遠い日に見た夢
昨今、人間とコンピュータとの対戦が注目されているが、私が中学生だった数十年前、自分の中で人間を超えるコンピュータが将来できるか どうか考えることがあった。 当然ながら、そんなことはありえないだろうと思っていた(少なくとも自分が生きている間には)。
しかし現在コンピュータソフトの進歩はすさまじくプロ棋士をも凌駕するほど強くなってきている。このことに少なからずショックを受けて いる反面、その頃描いていた夢を思い出した。もしコンピューターが人間を凌ぐようになったらそのコンピューターを利用して新しい戦法や定跡 が作れるのではないかと。
コンピュータソフトと対戦してみると人間との対局観の違いはあるが、次の一手の候補手の中に感心させられる手も少なくない。やればやるほ ど将棋の奥深さを再認識させられる。数年前から、コンピュータソフトを使って普段温めているアイディアを試行錯誤しているが、自分の脳力の衰 えはいかんともしがたく(笑)、夢の実現はまだ遠そうである。
しかしながら、自分の中で新しい将棋の楽しみ方を見つけたように思う。
将棋と向き合う時間は少なくなっていく一方で、なるべく現在の棋力
を維持しつつ、いつか大会で自分なりの将棋をお見せできればと思っている。
(2014.9.15 豊岡正起)
将棋ホールで見たガッツポーズ
その昔、今はもう閉鎖になった将棋ホールで、盛んに子供たちが出入りして賑やかだった時代がありました。
その中に、現在はプロ棋士として活躍している石田直裕4段の少年時代の姿もありました。
もちろん、当時の少年たちの中でも 最も強かったのは石田君でしたが、その石田君でさえ
油断すると負けてしまうぐらい実力の伯仲した同年代の将棋仲間が4~5人はいたものです。
ある日、確か月例会だったと思いますが見事に石田君を破り、他の将棋仲間に向かって
「やった、直裕に勝ったぞ!」 こう言って ガッツポーズを見せた少年がいました。
私は内心で(おいおい、こんな所で ガッツポーズなんかするかよ)と、思っていましたが
ちらりと石田君を見ると、悔しそうな様子がありありと見えて、床に向かい無念の表情を見せ ああ、
やっぱり、同年代に負けるのは非常に悔しいのだなと感じました。
我々大人たちに負けた時の様子は、非常にさばさばしていて悔しそうな表情は見せなかったのですが
やっぱり、同年代どうしのいい意味でのライバル心は、我々大人たちだけでは
どのようにしても養うことは難しいようです
これはあくまで 私の個人的感想ですが、あの世代で本当に天才なのは 羽生名人ただ一人で 同年代の羽生世代の人たちは、羽生さんに負けてたまるかという ライバル心で努力を重ね現在の将 棋界の勢力図が有るのではないだろうかと思います。
将棋と言うのは、幅広い年代の人が楽しめる競技で、それ自体は素晴らしい事だと思いますが やっぱり、年代が離れてしまうとどうしても負けたくないという闘志が燃やせない訳で 「若いもんにゃ敵わんわい」と、どうしてもこう思うように私もなりつつあります
やはり、将棋の普及には子供たちだけの大会を充実させることが重要だなと 思うこの頃です。
(2014.10.22 芳岡慎一)
将棋と私
小樽市出身の私が将棋を覚えたのは5、6歳の頃、祖父に教わったと記憶している。祖父は将棋のルールを知っている程度であり、
「暇つぶしの相手に」というくらいの気持ちだったかも知れない。それでも子供向けの入門書を買ってもらい、当然全ては理解できな
かったはずだが熱心に読んでいたようだ。
小学校入学後間もなく、学校近くの将棋教室に連れて行ってもらった。師範は、当時すでにご高齢で、武田先生とおっしゃる方だった
だろうか。1日1問ずつ、初心者向けの問題を解き、先生と6枚落ちで指す、という内容だったと思う。小学校1年生の夏には、将棋連盟
小樽支部(当時は、デンキ湯という銭湯の2階にあった)にも通い始めた。小中学生向けの級位認定大会が行われていて、2勝2敗で8級
と認定された。この大会は月1回あって、好成績を挙げて昇級するのが励みになった。
小樽支部の大会のみならず、機会がある都度札幌市で行われる大会にも参加し、小学生から高校生の途中までは、将棋に熱心に取り組んで いたが、ある時期を境に、私は将棋から距離を置くようになる。今にして思えば、若さゆえ(?)他にも楽しいことがたくさんあったろうし 、大学受験を控えていたことも原因であった。さらに言えば、道大会常連クラスの強豪の方々にまるで勝てず、行き詰っていたこともあったよ うに思う。それらの事情から、私は将棋を指さなくなり、大学生になり、やがて就職した。 転機となったのは7年ほど前。転勤で網走市に転居した直後のこと。地元出身の同僚と話をするうちに、その方が将棋好きだと知った。聞け ば、網走にも支部があり、月に1・2度、例会を開いているという。誘われて、付き合い程度に参加するうちに忘れていた楽しさを思い出した。と同 時に10数年のブランクがいかに大きいかを痛感した。角道を止める振り飛車が下火になりつつあるのを知った。
それ以来、数度の転勤を経て、現在は名寄支部の皆さんにお世話になっている。
思わぬ縁で将棋を再び指し始め、種々の大会に参加するように
なり、子供の頃対局した知人とも再び顔を合わせるようになった。最近思うことは、「将棋を通じて各地に知己が増えるのは悪くないな」という
こと。10代後半から20代の間、将棋から離れていたことは、棋力向上の面から言えば痛いどころの話ではない。だが、紆余曲折を経て、そんな
気持ちを持ちつつ今後も将棋と向き合っていけるなら、「これも一局」と言えるのではないだろうか。
(2014.11.22 三岡雄介)