雄別炭鉱 堤沢卸跡  探検: 北の細道 雄別炭鉱 堤沢卸

雄別炭鉱 堤沢卸の大亀子亀




北海道阿寒町

 これまで 雄別炭鉱については
選炭場付近北進昇奥雄中部大祥内などをレポートしてきた。

雄別炭鉱の歴史を要約すると以下となる。
大正9年 雄別ー釧路間の鉄道敷設及び開坑着手
昭和2年 電力化
昭和13年 雄別通洞完成、集約
昭和16年 出炭66万t、従業員2,200名
昭和23年 従業員3,000名突破
昭和25年 朝鮮動乱による特需
昭和28年 最初の人員整理 839名希望退職
昭和34年 経営合理化 鉄道部門分離
昭和35年 第二次人員整理 200名希望退職 昭和36年 購買部門分離 『雄別商事』設立
昭和38年 工作課/資材課を分離独立
昭和39年 最大出炭量72万6,000t記録(従業員1,241名)
昭和45年 尺別/上茶路と共に閉山、雄別鉄道廃止

ここで人口の推移を見てみよう。

  年   布伏内 人口   雄別 人口   全町人口
 昭和26年  510  12,380  18,381
 昭和27年  527  13,012  19,107
 昭和30年  5,071  9,235  20,587
 昭和32年  850  14,540  20,866
 昭和35年  5,455  8,507  22,877
 昭和40年  4,518  7,199  20,072
 昭和44年  4,409  5,878  17,066
 昭和45年  1,297  205  8,598
 昭和46年  1,238  0  7,838
 昭和50年  726  0  8,088
 平成15年  255  0  6,567
 平成18年  214  0  6,126


この表からまず閉山翌年の昭和46年をもって、雄別の人口がゼロとなっている。
人口が一番多かったのは昭和32年、
特に昭和28年からの十年間は布伏内・雄別両地区合わせて一万四千人を超え、
これは全町人口の7割を超える。

しかし昭和27年から30年の間に人口減が発生しているのは昭和28年の人員整理の影響であるし、
昭和35年からも雄別地区の人口減は止まらない。


昭和13年(1938)に雄別通洞が完成し、分散していた諸施設の集約化が進んだ後、
苔樋区域の開発が進むこととなる。
苔樋地区は(北進・二卸そして堤沢)からなり、
本格的に操業するのは戦後の昭和21年(1946)以降となる。

雄別の歴史の中で、その後半に繁栄した堤沢卸。
主に雄別通洞の入排気を司った坑口を探索してみよう。






排気坑口・入気坑口・黒ダイヤ・・・



雄別橋
( ̄u ̄;)雄別橋





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