終戦直後の生まれ 兵庫県は山陰の出身 年を重ねるごとに、子供の頃の風景の中で
走り回る自分がいます。私、草波流沙(クサナミルサ)は父、草波流沙(クサナミリュウサ)
から名前をもらいました。父自身も自費出版するなどして、作詞人生を送っていました。
その詩集には「大陸の深山幽谷より流堆の砂礫に心ひかれ、流れさゞれ草波流沙とちなむ」
と書いてありました。自分の筆名を持って詩を書くようにと父は言いました。
しかし、夢を追い続ける「草波流沙」を引き継げば、実現が早まるような気がしたのです。


 詩を書く面白さに目覚めたきっかけ、それは読売新聞・婦人とくらし面の「お母さんの詩」の欄に取り上げられたことでした。時に昭和54年12月30日、タイトルは「うす汚れたやつ」でした。選者の北川多紀先生に、こう評価されました。「台所で掛けている前掛けは汚れに汚れているので、洗濯機へ放り込んだものの、使いなれているのだから、汚れたまま引き上げいすの背に掛けておく、という怠け者の心理が面白く書けています。なお、この作品が全行13字詰めに書かれてあるのに、作者の才気がうかがわれました。」
※下記に作品掲載

 その頃の私は、仕事と三人の子育てに追われ、自分の時間を渇望して日々を過ごしておりました。でも、書くことは好きで、少しの時間を見つけては、エッセーを書いたり詩を書いたりして投稿しました。色褪せた投稿紙が山となって積み上げてあります。念願の読売新聞、投稿者グループ「こだまの会」入会を果たし、さらにその後、新人作詞作曲家の同人誌「シルクロード」に出会ったことは誠に幸いでした。

シルクロードとの出会いのこと

さて、平成11年、仕事を止めた頃でした。北村英明先生主催の「シルクロード」という、作詞家志望の同人誌に出合ったのです。町田の図書館でした。
「これだ!」 とっさにひらめいた私は、演歌調の2作品を奥付の住所に送りました。
北村先生から早速にご連絡を頂き、入会させていただきました。

多分出会えなかったら、このような詩集にまとめるほどの量は書けなかったと思います


シルクロードの本

作詞の友です。









台所でつけている私のまえかけ 赤と黄色の水玉模様だけれど 油がしみこんで 黒玉模様だ 
タオル代わりに手をふいたり 水をどんなにはねても平気
こんなに汚れに 汚れれば どうせ洗ってもおちないさ
洗うつもりで 洗濯機へ ぽいと投げ込んでみたものの またまた取り出して 流しに向かう
なにしろ うしろで くくるだけ
ぶしょう者には これがいい
今日も最後のお片づけを 終えてあす朝早い私のために
やっぱり洗わず かけておく いすの背に うすよごれたヤツ

(昭和54年 子育て真っ最中の頃の作品)