『HERO』(英雄)
監督 チャン・イーモウ


 前作『至福のとき』を観たときに、敢えて洗練を排除した演出意図を感じたのだが、そのことが際立つほどに、今回の作品は武侠アクションに材を得ながら、洗練の窮みのような造形の見事さに感服させられる映画だと思った。初めて『紅いコーリャン』を観た十三年前の日誌に「洗練された美を持ちながら、なおかつ力強いというのは、表現として希有のもの」と綴り、深い印象を刻み込まれたことを思い起こした。この作品では、さらにスケール感とも洗練が同居していて、並外れている。

 色彩による構成が見事で、単に衣装の色によるのではなく、エピソード全体の色調にトーン色を配して構成しているのだが、目にも鮮やかと言うほかない。無名(ジェット・リー)の語る長空(ドニー・イェン)との間のエピソードは「沈青色」とも言うべき色調で、同じく無名の語る飛雪(マギー・チャン)が如月(チャン・ツィイー)や無名と闘うエピソードは「黄紅色」とも言うべき色調だ。それが、語り手が秦王(チェン・ダオミン)に変わると、無名が残剣(トニー・レオン)や飛雪と闘う同じ場面のエピソードを「碧青色」とも言うべき色調で描き出す。残剣の語る秦王と残剣の闘いのエピソードは「明緑色」とも言うべき色調だ。その前後に置かれている、誰かの語りというわけでもない事実描写的な場面では、衣装の色さながらに清白色とも言うべきトーンになる。事実というものは、人が語ることによって色付けされるものであると言わんばかりだ。この作品は、物語そのものの妙がそこのところにあって、無名の騙りを秦王が途中で見抜く仕掛けになっているのだから、この色調の使い分けについては、『トラフィック』よりも確かな必然性があり、しかも鮮やかだ。始皇帝伝説に対してさえも、そういうニュアンスを込めているのか否かは不明だけれども、人の語る物語が色づけ抜きにはありえないことを意図的に示しているのは、間違いないような気がする。

 映像的には、風水を尊重する文化的背景をある種の必然性として了解させるような形での“風と水へのこだわり”を示したショットの洗練にも瞠目させられた。砂や木の葉、毛髪、緑布などを使って風雲のドラマに常に風を送り込み、落ちる水、溜る水、跳ねる水などを使って、画面に格調をもたらす。アートのためのアートではないアーティスティックな映像の語り口に、唯々観惚れていた。流行もののワイアーアクションやCG、ジャンプカットを駆使しながら、これほどアーティスティックに造形された武侠アクション劇は、類を見ないのではないか。

 しかも今回驚いたのは、観念的な言葉を使わないことを身上としてきた感のあるチャン・イーモウが、武術の極意を動と静の調和とするだとか、書を極めることで得られる剣の極意だとか、「剣」の二十番目の書体に残剣が込めた意の読み取りによって無名が秦王を量り、その人物を見極めて決断するとかいった、観念的な了解世界の人間ドラマを大真面目に語って、いささかの空疎さも感じさせなかったことだ。彼は、感情を得意とし、観念を語ることをよしとしないと僕は思っていただけに、作家としてのスケールの大きさを見せつけられたようにも思う。

 残剣が、趙人としての誇りとこだわりを超克して、秦王に天下不武を託そうとしたことに対する見極めに無名は臨んだわけだが、残剣から示された、余人を以て託し難い状況にあるとの“可能性”だけでは、十歩必殺の技の行使を放棄する気はなかったはずだ。残剣の説得にもかかわらず、王宮に赴いたのだから、むしろ殺意のほうが上回っていたに違いない。それを撤回させるだけの人物像を秦王が見せる運びがなかなか巧みだった。

 無名の騙りを見破った理由で人物の器が先ず仄めかされる。そして、三人の刺客がいかにして無名の秦王への接近を可能にしたかということを見抜くだけではなく、かの三人が一致して託したことをもって瞬時に無名の技から逃れる術がないと悟ったうえで、いささかも怯まないところを見せる。さらに「剣」の書の意を読み取り、残剣の真意を伝え知らされ、知己を得て死することに悔いなしとの覚悟を見せる。その姿に説得力を備えさせたチェン・ダオミンが立派だった。だからこそ、無名をもはや殺したくはない秦王の“私情”と恣意に流されない厳正なる法の行使による統一国家の形成という“大義”との間の葛藤に、緊迫感と説得力が備わったのだろう。

 それにしても、壮大な演出によるクライマックスだった。それがいささかもこけ威しに見えてこないのだから恐れ入る。冒頭の和太鼓のリズムに始まり、馬脚の乱舞するシーンから、終始途切れることなく眼福とも言うべき時間の続く、見事な作品だった。




参照テクスト:『HERO』(英雄)をめぐる往復書簡編集採録


推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0308-4hero.html
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2003/2003_08_25_2.html
推薦テクスト:「シネマの孤独」より
http://homepage1.nifty.com/sudara/kansou6.htm#hero
推薦テクスト:「K UMON OS 」より
http://www.alles.or.jp/~vzv02120/203/238.html#jump1
by ヤマ

'03. 9. 2. 松竹ピカデリー1



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