終戦直後の生まれ 兵庫県は山陰の出身 年を重ねるごとに、子供の頃の風景の中で 走り回る自分がいます。私、草波流沙(クサナミルサ)は父、草波流沙(クサナミリュウサ) から名前をもらいました。父自身も自費出版するなどして、作詞人生を送っていました。 その詩集には「大陸の深山幽谷より流堆の砂礫に心ひかれ、流れさゞれ草波流沙とちなむ」 と書いてありました。自分の筆名を持って詩を書くようにと父は言いました。 しかし、夢を追い続ける「草波流沙」を引き継げば、実現が早まるような気がしたのです。 |
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その頃の私は、仕事と三人の子育てに追われ、自分の時間を渇望して日々を過ごしておりました。でも、書くことは好きで、少しの時間を見つけては、エッセーを書いたり詩を書いたりして投稿しました。色褪せた投稿紙が山となって積み上げてあります。念願の読売新聞、投稿者グループ「こだまの会」入会を果たし、さらにその後、新人作詞作曲家の同人誌「シルクロード」に出会ったことは誠に幸いでした。 |
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シルクロードとの出会いのこと さて、平成11年、仕事を止めた頃でした。北村英明先生主催の「シルクロード」という、作詞家志望の同人誌に出合ったのです。町田の図書館でした。 「これだ!」 とっさにひらめいた私は、演歌調の2作品を奥付の住所に送りました。 北村先生から早速にご連絡を頂き、入会させていただきました。 多分出会えなかったら、このような詩集にまとめるほどの量は書けなかったと思います |
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う す よ ご れ た ヤ ツ |
台所でつけている私のまえかけ 赤と黄色の水玉模様だけれど 油がしみこんで 黒玉模様だ タオル代わりに手をふいたり 水をどんなにはねても平気 こんなに汚れに 汚れれば どうせ洗ってもおちないさ 洗うつもりで 洗濯機へ ぽいと投げ込んでみたものの またまた取り出して 流しに向かう なにしろ うしろで くくるだけ ぶしょう者には これがいい 今日も最後のお片づけを 終えてあす朝早い私のために やっぱり洗わず かけておく いすの背に うすよごれたヤツ |
(昭和54年 子育て真っ最中の頃の作品) |