『至福のとき』[幸福時光(Happy Time)]
『小さな中国のお針子』(Balzac Et La Petite Tailleuse Chinoise)
監督 チャン・イーモウ
監督 ダイ・シージエ


 五月に『ドリアン・ドリアン』を観て以来、香港の対岸にあるらしいシンセンという、世界史教科などでは余り聞き覚えのなかった名の特区が気になっている。現在の中国でのトポスとして、どういうニュアンスを帯びた土地なのだろう。そんなことを思っていたところで観た二本立て上映の両方に、この土地の名が出てきた。『至福のとき』では盲目のウー・イン(ドン・ジエ)を継母の元に残し、金を持ち逃げした父親の行き先とされ、今住む都会でも叶わぬ夢としての視力回復手術さえ叶えられるかもしれない場所として名が上がりつつも、そこでダメなら香港、それでもダメなら米国といった形で連なる序列の初発に位置する都市名であり、『小さな中国のお針子』では '70年代半ばの文革時代末期にルオとマーを残し、僻地の山村から都会へ向かった少女の流浪の果ての地として、さらに香港へと流れていった噂を聞いたという形で出てきた。そこには余りポジティヴなイメージの投影はなかったように思う。要は、ある種の憧れを誘いつつも危険で厳しい都市のイメージで、日本における高度成長期の東京のようなものなのかもしれない。「深」の字に土偏に川という手元の漢和辞典にもない文字でシンセンとなっているが、香港との間に見た目以上に深い川の隔たりを横たえつつ、眺望できてしまうが故の葛藤をも偲ばせる地名だと思う。

 『ハリー・ポッター』のように始まり、『街の灯』のような展開を見せ始める『至福のとき』が感銘を与えるのは、人の心を打つものが単純に、嘘か本当かということやその動機が相手を想う善意か否かということではないことを明らかに示しつつ、人が人との関係のなかで再生し、得難いものを獲得していくさまを、ユーモラスに爽やかに且つ哀しく描きあげているところだろう。先頃観たばかりの『ミニミニ大作戦』にも通じるような“チームプレー”が失業中の中年労働者たちによって繰り広げられるおかげで、動機ともどもチャオおやぢ(チャオ・ベンジャン)の過度にヒロイックな献身とならずに済むわけで、中華風の図太さとぞんざいさを大らかに内包した温かみというものの味わいとなって泌みてくるところが実にいい。按摩の心付けが本物の紙幣ではなくなったことを確かめたときに思わず漏らすウー・インの笑みが本当に素敵だった。失明し、父親に捨てられ、継母に苛められ、無理もなく頑なさと依怙地を育まざるを得ずに来ていた少女から、あのような笑みを引き出す奇跡が人と人との関わりには起こり得ることに、素直に共感できるところが何とも嬉しい作品だと思う。
 相手に最大級の関心を寄せ、可能な限りの最善の手を尽くして当たることこそが行為としての誠実さなのだ。この作品は、そのことの意味するところを再認識させてくれたようにも感じる。つまり、そこにおいては、動機が何であれ、手法がいかさまであれ、それ自体が誠実さを損なうものではないわけだ。誠実とは即ち全身全霊で立ち向かうことの一点でしかない。そして、行為としての誠実さが確実に受け止められていくなかで、自ずとそこに心の誠実さが宿っていくというのが人間関係というものなのだろう。チャオおやぢに限らず、凡人ごときにすべからく心の誠実さを求めることには、そもそも無理があるというものだ。人間関係において心の誠実を享受できるか否かは、本質的に相互の関係性のなかで決まってくることであって、決して一方的なものではあり得ない。しかし、逆に言えば、だからこそ、こういう奇跡的な出来事を生み出し得るのも人間関係というわけで、ウー・インが生まれて初めて“至福のとき”を感じたのは、まさしくチャオおやじたちが自分に「最大級の関心を寄せ、可能な限りの最善の手を尽くして当た」ってきてくれたからだし、多くを学んだことや感謝をウー・インが告げるに至ったのは、そういう“行為としての誠実さ”の意味するところと与えてくれるものを知ったということなのだろう。
 チャン・イーモウの描出するドラマは、シンプルであるが故の力をいつもいかんなく発揮している。たいしたものだ。

 『小さな中国のお針子』は、『至福のとき』が敢えて排除したような類の洗練というものを、ある種、無頓着にまとっている作品だったような印象がある。ふっと想起したのが十年近く前に観た『青いパパイアの香り』などを撮ったトラン・アン・ユン監督の作品だった。中国とベトナムとの違いがあるけれど、同じようにフランス映画として半ばフランス人として出身母国に好材を得ているような取り澄ましと余所余所しさを感じてしまったのである。原作・脚本・監督の総てを担い、自身の体験に根ざして語られた物語であるにも関わらず、実名なきまま“小さなお針子”との呼称でしか登場しなかった娘(ジョウ・シュン)は、語り手であるマー(リィウ・イエ)とルオ(チュン・コン)にとって、若かりし頃に出会い、通り過ぎていった人物でしかなかったように感じられた。綴られた出来事の濃密さに比べて、その視線にあまりにも痛みや悔恨が希薄な気がして、半ばいい気なもんだという嫌味な後味が残った。自身の体験に基づいて、文革時代のさなか林彪事件のあった '71年に下放され、辛い思いもした青年を描いた作り手にそのような言葉を返すのは、僕自身のほうがいい気なもんだという謗りを免れないと自覚しながらも、偽らざる心情だ。
 原題に「バルザックと小さな中国のお針子」とあるように、娘の人生を大きく変えたのは、下放青年二人の影響以上に西洋文学の力であるとの立場かもしれないが、何事につけそうであるように、目覚めたることによって得るものと同時に失うものもまた多々あるのが人間だ。僕は、映画を観ている限りにおいて、娘にとっては得たものよりも失ったもののほうが多いような気がした。作り手は、そのことに余りにも無頓着にすぎるような気がする。無学文盲であるより、文学によって生に目覚めることのほうが単純に絶対的によいことであるとは必ずしも言えない部分があるのが人の生というものだと思うのだが、そのあたりへのデリカシーが欠如しているような気がする。本当は、そういう功罪を併せ負ったうえでなお、目覚めを肯定する視線がほしいところだが、そこにはやはりある種の苦みが伴っていないと応分ではないように思う。観念的に“文学の持つ力”を強調する余り、人間的関係性の及ぼす部分を極小化しようとする立場に、どこか責任回避的な嫌らしさを僕が感じたというところもある。
 下放から三年を経て戻されて後、二十七年後に再び訪ねたのだから、新世紀を迎えた年を現在として綴っていることになるのだが、そんなふうに絵に描いたように前世紀の出来事のようにしてしまうのは、どういうものなのだろう。受け取りようによっては、新世紀になってなお忘れがたきこととして刻み込まれた記憶ともなり得る構成を持ちながら、僕の胸には逆に作用してきた主因は、まさしく娘に対するデリカシーを欠いた視線にあったように思う。それは、三年の下放体験を味わいながらも、結局のところ現在においてはステイタスも得て成功している二人の青年に比して、流浪の果てに行方知れずになっている娘との対照がいかにも不釣合いなこととマーがルオに寄せるシンパシーに比べ、かの娘に対する思いが希薄に感じられる現在というものに対して余りに恬淡としている視線に、大仰に言うならば、ある種の差別感覚なり、富裕者の思い上がりのようなものを僕が感じてしまったからかもしれない。技術的には洗練され、巧く仕上がっている映画であることが却って心の冷たさを浮彫りにしてしまった感のある、好きにはなれない作品だった。


*『至福のとき』
参照テクスト:掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』
         過去ログ編集採録

*『小さな中国のお針子』
推薦テクスト:「シネマ・サルベージ」より
http://www.ceres.dti.ne.jp/~kwgch/kanso_2003.html#ohariko
by ヤマ

'03. 7. 5. 西灘劇場



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