宣伝は客から客へ
あのずうたいのでかい象を、例えば贈り物にでも頂戴したとしたら、それこそ有り難いどころか、ありがた迷惑なことであろうが、彼の場合も、まさにそんなものだった。
というのは、ニューヨークの馬鹿でかいホテルの売り物、おまけに営業不振で、業界きっての厄介な代物だったやつを、彼は引き継がねばならなかった。
いかにも、彼は若かったし、こんなおん襤褸の事業を立て直し、うまくやってのけたというような、これぞという経験なぞ、何一つ持ち合わせていなかったのである。
その経営は、まったく、これ以上には悪くなりようがないほど最悪だった。しかし、ともかく、そのままで抛っておくわけにはいかない。まず、やってみなくてはならないのであった。
これは有名な話であるから、このホテルはもちろん、これから繰り返してお話しようとする主人公の名前もご存じのはずであろうと思う。このホテルはニューヨーカー・ホテルであり、その人というのはラルフ・ヒックである。ヒック氏はまことに簡単な方法一つで、このガラクタなホテルを、世界中誰知らぬ者のない評判の大ホテルに仕立て上げたのであった。
ヒック氏の唯一の方法というのは、人と馴染みになるという、とても単純なことに過ぎなかった。お客様がどちらを向いていようと、それには一向頓着なしでお近づきになっていく。彼を呼ぶに愛称を用いたり、きれいな給仕は笑顔をみせる。エレベーター係はちょっと会釈をするという穏やかな風景である。
米国随一と言われるこの大都市で、彼の厚いもてなしをうけて、良い気持ちにさせられたお客さん達は、他のホテルに移りかえて逗留しようなどとは露ほども考えなくなってしまった。お客は郷里に帰ってこのニューヨーカー・ホテルのことを友人に評判した。そのまた友人達もこのホテルに来ては同じように厚遇された。するとまたその友人達にこのことを吹聴した。このようにしてほどなく、このホテルは世界最大の、そして最も利潤のあがる一大ホテルとなった。
ヒック氏はその成功のわけを問われた時、彼はこともなげに次のようにぶちまけた。
『兎に角、なんでもかんでもお客さんと心易くなることなんですよ』と。
一人前のセールスマンともなれば、同様にこれ位のことは朝飯前である。私の懇意にしている人などは、更に優秀なセールスマンで、いつもお客や見込み客にお近づきになる機会時を狙っていた。いつも筆まめに手紙を書く。気安く電話の打ち合わせをする。参考資料を送ってみる。そして常にお客との接触を保ち続けていく方法に気を配って工夫をこらしていた。
こうした遣り方は、決して無駄になるものではない。というのは、これは人間性の根底に根強く地固めされているものであって──その事実は人というものは手厚く、鄭重に待遇されたり、自分は偉いと思われたいという気持ちが、心の奥底に根ざしているものであるからである。