『キリング・ミー・ソフトリー』(Killing Me Softly)
監督 チェン・カイコー


 かなり魅力的な画面に目を奪われ、いささかも退屈することなく観たが、サスペンスものとしては、いかんせん、あまりにも真っ正直な演出によって早々のうちに見え透いてしまう。純然たる性愛作品として映画にしたほうがよかったような気がするが、いくつかの連想を呼び起こしてくれたところが面白かった。

 随分前のことだが、四十歳くらいでアメリカに留学した女性から、ふと目にした見知らぬ外国人男性に抗しがたいほどの強い性衝動を覚えて動転したという話を聞いたことがある。この映画のアリス(ヘザー・グラハム)とは異なり、どうにか自制したそうだが、見知らぬ異性にそんな強い性衝動を触発されたことは、生まれてこのかた初めてのことだったとのことで、しばらく動悸が収まらなかったらしい。おそらくそれは、その男性が実に魅力的で彼女にヒットしたこと以上に、そのとき彼女が初めての異国生活で環境的にも情緒的にも非常に安定感を欠いていたり、異性に限らず知己もなく、気の置けない対人交流によって満たされるべきものを欠いていて、癒しがたい孤独感を自覚以上に欝積させていたことが大きな要因だったのではないかという気がする。信号機で、思いがけなく手の重なったアダム(ジョセフ・ファインズ)に魅せられたアリスの内部にも、それと似たような安定感の欠落と満たされぬ思いがあったのではないだろうか。一目惚れというような情緒体験ではなく、強烈な性衝動につき動かされた情動が、予期した以上の激しい形で満たされた場合、それを契機に溺れ込んでいってしまうのも、けっして荒唐無稽だとは思われない。また、そういう意味ではアダムに格別の華がなくても了解できることのような気がする。

 しかし、そういうことであるならば、アリスはアダムに恋したのではなく、自らの不全感を埋め合わせているにすぎない。たまたま彼の提供してくれる性の嗜好が、埋め合わせ紛らわせるに足る刺激の強さを更新させていたから持続していたのだろう。でも、アリス自身には当然その自覚はなく、アダムに熱烈に恋していると思っていたはずだ。アダムもまた同様だったに違いない。そして、恋の自覚は男女を問わず、相手の欲求に応えることを以て自らの歓びとする情動を呼び起こすものだ。たまたま唐突で激しい形でのセックスが双方のめくるめくエクスタシーに至るような出会いだったことから、双方が双方とも、それこそが互いの欲しているセックスの形だと受け取ったような気がする。しかも、アダムには「もっと過激なセックスがしたいのか」となじる台詞に垣間見えるような形の女性の性愛イメージの刷り込みが、特異な形で目覚めた性体験からの痕跡として窺える。それがなじる形になって出るということは、彼が過激な性自体の求道者では必ずしもないということだ。無論、興味はあるだろうし、嫌いではないはずだが、所詮はその程度であって根っからのものではなさそうだ。そのほうが女性が悦ぶと思っていて、それを手応えとしてきた節がなくもない。

 ところが、形状的にも受け入れる性である女性の受容力と感応力というのは男の想像域を越えて卓抜していて、それが受容力や感応力によるものなのか、真性の性的嗜好なのか見紛いかねない。もちろん、形状的に受け入れる性だという受動性のイメージとは逆に、形状的にはくわえ込む性だというイメージも成立し得る。そして、その場合は、むさぼるという能動性を認めることになるが、歴史的にも性文化の大勢は女性の側が受動性だという気がするし、男女とも多くの者がその影響下にあると思う。

 そのような形で受容力と感応力に富む女性の性が、過激な刺激によって更にそのポテンシャルを高めていくのは、大いにあることだろうが、だからといって、それが彼女の真性の性的嗜好だとは限らない。アリスの享楽の仕方には、そういう気配が色濃く感じられた。だが、それを現実の関係のなかで見極めることは、男の側からは極めて困難だし、おそらく当の女性自身も混濁して判らなくなっているように思う。いったん恋愛関係に向かう選択をしたときに女性が発揮するエネルギーの迷いのなさと強靭さは、男には到底まねのできないもので、そんなふうに見紛うくらいの受容力と感応力の引き上げをやすやすと果たしてしまうような気がする。そして、男の側も女性のその感応力に引き出されるようにして、過激な刺激をエスカレートさせていく。だからこそ、十年ほど前に観た金曜日の別荘での日誌に綴ったような浅はかな思い込みを男はしてしまいがちだし、アダムのような台詞を吐くことになるのだろうと思う。

 なまじ関係がうまく回っているときほど、相互に修正されることもなく、むしろズレた思い込みを助長していかざるを得ない、過激な刺激のもたらす強烈なインパクトを享受していくことの陥穽に焦点を当てて、その危うさを捉えた性愛作品として見せてもらいたかった。



参照テクスト:掲示板談義編集採録


推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0202-3lordrings.html#killingmesof
推薦テクスト:「La Dolce vita」より
http://gloriaxxx.exblog.jp/51105/

by ヤマ

'02. 2.23. 東宝1



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