その3



行きはよいよい、帰りは怖いといいますが、悔しい思いをしたのは、この日の帰り道のことでした。地下鉄を利用したのですが、その乗り換え地点の改札口で、奥様がスリに遭ったのです。メトロはバーが回転しながら一人一人、順に送り出していきます。それまで、彼女はショルダーのチャックを前側に寄せて手で押さえ、しっかり警戒していたのですが、この改札口でバーを腰で押す時、ほんの一瞬、手を放したその時「ぐいっ!」と何かに引っ張られる気がしたそうです。後ろのバーか何かに引っかかったと思ったそうです。ひったくられたと気付いたのはすぐでした。「あ、やられた!スリだ!」この言葉に振り向いた私は、ふざけて言っているのかと思ったのです。追いかけようにも、白人の若いスリは、せせら笑いを見せて、改札口の向こう側に消えていったのです。プラットホームとかなら追いかけも出来ましょうが、改札口に仕切られたあっちとこっち、やる術がなかったのです。


幸い、パスポートとか日本円の入った財布は別にあり、不幸中の幸いと彼女は言っておりましたが、悔しさはいかばかりかと察しました。更にその直後、地下鉄の中で、私はリュックをわざわざ降ろし胸の中に抱えるようにして、ポールに寄りかかって立ちました。窓際に身を寄せていた仲間の一人が私に合図を送ります。「ほら、山口さん、後ろ」「えっ!」と振り向いた時は、影も形もありませんでした。ぴったりと、そのポールに寄り添ったもう一つの影が、私のリュックに衣類をかけ、チャックを下ろし、財布をまさぐっていたというのです。間一髪で逃れましたが、ショックでした。警戒していた直後だけに、そばに密着していた気配に何一つ気が付かないなんて。

気を取り直して、最後の夜は有志でセーヌ川のディナークルーズです。タクシーに分乗して(Bateaux-mouche:バトームッシュ)という船着場へ向かいました。35フランと言うので、50フラン差し出すと、空財布を見せ「お釣りがない」といって11フランしか返さない運転手でした。本当でしょうか?

両岸の夜景を眺めながら、ワインでディナーを楽しみました。隣に座った春江さんは、あれよあれよという前に杯を重ね、すっかり夢の中で、「主人とこの夜景を一緒にみたい。」と言ったのです。彼女の述懐によると「山口先生の奥様がスリに遭ったが、私達のカンパを気持ちよく受けて、一緒にクルージングを楽しめて本当によかった」と。それと、両岸に浮かぶパリのそうそうたる夜景、エッフェル塔や、ノートルダム寺院、ルーブル宮等を眺めているうちに、いきなり、形容しがたい感情が渦巻いたのでしょう。心底楽しもうという気と共にご主人のことを思い出し、なんと可愛いところがある人だろうと思いました。


帰りは再びタクシーで帰りました。行きは35フランだったから帰りは50フランもあれば大丈夫だろうと、小銭を用意しておいたのですが、メーターはぐんぐん上がっていきました。隣の永田さんに「113フランにもなっているけど高すぎないかしら?」とささやきました。ホテルの前に着き、私は運転手に向かってこう言いました。「It's too expensive. I don't have enough money.」すると彼は夜間料金だとわめきたてましたが、90フランしか置いていきませんでした。実際に昼間のスリ騒ぎがあったのでそんなにに持ち歩いていなかったのです。ソルボンヌに留学中のゆみちゃんはさすがです。乗るときに交渉して100フランということにしたのだそうです。夜間料金がこんなに高くなるということを知らないことの怖さ知らずで、私は結果的には図々しく値切っていたのです。


いよいよパリ、スクリューブホテルで、出発の朝を迎えました。トランクに詰める物と、持ち歩く物とをしつこいほどに確認して、何度も何度も開けたり閉めたりしているうちに、右側の鍵がかからなくなりました。最初からやり直そうと、トランクの蓋を開けてみようとしましたが、今度は開かないのです。諦めてホテルのフロントへお願いして、右側だけテープを巻いてもらいました。一安心すると朝食までの間、時間がありましたので、オペラ座迄、ジョッギングするというと、同室の山口先生の奥様もご一緒してくれました。オペラ座からホテルまでの位置関係をもう一度冷静に見ておきたかったのです。なにしろこの近い距離を初日にオロオロしたのですから。それがまたしても「あれ、どちらだったかしら?」とまごつき、別の通りをスタスタ走っておりましたのには、我ながら呆れてしまいました。


午前9時、例のトランクはホテルの前にくぎ付けされたバスの下部のコンテナに運ばれております。飛行機に乗るときは、身体とトランクは別です。添乗員の田島さんが言いました。「皆さん、忘れ物はありませんか?搭乗券とパスポート、そして航空券(PASSENGER TICKET AND BAGGAGECHEK)これがないと帰れませんよ。」と。航空券という言葉にガーンと一撃を与えられました。今朝持ち歩き用のリュックを念入りに調べた時、その航空券は確かに無かった。そう直感した私は真っ先にバスの中へ飛び込むと、シートの上でリュックをがばっと開けて調べました。直感通りでした。永田さんが「今ならトランクを取り出せるから、早く取ってらっしゃい。」と言いました。私は飛ぶようにバスを降りました。そして「あの黄色いトランク、テープを巻いたトランクを降ろして下さい!」と叫んでおりました。私の頭は混乱しておりました。あの貝の様に口を閉ざしたトランクが果たして開くのだろうか?そのことが頭をよぎります。とにかくやるよりないのです。先ず、鍵のかからなかった方に巻いたテープをはがす。左側にキーを差し込む。「ああ、開いて下さい!」祈るような気持ちでした。それがパックリと難なく開いたのです。そしてパンフレットなど紙類の放り込んであったポケットの一番上に、それはあったのです。「これですよね」と私は叫んでおりました。路上にだらしなくさらけ出した私のトランクの中身は、バスの中にいる仲間に丸見えです。恥ずかしいなどと言っておれない急場でありました。手を差し出してくれたトライウェルインターナショナルの松本会長の腕に思わずすがりついておりました。しかも、かからなかった右側の鍵もこの時は、"ぴたり”っとかかったのです。何というすっきりとした嬉しい締めくくりでしょう。


出来すぎたこの結末を汚してはならないと、帰路の私はより小さくまとまって、まるで”金魚のふん”並でした。パリ、ドゴール空港より1時間のフライトで、アムステルダム空港に着きました。ここでKLM861便、14時50分発に乗り換え、成田へと直行します。このアムステルダム空港で買物する時、私の視野に誰か知っている人がいないと落ち着かないのです。"ここで粗相があっては日本に帰れない”そう思う私にしてみれば、そばにいる山口夫人や永田さんは、かけがえのない”パスポート”でした。「随分、心細いことをいうじゃあない。」と夫人に言われたのが耳に残っております。


とにかく失敗の多い私、又やってしまったと思いながら帰ってきましたが、それだけに思い出深いフランス旅行となりました。スマートな海外旅行は到底出来そうにありません。