ(管理人)
 確かに(笑)。

(タンミノワさん)
 女性監督よりも男性監督の方が多いのはこのせいか?

ヤマ(管理人)
 ありゃ、女性よりも男性のほうが欲望、強いんですかね?(笑)
 欲張りは男かもしれませんが、欲深は女のほうで、どっちもどっちだって気もしたりしますが(笑)。

(タンミノワさん)
 でも、「自分の命令によって脱がせたい」という欲望は、対女への男性の欲望の方が強いでしょう(笑)。

ヤマ(管理人)
 あは〜、そいつは、そうかもしれませんな。見たがるのは、やっぱ男かもねぇ。女は概して目を閉じる側ですよね。近頃はそうとも言えないみたいですけど(笑)。


------フランスに行った洗練志向たちとの違い------

(Fさん)
 それにしてもダイ・シジエといい、『夏至』のベトナムの奴といい(笑)、どうしてフランスに行ったアジア映画人って、ああも「おフランス帰りざんす」って感じで映画撮るんでしょうねぇ?? シェ〜!

ヤマ(管理人)
 これ、妙に不思議ですよね〜。なんでだろー。
 あ、でもでも、シェ〜!ってちょっと、Fさんはおフランス帰りってわけじゃないですよね(笑)。

(Fさん)
 アレはアジア人特有の歪んだ西欧コンプレックスなんですかね?

ヤマ(管理人)
 今にして尚そういうことでもないんじゃないですかね〜?
 コンプレックスというよりは風化かな〜(笑)。

(Fさん)
 イチローが大リーグに行ったら、オレは元々アメリカ人って顔をしだすみたいな(笑)。

ヤマ(管理人)
 あら〜、そーなんですか(笑)。そのへん疎いんですが。

(Fさん)
 僕はチャン・イーモウの場合、フランス資本の協力を得た『上海ルージュ』が彼の娯楽拡大路線の最初の頂点であり限界で、

ヤマ(管理人)
 はいな、はいな。『上海ルージュ』だけは明らかに失敗作でしたね。他にこれといって、そーゆーのがないってのが凄いですけど。

(Fさん)
 一応『英雄・HERO』以前で見る限りではチェン・カイコー『始皇帝暗殺』に呼応する作品だと思っているんですけどね。

ヤマ(管理人)
 あ、そうなんですか。僕は『英雄』を『始皇帝暗殺』の対照とは受け取っていましたが、『上海ルージュ』とは呼応させて考えたことがありませんでした。

(Fさん)
 で、この拡大路線は限界あるぞ・・・って、チャン・イーモウはいち早く気づいた。チェン・カイコーは気づかず大きくコケた(笑)。

ヤマ(管理人)
 後先が、そうすると、チャン・イーモウってことになりますかね。

(Fさん)
 ただ、それ以外にも『上海ルージュ』って、ちょっと「ダイ・シジエ化」の兆しがあるでしょう? ミーの映画はワールドワイドざんす〜みたいな(笑)。

ヤマ(管理人)
 はいはい、そこんとこが滑ってるんですよね〜。

(Fさん)
 チャン・イーモウがそんな自分の中の「おフランス」、「イヤミ」みたいなものに気づいて、そこで農村を扱った『あの子を探して』あたりに方向転換するキッカケになったのでは・・・と、疑ってみたりしたんですよね。シェ〜〜〜〜!

ヤマ(管理人)
 これは面白いご見解ですね。『秋菊の物語』と『あの子を探して』の間で妙に浮いた位置にあるんですよね、あれ。だから、僕も『あの子を探して』は、『上海ルージュ』抜きには生まれなかった作品だろうと思ってます。
by ヤマ(編集採録)



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