□「平成25(2013)年ブログ」NO.3   平成25年7月1日〜9月30日   ♪BGM 
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■「第18回天心サミット in 横浜」                平成25年9月29日

 この日、「第18回天心サミット in 横浜」実行委員会主催による天心フォーラム(天心の偉業を振り返る)が横浜市開港記念会館で開催された。今年は岡倉天心生誕150年、没後100年に当たり、各地で様々な事業が展開されるとのことで本フォーラムもこの一環で企画された。と、主催者の案内に記されていた。

 本フォーラムへ導いてくれたのは、横浜市民ギャラリーでボランティアをしている先輩からであった。天心の父母と同郷であり、奇しくも小生と同郷だったから声をかけてくれたのだ。当日のフォーラムには福井県からも大勢の聴衆が駆けつけ、400席の会場はすべて埋め尽くされ師への関心の高さがうかがわれた。

 福井出身者で天心の名前を知らないものはいないであろう。彼は我が郷土が最も誇りとする文化人で、近代日本の芸術の礎をなしたとの話を小さいころから聞かされてきたからである。とりわけフェノロサに師事し廃仏毀釈が進展する中、日本固有の芸術に着目し芸術復興に尽力した話は特筆ものであった。

 だからてっきり、福井生まれの方だと信じて疑わなかったのだが、今般このフォーラムに参加して生粋の横浜生まれで、しかも類まれなる英語の才能をお持ちの真の国際人であったこと、さらには東京美術学校長を追われ、時の権力者に抵抗しつつ、苦労の末日本美術院を発足したことなどを知り、改めて天心に強く惹かれた。

 模倣を避け、独創に挑もうとする狷介孤高の精神が学校の上層部の不興を買い、東京美術学校長を追われたとのことだが、その際に橋本雅邦や横山大観、下村観山、菱田春草といった俊秀たちが行動を共にしたところに、「天心の教え」の神髄が伝わってくる。さらに、パネリストの佐藤教授の話を引用すれば、「天心がもたらしたもの」は、「海外諸邦と拮抗」するために「全国の美術を収攬」すること。つまり世界と競争するためには、総力を結集することが必要であり、そのためには過去からも、西洋美術からも学ぶべきを学び、歴史と現在、日本・西洋・東洋の視座の上に、近代日本の美術を定位しようとした”ことであるとのこと。彼のことをあまりにも知らな過ぎたことに恥ずかしくもあったが、巨大な日本人が存在したことを誇りに思った。

 彼が幼少のころ世話をした婆や(橋本佐内の縁戚?)がとてもえらく、郷土の偉人であった佐内のことを教えたので、彼は佐内にあこがれ、郷土にあこがれたことが福井出身との伝説になっているようである。小生にとってこれほど嬉しく、誇らしい話はない。でも本当は、本日講演を聞いているこの場所・横浜市開港記念会館で生まれたのだから、横浜が誇る偉人なのである。関係者からもそんな話が聞こえてきた。小生にとっては彼が、福井に思いを馳せていてくれただけで十分。これを機に我らが誇りとする彼の軌跡をもっと探ろうと思った。

 福井県と岡倉天心はこちらからどうぞ。

<参考> 当日のフォーラムの内容
■第一部 講演 「天心の教え」
     講師 澄川 喜一 天心サミット実行委員会会長/元東京藝術大学学長
■第二部 パネルディスカッション 「天心がもたらしたもの」
     パネリスト 佐藤 道信(東京藝術大学教授)
           猿渡紀代子(横浜美術館特任研究員)
           新井恵美子(ノンフィクション作家)
   コーディネータ 千葉 信行(元神奈川新聞社代表取締役専務)


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■「横浜市青葉国際交流ラウンジ」                平成25年9月26日

 横浜市の委託を受けて、地域住民がボランティアで参加して自主運営している国際交流活動の拠点である「横浜市青葉国際交流ラウンジ」から、25日の夕方電話が入った。今年の春ごろネットで調べ、ボランティア登録をしていたことをすっかり忘れていたところに急ぎの要件とか言われて、明日26日にお手伝いできないかとのことであった。急な話ではあったが、幸いにして空いていたのでお手伝いすることにした。

 お話向きは国際児童画展事業部からで、毎年開催し今年で18回目になる国際児童画展をお手伝いすることであった。この展覧会の目的は、世界中の子供の絵を集めて展示することで、地域の人たちとの国際交流や多様な文化の理解の一助とすることにあるらしい。今年の展覧会は、11月に青葉区役所区民ホールとアートフォーラムあざみ野で開催される予定になっている。

 当日はすでに、海外からも国内の学校や個人からも100点を超える作品が寄せられており、作品一つ一つを台紙に貼り付けるところから手伝いの作業が始まった。指定サイズの規格に外れた作品も多く、台紙を寸法合わせをして一枚一枚切り出しそれに張り付けていく手作業は、4-50年前の日本の夜明けを思い起こさせた。結構大変な作業ではあるが、我が半生を振り返させる懐かしい思いがした。

 こういった作業を通じて、国際交流に貢献できるのであれば望外のことである。以前から活動されている先輩諸兄姉たちの、国際交流に寄与しようとする活き活きとした言動に触発されそう思った。展覧会を成功させるしかない。
 お暇を見つけ見に来ていただければと思う。展覧会の概要は こちらからどうぞ。


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■「孫の運動会」                        平成25年9月22日

 今年は台風の当たり年のようで、15日に予定されていた孫の運動会が1週間延期となり、22日に実施された。0歳児から6歳未満まで全園児60名を擁する保育園の運動会は、年齢による体力差がはなはだしく、運動会運営の大変さを改めて知った。競技は未だしも、お遊戯する意味さえよくわかっていない子供を相手にするのは並大抵のことではない、先生方をはじめとした関係者のご努力に頭が下がる思いがした。幸いにも天候に恵まれ、絶好の運動会日和となり、会場となった横浜市の山下地区交流センタは幸せに満ち満ちていた。

「全園児の準備体操の風景は壮観だった」

 子供たちと一緒に競技に興ずるお父さん、お母さん方の喜びが会場一杯に溢れていた。とりわけ、孫の著しい成長に目を細めまくって応援していたジジイやばばあ達がとても印象的であった。小生も1歳5か月になる孫を一生懸命応援し、何十年かぶりの運動会を堪能した。そして、晴れ上がった空のお日様に向かって、子供らの健やかな成長を心から願った。

「今日のお日様は、こんな顔しているみたい」



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■「月プロの暑気払い」                (8月24日)平成25年9月13日

 8月24日に月プロの暑気払いを行ったのだが、この記事は9月13日に書いている。その理由は読み進める中でご理解いただけると思うが、今年は何の巡り合わせかトラブルが多く、今年の運勢を暦で確かめたくなる衝動を抑えがたくなっている。

 当日は、初夏に軽井沢研修を行ったメンバーが、久しぶりに品川の小料理屋に集合して暑気払いを行った。この狙いは、研修に参加できなかったメンバーに研修の思い出をお裾分けすること、そして、軽井沢のカラス殿に来年も行かせていただくことを誓い、会員相互の一層の親睦を深めることであり、黒ちゃんが苦労して準備万端を整えてくれた。

 土曜日のせいか、お店のサービスはこの上もなく良かったが、時間制限付きの飲み放題に煽られ、短時間のうちに鯨飲させられたことで、高邁な狙いは風前の灯火となってしまった。てんでんばらばらな話で煩いことこの上なかったが、場は大いに盛り上がり不参加だった者へのお裾分けも十分に行き届けることができた。ところがここで、またしてもカラス殿への配慮を欠いてしまったようだ。

 カラス殿をリスペクトし感謝の気持ちを捧げなければならなかったのに、自分らだけが楽しんでしまったのだから、先の研修の時に味わされた「軽井沢山道 車事件」のお咎めが頭をかすめた。さらに言えば、5月にPCの操作を誤り苦境に陥ったことや、そのPCに愛想をつかされ(クラッシュしてしまい)買い替えを余儀なくされるなど、精神的にも経済的にも追い込まれたことが続いたのは、カラス殿の恩寵を忘れかけた報いだったのかもしれない。であれば、この度も「ただでは済まないかもしれない」。暑気払いがお開きになった時にそんな思いが脳裏をよぎった。
でも、まさか、それが・・・。

「自分らだけが楽しんでしまった? 月プロの暑気払い」

 そのまさかが、8月31日に起こった。購入後2か月しかたっていない、買い換えたばかりのPCがダウンしてしまったのだ。苦労に苦労を重ねようやっとの思いで立ち上げたばかりのPCが、うんともすんとも言わず動かなくなってしまった時のやるせない気持ち、そして、サービスサイトの担当者から、ハードディスクが壊れているとの宣告を受けた時の意気消沈した気持ちを言葉には表せない。お咎めを前に茫然自失するばかりで、奈落の底に突き落とされた気がした。この10数年にわたって構築、整備してきたデータベースの再生を2か月後にまたやらなければならないのは、地獄の責苦である。

 新品の製品が2か月持たないという経験は初めてである。もちろん、今年味わされたお咎めの数々も初めての経験である。何の巡り合わせかと思ってしまうが、カラス殿への配慮を怠らず、後半は、今まで味わったことのない、素敵で楽しいことに遭遇できるよう精進したいと思う。お蔭でPCの処理は2週間ほどストップしてしまったが、一昨日あたりから急速な立ち上がりを見せてきた。精進の効果が出てきている気がする。


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■「経験したことのない○○」                  平成25年8月22日

 今夏は、「経験したことのない○○」に蹂躙され、日本各地で熱射病や風水害にやられた報道が絶えた日がないくらい、過酷な夏となった。我が住処(すみか)も、連日水銀柱が35℃を超える猛烈な暑さとなったが、じーっと家に籠もることで、この難局を何とかやり過ごすことができた。

 まさか、気象庁の担当官殿から「経験したことのない○○」といった表現を聞かされるとは思いもよらないことで、気候の環境変化の深刻さを改めて思い知った。

 これがこれからは、毎年続いていくのであろうが、何事にも順応(麻痺)する能力に長けた日本人だけに、「経験したことのない○○」といったことの本当の怖さを棚に上げ(環境に麻痺し)、この表現を早晩陳腐化させるに違いない。

 そういえば最近、「経験したことのない」という表現から気づかされたことがある。今年、国の借金が千兆円を超えたという報道であった。これこそはまさに、「経験したことのない」未曾有なとんでもないことのはずなのに、大多数の反応はいまいちとしか思えない。十数年間にわたって云われ続けてきているのに・・・。

 我々の得意技は麻痺することなのかもしれないが、それがもう究極にきていることを、この夏、気象庁の担当官殿がいみじくも指摘したかったに違いない。

 これからは「経験したことのない」試練に苛まされていくことが予想される。だから、 本当の怖さを棚に上げたりはせず、それに耐えていく処方箋をつらなければならないのだ。
 「誰が、何時やるの?」、「今でしょう!」 だけしかはっきりしていない。


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■ 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2013」             平成25年8月17日

 今年も横浜市民ギャラリーあざみ野で「あざみ野こどもぎゃらりぃ2013」が8月8日〜18日まで開催された。今回は4人のアーティストによる展示とワークショップが催され、盛りだくさんの展覧会となった。 展覧会の模様はこちらからどうぞ。

「あざみ野こどもぎゃらりぃ2013」「ワークショップを支えたお仲間と先生」

 この展覧会の栗林孝之さんの「葉っぱのアート展」に、アートサポートの依頼があったので、研修を含め4日間ボランティア活動に参加した。活動の内容は、幼稚園児から小学生を対象とした「葉っぱをつかった生き物づくり」のワークショップを補助することと、会期中いつでも参加できる、「いろいろな材料をつかって生き物をつくる」ワークショップを補助することであった。

「栗林孝之さんの葉っぱのアート展全景」

 こういったイベントのお手伝いを何回か経験してきているので、緊張感はさすがに薄れてきたが、絵画や芸術品創造の能力をまったく持ち合わせていないので、今回も四苦八苦のお手伝いとなった。こういった苦労を慮ってか今回も事前(8月3日)に研修会が開催され、そこのワークショップで廃材を使って生き物をつくらされた。当日参加した16人のアートサポータたちは、小生を除き命題の生き物を作り上げ、本番に向けた意気込みを高めていたが、小生の作品はどう見ても生き物には見えず、作品を紹介するのに絶句してしまい、本番が思いやられる研修となった。

「どう見ても生き物には見えず、紹介に絶句」「本番が思いやられるが・・・・・」

 10日のワークショップは、午前と午後に開催され、それぞれ20名の参加者があった。物づくりの場所では父兄の付き添いをご遠慮いただき、子供自身の発想と行動に任せることとなっていたのだが、始まってみれば、先生やサポータ達の声がかき消されるほどの喧騒状態となった。知らぬ間に入り込み、子供らの作品作りに叱咤激励する父兄たちの愛情に満ちた声が、喧騒を奏でていたのだと思う。子供を思う気持ちが伝わってきて、何とも微笑ましく思ったが、子供を差し置いてでも作品作りにのめり込ませる、魅力に富んだワークショップだったからかもしれない。作品が出来上がった時の父兄の顔が、得意満面に見えたのが何よりの証である。

 それにしても、子供たちの創造力は大したもので、驚異と敬意の言葉を何べん使っても表現しきれないほどの感動を受けた。本当に素晴らしく、ただただ褒めちぎるしかなかった。中には、取り掛かるまで相当時間をかける児童もいたが、切っ掛けをつかんだ後の行動が別人になった子もいた。褒めてあげたことで切っ掛けをつかんでくれたとしたら、これほどうれしいことはない。自分の技量からいえば、褒めることぐらいしかできない。であれば、これからは褒める技量をもっと磨いていかなければならない。毎年「こどもぎゃらりぃ展」で気づかされることの意義は深い。


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■「会員企業の夏休み子供見学デー」に出展したWFP         平成25年8月9日

 国連WFP協会の評議員であるキャノン・マーケティング・ジャパン社が、8月8日、9日の両日に亘って開催する「キャノンSタワー夏休み子供見学デー2013」のイベント会場にWFPのブースを出展し、広報と募金活動を行うこととなった。

「キャノンSタワー夏休み子供見学デー2013」に出展したWFPブース

 小生は、9日に終日お手伝いをし、当日来られた小さなお客様(ほとんど未就学児)に飢餓のお話をさせていただいた。というより、お絵描きやレッドカップマン(WFPの活動を象徴するキャラクター)をサポートしながら一緒に遊んだだけだったかもしれない。未就学の子供たちにお話を聞かせるのは、本当に難しくいつも四苦八苦するばかりだが、新たな取り組みとしてレッドカップマンを登場させるようになって幾分楽になってきた気がする。彼(彼女かもしれない?)と一緒に遊ばせながら、WFPを認知させていくのは近年にないヒットだと思う。

「レッドカップマンの威力は子供たちには絶大」「社員のご家族に飢餓を一生懸命説明する先輩ボランティア」

 高邁なWFP活動にも遊び心が必要なのであろう。彼と共同して遊びに専念すれば、たくさんの子供をWFP信者にしていけるかもしれない。そんな事を真面目に考えさせられる日となった。

  
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■あざみ野カレッジ「演劇と私」                 平成25年8月4日

 横浜市民ギャラリーあざみ野では、生活の中にあるもっといろいろ知りたいことを学ぶための学び舎と称し、「あざみ野カレッジ」を開校している。校長の「いつまでたっても卒業しない人が、「あざみ野カレッジ」では優等生」という誘い言葉に惹かれ、努めて本校に顔を出すようになったが、毎回、今まで踏み込んだことのない世界の話に触れ、新たに知り、学ぶことが多く、「いつまでたっても卒業しない人」を地でいっている。

 今回は、「日本を代表する劇団の一つ「文学座」に所属し、演出家として幅広く活躍する西川信廣さんが、舞台演出の仕事についてお話しします」とあったので、日頃縁遠い演劇の世界を覗いてみようと思い登校した。今まで舞台劇を観なかったわけではないが、何となく敷居が高い印象だったので遠い存在だったが、昨年からいくつかのオペラを見始め、舞台演劇に興味を掻き立てられたからでもある。

 勿論、講師の西川信廣氏を存じ上げてはいないし、そもそも演出家という職業については興味もなく、全く知らなかったが、さまざまな演劇を手掛けられる中で、個性豊かな俳優たちを操り舞台を作り上げていく話が聴けることと、何よりも、舞台の裏話も聴けるという触れ込みに登校を促されたとも云える。

 氏は、文学座の公演を中核に演出を手掛けられてこられたようだが、『黒革の手帳』や『ミュージカル 嵐ケ丘』といった大劇場の公演も手掛けられ、幅広く数多くの舞台を手掛けられていることが、ご自身の話やプロフィールに記された案内から伺われ、まさに日本を代表する名演出家であることを司会者の紹介で知った。

 ちゃきちゃきの江戸弁と、飾らない語り口に惹きこまれ演劇の世界にどっぷりと嵌まってしまった。一見生意気そうに聞こえるが、信念を貫き通す先輩演出家との論争・やり取りや、有名俳優にその劇が問う本質的な意味を質す話や、有名女優を説き伏せ、自分の目指す演出に誘導していく話、いわゆる表には出てこない珠玉の裏話に、興味が掻き立てられっぱなしの2時間となった。

 意識されていたかどうかはわからないが、信念を垣間見せる裏話はまさに絶品で、演劇を観させないではおかないとする雰囲気が漂っていたと思う。そして、公演の出来不出来は、偏に演出家(演出家の哲学)に掛ってることを思い知った。当たり前といえばあまりにも当たり前のことであり、どこの世界にも共通する話ではあるが、個性派の強い輩が集う演劇の世界だからと思ったからだ。さらに言えば、氏の真摯で威張らない、そして演劇に対する確固たる信念と、前向きな情熱に魅入られたからでもある。

 この9月に客席150前後の小劇場の文学座アトリエで、『熱帯のアンナ』を本邦初演されるようだ。であれば、手始めに本公演を観に行かなければなるまい。氏の裏話を本公演で確認できるかもしれない予感がするからだ。
 誰か一緒に行きませんか?


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■「同じ本の2度買い」                      平成25年8月2日

 本を読む速度が大分落ちてきたと思っていた矢先、同じ本を2度買いするという失態をやらかした。毎週月曜日、定例となったボランティアの帰りに本屋に立ち寄り文庫本を1冊買うことにしている。あらかじめ書評を読んで気に入った本を、決め打ちして購入することもあるが、近頃は本棚を物色し、立ち読みして気に入ったものを買うことが多くなった。

 ちょっと前までは、好きなジャンルや作家を追いかけて読んでいたので、すでに読んだ本の題名は頭の中で整理がつけられた。ところが、立ち読みしてから気に入ったものを手当たり次第に買うようになってから、記憶の秩序付けがごちゃごちゃになってしまったようで、すでに読んだ本なのかどうかの判断が極めて怪しくなってきたのである。

 この症状は、宿命的な老化現象の表れなのかもしれないが、大店舗化してきた本屋の、多種に亘る本の購入を誘引する配架戦略に惑わされていることも、本症状に拍車をかけているのだと思う。だから、この上なく慎重な購入を心掛けてきた積りなのだが、つい先日冒頭のような失態をやらかしまい、ずいぶんと落ち込んだ。上巻の4分の1ぐらいまで読んで、読んだことのある本だと気が付いたのだから。おまけに、上、中、下巻3冊をまとめ買いしたのだから、おめでたさも極まった感じで、症状の深刻さに唖然としてしまう。

 今のところ、2度買いしたことが分かるだけまだましなのかもしれない。想像したくはないが、この状況が分からなくなってしまう日を、早晩迎えることになるのであろう。何度買いしても、本人が気づかないのだから落ち込みはしないであろうがお店の方から「何度目ですよ」と声をかけられるのだけは何としてでも避けたい、と、切実に思う今日この頃である。


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■「誤字・脱字」に想う                     平成25年7月31日

 このところ、PCに文字を打ち込む際に誤字・脱字をすることが多くなった。鍵盤が見づらくなってきたことに加え、指の動きも鈍くなってきており、一定のリズムで打てなくなってきたことによるのだろうと思っていた。それで、もう現役ではないのだし、1分1秒を争わなくても気にすることなど何もないのだから、慌てずに、ゆっくりと打ち込むこととし、誤字・脱字をした時の脱力・イライラ感から逃れようと打ち込みスタイルを変えたのだ。

 ところが、相変わらず誤字・脱字は減らず、脱力感はいや増すばかり。たとえば、「話」という文字をしょっちゅう「半紙」と打ってしまったり、「上げる」を「会える」とやってしまうのだ。例に挙げたのはほんの一例で、打ち込んだ覚えのない特殊記号や、ものすごい当て字がやみくもに、それも大量に出現してくる。呆然となるばかりで、正直落ち込んでしまう。

 こんなに慎重に、ゆっくりと遣っているにもかかわらず、何故間違いが減らないのだろうかと、改めて鍵盤を乱打しているときに指の打鍵力に起因していることが分かった。歳を重ね、指力が落ちてきたのか押した積りが、実は半押しでキーインに至っていない、ということのようだ。「hanashi」と打ったつもりが2番目の「a」が力不足のため届かず、「hanshi」となり、「ageru」と打ったつもりが、「g」が届かず「aeru」となっているに違いない。

 原因を特定できたことでほっとしたところだが、歳を重ねていく中で、これからはまたほかの要因で、キーインをディスターブされることが予想される。だから、くれぐれも体力維持にだけは注力していきたいものだと思った次第である。もっとも、これからはタッチパネルの世界になっていくのであろうから、そのことを想定した指の訓練もおさおさ怠ってはいけないであろう。

 皆さん方に置かれてはいかがでしょうか? こんな経験や悩みをお持ちであれば、それを開陳して共有していきませんか? ご意見等を賜れれば幸いに思います。


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■「横浜トリエンナーレ学校 横トリ 2014のコンセプトを語る」   平成25年7月24日

 第5回展となる「ヨコハマトリエンナーレ2014」は、2014年8月1日(金)から11月3日(月・祝)まで、横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)で開催されることが決まった。展覧会を1年後に控えたこの日、横浜トリエンナーレ学校が開催され、本展覧会のアーティステイック・ディレクターである森村泰昌氏から本展覧会のコンセプトを拝聴した。

 前回(3月)の講演では、フランス出身の美術家マルセル・デュシャンに纏わるエピソードを追い、彼の芸術に関する考えを丹念に解説する中で、ヨコトリ2014の構図を示唆されたが、今回は、レイ・ブラッドベリ作のSF小説「華氏451度」を引きながら、纏め上げられたヨコトリ2014の骨格、その拠って立つ概念を示された。

 配布された資料(Press Releaseより)に

 展覧会のタイトル:
 横浜トリエンナーレ2014
「華氏451度の芸術:世界の中心は忘却の海がある」 と記されており、

 裏面の解説の書き出しは「忘却の海へ向かう冒険の旅」となっている。

 同本から、世界の中心には忘却の海があることを説く話は、哲学的で難しい印象を与えかねなかったが、作家の思いを丁寧に追い、それを分かりやすく独特の語り口で伝えきってくる解説に、難しい印象は吹き飛んでしまった。氏のテーマへの拘りが垣間見えた気がしたが、これを具体的にどのように実現していくのかに、今日も関心が一層高まった。来年のトリエンナーレに一層興味を掻き立てさせられた講演となった。

 ■氏のコンセプトはこちらからどうぞ。
 コンセプトの解説文を直(じか)に読んでいただきたいと思う。氏のコンセプトにかける思いが伝わってくると思います。是非ご一読していただき、関心を持っていただければと思います。

 小生は、来年もこのコンセプトの下でボランティアに参加するつもりです。一緒にお遣りいただける方お待ちしております。


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■「横浜トリエンナーレ学校 横トリ 2014のコンセプトを語る」   平成25年7月24日

 「街全体をステージに」を合言葉に、1993年に始まった日本最大級のジャズ・フェスティバル 「横濱 JAZZ PROMENADE 2013」が10月12日(土)、13日(日)に開催されます。今年もこのイベントをお手伝いするボランティアの募集が始まっていますが、事務局から新規クルーの積極的な参加を求める、新規クルー募集告知協力の依頼を受けました。知り合いに声をかけ、案内いただけないかとのことですので、本欄からお声掛けをいたした次第です。

 下記をご参考にしていただき、ご興味をお持ちいただけましたら是非ご参加ください。小生は2年間お手伝いをしていますが、仲間からJazzについて手ほどきをいただいたり、そのほかの交流を促進できたりで参加してよかったと思っております。とりわけ、活動終了後自分の好きなアーティストの生演奏を聴けるのは、本活動の一番いいところだと思っています。みなさん是非一緒にやりましょう!。

 ■<横濱 JAZZ PUROMENADE 2013>の案内はこちらからどうぞ。
 この中の「第16回ふるさとイベント大賞」動画ではクルーの活動内容を見ることができます。(これは必見です、是非見てください。)

 ■<クルー募集要項・お申込みフォーム>はこちらのページから。
 

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■「今年の夏から突きつけられていること」            平成25年7月20日

 このところ、我が国の気候が確実に亜熱帯化してきていることを実感する。意識して子供のころと比べると、大分様子が変わってきているからである。最近は、川の中に入って魚釣りや蛍狩りなどをすることや、野原を駆け巡ってトンボや昆虫を追い駆け巡ることなどをしなくなった。だから、周りの環境には疎くなってしまったが、おそらく生態系にも由々しき変化が起こっていると思う。それは、先般報告したすずめの減少を身近に感じたり、南方を生地とする動植物や昆虫・虫類がそろりと幅を利かせ始めてきている報告をやたらと聞くようになったからである。

 これらに至った主要因が、地球温暖化にあると云われて久しく、人間が贅沢を希求する道に舵を切り多大なエネルギーを消費してきていることに起因していると思う。とりわけ化石燃料を基とするエネルギーの、大量消費によって享受できる贅沢希求化社会システムの誘惑に眩んでしまっていることに、主要因の本質が透けて見える。またそのことが、先進国を象徴するグローバルな流れと信じられてきていることも見逃せない。

 いうなれば、我々がグローバル化といった名のもとに贅沢希求に邁進してきたことが、我が国の環境を変え亜熱帯化へ向かわせているに違いない。さらにこれからは、後れを取った諸国もそれに血道を上げ始めてきたことを参酌すれば、熱帯化も視野に入れなくてはいけなくなるであろう。もう昔の日本ではなく地球でもない。止めようがあるのかどうか、そして復元しようがあるのかどうか。復元と言ってもどこに戻すのかといった話にもなりそうだが、それが極めて困難であることを思い知らされる。問題がグローバル化し、各国のエゴの調整が一筋縄ではなくなってきているからだ。

 そういえば、昨今は、政治も経済も更に一段のグローバル化は避けられない、としきりに喧伝されてきている。今や、自然環境も社会システムも、昔のやさしかった我が国固有の状況には、自国の努力だけでは戻しようのないほどグローバル化の洗礼を受けてきているのに、これ以上グローバル化の波に乗らなければならないという意味を探しあぐねてしまう。各国固有の社会における幸福度のバロメータがグローバル化になじむのだろうか、とか、国の個性(固有の自然環境、文化、生きざま、価値観、・・・)の維持がグローバル化になじむのだろうか。等々、国政の選挙が終わり、特別暑さを増しつつある今年の夏から突きつけられた課題に戸惑っている。


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■「孫の水遊び顛末」                      平成25年7月15日

 あと4-5日で1歳3か月となる孫が遊びに来た。娘に「歩き回れるようにもなったので、暑くなったらビニールのプールで水遊びをさせたらどうか」と、思い付き半分言っておいたことが当てにされたらしく、今朝方、来ることを通告する際「どんなプールで遊ばせるの」と期待に膨らんだ問いが添えられてあった。小生もカミさんもこんなに急にとは思っていなかったので大いに慌て、ホームセンタに駆け込みプールを物色した。色とりどりのものがあり迷ったが、出がけに下の娘(妹)から「滑り台付きでなければダメ」と釘を刺されていたので滑り台付きのものがないかと店員に尋ねた。幸か不幸か1つだけ残っていたらしく「よかったですね」と店員に言われた一言に何の疑いも持たず買い求めてしまった。

「ジジイの顔を立てようと、巨大プールを我が物顔で占拠」

 一応サイズは確認したつもりであったが、小さな箱に梱包されていたのでメーター表示の仕様を過少に判断してしまった。持ち帰って下の娘にドヤ顔満面で購入報告をしながら組み立てを頼んだ。梱包を解き、広げてみてびっくり仰天。3m×1.8mもあって空気を入れるのに1時間半も掛った。居間一杯に広がった巨大なプールに呆然と立ちつくすばかりだったが、昔、聞いたことのある「大きいことはいいことだ」の言葉に気を取り直し、お隣の迷惑も顧みず庭に広げた。孫はあまりの大きさに最初はたじろいだが、慣れてくるうちにすっかりなじみ、水遊びを満喫してくれた。最も子供以上に周りの大人たちがはしゃぎ、巨大プールも面目躍如と云えたが、ジジイ馬鹿が高じた今年最大の失敗だったかもしれない。

 そういう心境を察してか、ジジイの顔を立てようと巨大プールを我が物顔に占拠する彼がいじらしく、今年は、もっと水遊びを開催しなければと思った。

                                  
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■「プーシキン美術館展」を観る                  平成25年7月6日

 午前中、国連WFPのボランティア研修に出た後横浜美術館に立ち寄り開催中の「プーシキン美術館展」を観た。本展覧会は当初、2011年4月に開催されることになっていたが、東日本大震災と原発事故の影響を受けて急遽中止となってしまった。それが今年、当初予定と同じ会場で開催されることとなったので早速観に行ったということである。

 本美術展に興味を持ったのは、11年当時横浜市民ギャラリーでボランティアを始めており、そこでの活動を通じ先輩方やギャラリーの学芸員に大いに触発されたからである。また、ロシアがフランス絵画の宝庫であることを知る由もなかったが、そのことを教えられ、本展覧会で17世紀から19世紀にかけてロシアが蒐集したフランスの名画に触れられるチャンスは逃さないほうがいいと言われたからでもある。

 もっと言えば、昨年6月、国立新美術館で「エルミタージュ美術館展:ロシア国外では最大級のエルミタージュ美術館展」を一足先に観てしまい、当時のロシアの絵画に対する造詣と何より収集作品の美しさ(としか表現ができないのがもどかしい)に感動してしまったからでもある。自分的には順序が変わり「プーシキン美術館展」はその延長線となってしまったが、当初抱いた興味を一層掻き立てずにはいられなかったということである。

「エルミタージュ美術館展」の報告はこちらをどうぞ。

 古典主義のプッサン、ロココのブーシエ、19世紀に活躍したアングル、ドラクロワ、ミレー、さらにはモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ等の作品が並び、そして20世紀の巨匠ピカソやマティスに続く66点の名画に会場にはため息しか漏れてこなかった。とりわけ、宗教絵画と思われるアングルの「聖杯の前の聖母」は、息をのむ美しさでとても惹かれた。更に、お目当てだったルノワールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」に見惚れてしまいその前でしばし佇んでしまった。

 会場に掲示されたパネルで、当時何故ロシアがフランス絵画をコレクションしたか、なぜ長い間それらの絵画が閲覧できなかったかが分かった。革命がおこり国が大きく変わっていった中で、これらの作品が無傷であったことを良としなければならないのであろう。本展覧会で、国から追放されてしまった蒐集家達、エカテリーナ女帝や大富豪であったセルゲイ・シチューキンやイワン・モロゾフ等(ら)の意地の息吹が聞こえてくるような気がした。

 まだまだ絵画を見る目は養われていないが、理屈抜きで心が惹きつけられてしまう絵画に出会うことが多くなってきた。見る目に変化の兆しを感じるが、お仲間の洗脳が効き錯覚に陥っているだけかもしれない。あえて錯覚を承知の上で申し上げるが、本展覧会は錯覚に陥らせる絵画で埋め尽くされていると思う。心が惹きつけられてしまう名画ばかりである。絵画に心を惹きつけられたいと思われる方は是非足を運ばれることをお勧めします。横浜美術館では9月6日まで、神戸市立博物館では9月28日から12月8日まで開催される予定です。

 本展覧会の詳細案内はこちらをどうぞ。


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■「国連WFPボランティア研修とニムドマさんの講演」        平成25年7月6日

 この日、10時から12時まで国連WFPのボランティア活動報告会が開催された。最初に今年度に入って既に取り組んできた諸活動の実績が総括された。30人ほど参加した中には新規加入の仲間もいたが、参加したボランティアに感想を求め、活動を振り返り失敗や成功を語り評価させたので、新人は元より先輩方にとっても時宜を得た研修となったように思う。何より活動の趣旨や成果、課題の共有化が図れたことや、仲間の活動に触発を促されたことに研修の的は射ぬかれたと思う。継続を切に望みたい。

 引き続き17歳でエベレスト登頂を果たしたネパール人の女性登山家、ニムドマ・シェルパさんの講演があった。彼女は給食があったおかげで食べて学ぶことができ登山家になる夢を実現することができたと言い、エベレストをはじめ世界の7サミット(七大陸最高峰)を征服していくことを通じ、彼女の幼少期と同様な境遇にある子供たちを支援する活動を行っていくと表明された。同行して来られたネパールで国連WFP活動をされている担当の方の話によれば、同国の食糧事情は以前から悲惨な状況にあったとのことで、これからも当分は国連からの支援が欠かせないとのことのようだ。そんな環境の中で彼女を支えてきた学校給食の真の意義が、彼女の思いや行動に象徴されていることに気づき、国連WFP活動の意義深さを改めて思い知らされた。

「参加者全員でニムドマさんを囲み記念写真」

 彼女の外見からはとてもエベレストを登る登山家には見えない。一見ひ弱そうにしか見えない身体のどこにそのような強い意志があるのかとさえ思う。7サミットの内既に4つは征服したそうだ。残り3つは何としてでも成功したいと言っておられたが、成功は時間の問題だろうと思った。彼女の強い意志や行動力は元より、彼女から励ましの言葉を受けた子供らの熱いエールの息吹が、強力な後押しになっているに違いないと思ったからである。心から成功を祈りたい。

(参考)
 公益社団法人ACジャパンにより、2003年7月1日から1年間、国連WFPの学校給食を支援する公共広告が展開されています。今年は、彼女が学校給食の意義を説く主人公として描かれています。
 「彼女の声」はこちらで聞けます。 是非お聞きいただければ幸いです。




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