『私が棄てた女』('69)
監督 浦山桐郎


 この映画を観るのは二度目になる。手元の控えによれば、僕が後一ケ月で二十八歳になる日に観ているから、十七年前のことだ。遠藤周作の原作小説は二十代の初めに読んだ文庫本が書棚にある。今回、映画を再見してみると、映画のほうは殆ど記憶になく、僕のなかでは、『私が棄てた女』とくれば、原作の『私が・棄てた・女』の印象が強く残っていることが、図らずも確認された次第だった。マリ子(浅丘ルリ子) の妊娠を告げる産婦人科医に原作者自身が扮しているのを観てようやく、確かに見覚えを感じたものの、後はむしろ、自分のイメージのなかにある物語との違いに少々驚きながら観ていた。

 今回、映画を観て最も印象深かったのは、60年安保の挫折によって、反動的に即物的な俗欲に徹した生き方をする友人(江守 徹)と、彼とも似たような身の振り方をしつつも、どちらのウィングにおいても、彼ほどには針を振らすことの出来ない煮え切らなさと内省的な部分を残している吉岡(河原崎長一郎)との対置だった。そこに、同じ遠藤周作の『海と毒薬』の戸田と勝呂を想起したのだが、原作の『私が・棄てた・女』には、そのような対置がされていたような気がしない。また、貧富の階層間で貧者からの脱却を学歴と処世術によって図ろうと足掻く若者を通じて、高度成長時代の日本社会を描こうとしていた社会的視座の濃厚さに、若者たち』三部作('67~'70)をものした脚本の山内久の個性を強く感じるとともに、それも原作の『私が・棄てた・女』にはなかった要素だという気がしていた。そして、小説であれほど印象深かった森田ミツ(小林トシエ) が映画では以外に影が薄く、マリ子や吉岡、そして、その友人のキャラクターのほうが印象深く感じられたが、それは原作の印象に僕が囚われていたせいかもしれない。

 県立文学館の“日本文学原作の映画上映会”シリーズは、いつもレクチャー部分が適度なボリュームで設えられているのが魅力なのだが、今回「宗教文学としての遠藤作品」と題して解説をおこなった高知大教授の鈴木健司氏が開口一番、予めビデオで観た映画の印象について「原作と余りにも違うのに驚いた」と語ったので、僕の感じたことが見当違いではないことが判った。そして、鈴木氏の解説による『私が・棄てた・女』は、僕の印象にあった原作と十二分に符合していたので、改めて今回、僕が映画を観て強く印象に残った二つの点について確かめてみたい気がした。幸いにして、図らずもロビーの休憩コーナーで鈴木氏と言葉を交わす機会を得、早速訊ねてみたら、原作にも長島という友人が登場するものの、そういう位置づけではないとのことで、また、社会的視座の部分についても、同意を示していただいた。しかし、原作文学と映画の関係は、それでいいのだと思う。あくまで相対的な話ではあるが、言葉による文学が普遍性と抽象化に向かうことに対し、映像による映画が同時代性ないしは風俗性と具体化に向かうのは、そのそれぞれの表現の特長からも、自然である以上に必然であるという気がする。そして、近頃の文学が痩せてきているように感じるのは、そのあたりを勘違いしているからではないかと思ったりもした。

 それにしても、興味深いのは、僕が想起した『海と毒薬』の戸田と勝呂が映画の『私が棄てた女』に忍び込んだのは、どういうところからだろうということだ。熊井啓の監督・脚本によって映画化された『海と毒薬』は '86年の作品だが、奇しくもプロデューサーが同一人物で、高知出身の大塚和だ。僕が『海と毒薬』の原作を読んだのは、大学生時分の '79年だが、連載発表されたのは、僕の生まれる前年 '57年だから '63年の『私が・棄てた・女』より早くて、この映画の製作時点よりも更に前になる。映画を観て、その連関を想起したときには、そんなことまでは知らなかったが、どこかで意図されたことだったような気がしてならない。

 ところで、遠藤周作の映画化作品ということでは、『海と毒薬』は、映画も一級の作品だったが、『沈黙』は、原作を二十六歳のときに読んでいるだけで、映画化作品を観るに至っていないままに気になっている作品だ。県立文学館の“日本文学原作の映画上映会”シリーズで、ぜひ取り上げてもらいたいものだと思った。

by ヤマ

'03. 6.15. 県立文学館



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>