雄別炭鉱 ズリベルト跡  探検: 北の細道 雄別炭鉱 ズリベルト

雄別炭鉱でズリ山の抜け殻に逢う




北海道阿寒町

   『雄別炭鉱にはズリ山が無い』

採掘したばかりの石炭は『原炭』と呼ばれ、
しかしそれには砂や石、品質の悪い粗悪な石炭なども混交している。

石炭の品質には低いものから以下の表となる。

  名称   特徴   使用状況
 泥炭  沼地などの分解されずに残存堆積した泥状炭  燃料には利用せずに脱臭剤等に使用
 亜炭  炭素含有料70%以下 粗悪  家庭用燃料、または土壌改良に散布
 褐炭  炭素含有料70〜78% 品質低  練炭や豆炭の原料
 亜瀝青炭  炭素含有料78〜83% 着火性良  電力やボイラー燃料
 瀝青炭  炭素含有料83〜90% 一般的な石炭  製鉄用コークス燃料
 半無煙炭  炭素含有料80%以上 発熱量大  セメント生成用、ボイラ用燃料
 無煙炭  炭素含有料90%以上 高品質 筑豊など一部炭鉱のみ産出  煙やにおいが少なく鉄鉱石精製用燃料


石炭にもこれだけの品質による順位があり、 掘ったばかりの原炭から製品である精炭に仕上げるまでに、
不純物を排除して、品質順、大きさ順に分類する必要がある。

これが『選炭』とよばれる工程で、
潰した原炭をジンマスクリーンというメッシュのふるいにかけ、
粒度を分類統一したうえで水選機の水槽に投入される。
含まれる炭素(C)量が多いほど比重が軽くなる石炭を、 泡や脈動させた水槽中で泳がせる。
品質の良い石炭は浮き、中品質のものは中央表面近くを浮遊、悪いものほど水槽底部に蓄積する。
この時、底部に蓄積した商品とならない粗悪原炭をズリと呼び、
これは炭鉱周辺の山中へ投棄、それが円錐の山となりこれをズリ山と呼んだ。


これまで 雄別炭鉱については
選炭場付近北進昇奥雄中部大祥内 堤沢などをレポートしてきた。
明治23年(1889)鉱区設定から、然別・中ノ沢・大曲・大祥内の多坑時代を経て、
昭和13年(1938)に通洞完成による集約、最盛期を迎える。
昭和34年(1959)からの合理化、その後も優良炭鉱として発展しつつ、
12,000人の住む炭鉱町は、昭和45年(1970)企業ぐるみの閉山を迎える。

本格稼働から51年間、その間ズリはどうしていたのだろう。
実は雄別炭鉱にもズリ山は存在する。
各諸設備から大きく離れた山裏の山中に巨大なズリ山が残存する。

当初、索道で運搬された夥しい量ズリ。
しかしズリの1日当たりの発生量2,000tに対して、 索道の処理能力は1,400tと不足していた。
余剰の600tは第二鉄橋付近に山積みするありさまで、
昭和41年、それはスチールコード方式のベルトコンベアに置き換えられ、
その距離840mの重複した痕跡が色濃く残る。






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索道基台
( ̄u ̄;)索道基台





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