将棋との出会い

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将棋との出会いは、私が小学5年の頃に親父の友達が家に遊びに来た時に教えてもらったのが始まりです。
   金と銀の使い方を教わって いた青春時代でありました。それ以来、小中学校のクラブ活動に入り日々ひた向きに指していたのは、金矢倉や船囲いでした。将棋の駒や盤にも興味があった時であります。
   高校では、将棋を指す機会があまりなかったのですが自衛隊に就職して、小さな大会でありましたが優勝をした時が幸せを感じた瞬間でした。特に終盤で一手20分位かけて指した結果、5時間も要した決勝戦の将棋が印象的です。これが過去2回あります。思考錯誤の上、考え抜いた結果が成果と成って表れた時に面白みを感じます。でも、数分で負けた将棋も沢山あります。
   あれから約十年余り、将棋大会もなくなって寂しさを感じている中、後輩から名寄支部のことを聞いて今に至っております。 形や攻めかたを教えて頂いたお陰でインターネット通信将棋ウォーズでは初段になる事が出来ました。五千百七局目でやっとの思いでなることができました。 幼い頃と今の違いは、矢倉だけでなく、攻め方やバランスも極めて重要だと痛感している今日この頃です。
   得意戦法は、四間飛車で、将棋ウォーズ実況解説で研究しています。これからは、楽しみながら戦法が通用するように練磨していきたいと思っております。
   これからも月例会や有段者会等でご指導お願いします。(2015.6.30 江良豊)

私の将棋

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こんにちは。僕が初めて将棋を覚えたのは小学生の時だったと思います。父に教えてもらいました。
   当時、名寄南小学校に将棋クラブというものがあってそこで父以外の人と初めて将棋を指しました。
   同学年に新山君と大野君という二人がいてとても強かったのを覚えています。何回やっても勝てず、僕とは格段に違うということを思い知らされました。
   その後、高校に進学し卓球部に入ったのですがそこでも将棋の好きな人がいて何回か将棋を指しました。加瀬君という結構強い子がいて、 その子と指したときはお互いに相手の歩を取るのを我慢するという将棋を指して、なんとか僕が勝てたことを覚えています。
   その時は同学年の子にやっと勝てたという嬉しい思い出があります。
   高校を卒業して就職をしてからは将棋を指すということをすっかり忘れていたのですが、名寄に戻ってきて二十年以上経ってヨローナで将棋 をやっているということを友達に聞いて、現在、日本将棋連盟名寄支部の一員として月に二回将棋を指しています。
   初めは二級だったのですが、有段者の方と指すために一年間通い続け、やっと一級になりました。
   最近では小さい頃に一度も勝てなかった父に、何回か勝てるようになりました。
   今後は早く初段になって、後輩の育成に励みたいです。(2017.3.16 大田篤史)

将棋との再会

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私が将棋との出会いとなったきっかけは、小学4年生頃だったと思います。 親戚のおじさんの家に訪問した時に最初は回り将棋や山崩しといった特別なルールの将棋遊びがあってよく遊んだ頃を思い出されます。
   そして本将棋を知ったのはそのあとでした。私の兄貴がとても強くて駒落ちでも勝てないレベルでした。それ以降、私は小学生5年生ぐらいから学校の将棋クラブに入り、沢山の友達と将棋を指し将棋の面白さを実感しました。
   その時、将来はもっと強くなってプロになろうと思っていました。しかし中学時代から高校時代そして自衛隊に入ってから数十年全く将棋を指す機会が無かったのですが、ある時先輩から日本将棋連盟名寄支部で将棋をやって いることを聞き、約三十年有余の将棋との再会となりました。
   今では月々の例会や大会等に参加し日々練度向上に努めています。又、零細時間を活用しスマートフォン向けアプリ将棋ウオーズで自分の実力を試しています。
   そして最近は昔よく見ていた日曜日の午前中にテレビ放送されている将棋の時間やNHK将棋トーナメントを見て研究しています。
   将棋の面白さは、私が思うには盤の升目は、たった81マス、駒の種類も8種類だけなのに、取った駒を使える将棋独自のルールに加えて、様々な戦法、囲い、手筋と新しい手が日々編み出されているところで、また 、囲碁も同じですが指し手の性格、人間性などが対局に出てくるところも将棋の魅力だと思います。
   最後に私の趣味の一環として、又名寄支部の一員として、現在は1級ですが将来的には、有段者になって更なる練度向上を目指していきたいと思います。
   これからも月例会等でご指導よろしくお願いします。
                     (2017.5.22 佐々木勝斗)

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