雄別炭鉱 北進昇跡  探検: 北の細道 雄別炭鉱 北進昇

雄別炭鉱 北進昇で1,350mの斜坑に会う




北海道釧路市阿寒町

    昭和20年8月15日、出炭を中断したまま終戦を迎えた、 雄別炭鉱は終戦とともに操業を再開した。
九州の財閥系炭山へ配置転換された方々も、数年ぶりに雄別へ戻ることとなる。
そこで食糧難という問題を抱えながら、敗戦日本の経済再建を担うのである。

終戦直後の政府の石炭政策としては1tでも多く出炭することが復興の最短距離であるとされた。
しかしそのための労働力不足が顕著な問題として浮上した。
その最大の要因は昭和20年11月の連合軍指示による、外国人本国送還ということにあった。
この時、日本全体で約13万人の外国人労働者が炭鉱から離れたのである。


政府はこの時『丸炭』というシステムを導入した。
これは石炭のエンドユーザーである工場等の需要者から労働者を招集し、
その方々が採掘した石炭をその工場に配給するという制度である。

このように労働力の確保を図る一方で、決定されたのが昭和21年の『傾斜生産方式』である。
これはある特定産業を重点的に開発し、
その結果産業全体の拡大再生産を図ることを目的とした経済政策である。
つまり、まず生産財部門の拡大を図り、その後消費財部門の拡大を段階的に行うものである。

具体的には基幹産業である、石炭と鉄鋼を重点的に生産し、
相乗効果を利用して、他産業の繁栄の水平展開を目指すのである。


今回は雄別通洞完成の昭和13年以降から採掘開始され、
通洞までの斜坑運搬と排気を司った坑口を探索する。
現地は通洞坑口、そして病院跡から直線距離3.4q、標高差290mの深山だ。
遭難や獣害も懸念し、十分な装備をもってアタックしたいと思う。


なお、本坑につきましては読者K様より多数の資料を頂きました。
この場をお借りして、お礼申し上げます。
ありがとうございました。

斜坑・風洞・巻揚げ機跡・・・



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( ̄u ̄;)風洞跡





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