ほんなら・・・
  ほんでも・・・


     24回目 
    『樹村みのり』さん。
・・・]V
      ・・・・・2004年 11月 28日・・・・・


 1982年に発売された『ジョーン・Bの夏以後は惰性で買っていたと言うのが正直なところです。

 翌年の『
歪んだ鏡』にせよ、ここに載せた『ふたりが出会えば』にせよ、初期から中期では樹村みのりさん自身が入り込んだ作品が多かったように思えていたのですが、「まぁ、こんなもんか」「一丁あがり〜」てな具合で描かれた作品が多いように視えたからです。
 
ある日ふと「自分が描きたいものじゃない」と言う疑問が樹村みのりさんの脳裏に浮かんだ・・・そんな気がする漫画です。


『ふたりが出会えば』 ふたりが出会えば

樹村みのり 著

秋田書店

1984年2月15日 
初版発行

 収録されているわたしの宇宙人(1977年ビッグコミック・オリジナル増刊5月1日号掲載)
は第十四回に載せました。



結婚したい女

       (1978年 ビッグコミック・オリジナル 秋の増刊号 掲載)



 お仕事はけっこう出来る、三十歳になろうかと言う女性が結婚しようと思った。
社内を見回してみれば同期入社の男性がいた。
 ある朝、さりげなく「あんた、独身やったね。ほんなら結婚せえへん?」と告げた。
男性はチョチョマッタが、押し切った。

 学生時代の仲間達に言いまくり、社内の同性に言いまくる。
挙句は、まだ寝ぼけ眼でいる男性の部屋に荷物を送り、自分も押しかけ、掃除をするわ洗濯するわ・・・。

 片づけが終わり、一息ついて珈琲でも飲むかとなった。
「悪いけど、あんたとは結婚出来へんねんけど・・・」そう言う男性に「何でやのん?」
「何でって”愛”でんがな。いつの日にかそんな理想の女に出会い・・・」
「ほな、うち
(私)でも、かまへんやんか?『わたしの男に対する愛情を全部あげられるわ』」

 女性が帰る時、男性は女性が泊まっていくものと思っていたのでそう言うと、女性は顔を赤らめた。

 男はもともと嫌いではなく、そこそこ綺麗だと思っていたと言う事もあり、「まぁ、良ぇか」と。
 後日、思うには「赤らめた顔を思い出して決めた」

 その後も、女性の進度で事は動いた。

 結婚式をあげた後、学生時代の仲間達に紹介され、他の旦那と並んで座っているところを「一寸前まで見ず知らずの他人同士なのに、いい感じ」とか何とか言われ、男も「知り合いが増えた」と喜び・・・。

 でも、時折 男は思う。
理想の女性は何処にいるのかねぇ?と。

 嫁はんが、テレビに映る男前を視ながら遊びに来ていた仲間達に「似ている」とのろけているらしいのを知った旦那。




 もともと「いつかは結婚でもするか」と思っている男なら、主人公の如くに押し相撲でとことん押し切られる前に、一応、押し切られるだけでは”自分”がいないので、自己の方でも「了解」事項としてしまうだろう。
 理屈と膏薬は何処にでも貼れるというわけで、かいま見た女性の恥じらいの表情が清水の舞台から飛び降りるきっかけだったと言うのも、納得さす為の合理的判断。


 しかし、女性が思う対男性への愛情が双方合致する事なんぞ、まず無いのだから『
わたしの男に対する愛情を全部あげられるわ』は怖い。
 そこまで言い切る女が怖い。
 加えて、押し相撲の嫁はんの『
男に対する愛情』と、いつの日にか噛み合わなくなる事は必定。
 でも、樹村みのりさんは 「黙って俺について来い!!」の男ではないと言う事で、噛み合うと想定しているように見受けられる。

「ちょっとは私を気になる独身の男よ、私がドンドコドンドン寄って行っても、逃げずに受け止めておくれ」と、主に男性が読むビッグコミック・オリジナル誌で伝えたかったのか?
 それにしては、ドンキ・ホーテの如く、一点突破主義

(蟷螂の斧とまでは言わないが)
別な売り込み方も有りまっしゃろ?

 まぁ、出会いはそれぞれだし、夫婦はそれぞれだから・・・かましまへんけど。


 ところで、1970年代。
桐島洋子さんや向田邦子さんを代表とする積極的、意欲的、かつ強気に生きる女性達がもてはやされ、雑誌『クロワッサン』等によく掲載されていたのだけれど、樹村みのりさんはそちらには行かず、この作品では社内恋愛で、それなりには有能な女性社員を意図も簡単に”寿退社”させた。

 それからすると、80年代初頭頃だと思うが、今は大御所となった林真理子さんは時の女性のホンネをとらえるのが上手く、知性だの教養だのデキる女なんぞはほんの一握りで、ごくごく平凡な女は「結婚 したぁ〜い」と願っている作品を連発するが(何も読んでませんので、そう思うだけですが)それに先立った作品?




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ふたりが出会えば
      (1979年 ビッグコミック・オリジナル 3月20日号 掲載)



 デキる出来ないは別にして、自分たちで作った織物工房で働く女となると前の作品『結婚したい女』とはちょっと違う。
 ただ、仕事一筋とばかりに入れ込んでいるわけでもなく、単に「一生独身のままいても、まぁ仕方ないわなぁ」と考えている程度。


 自分で不美人と思い、それに慣れてきた頃は結婚適齢期の終わり頃。
伯母さんの勧めで、”売れ残り”の男とお見合いをした。

 面と向かって男と話した事がないので困っていたら、男も苦手なので河岸を変えようと言った・

 自分は「単に男にモテなくて、売れ残っただけ」と言ったら、男はその正直さが気に入った。

「女の子と二人きりになったらやってみたい事がある」と、独りで行けなかったフルーツパフェに行き随喜の涙で喰う男。
 映画『未知との遭遇』で誰はばかる事もなく、泣く二人。

 男の行きつけの飲み屋に行けば、”イイ顔”している良ぇ男に視えた。

 帰路、酔っ払いに「ブス!」と言われて、女は慣れている筈のコトバだったのだが、男は狼狽し聞こえないふりをした。
 でも、悔しくて情けなくて思わず流れた女の涙を見て、男は「わかった」とばかり、酔っ払いに突進し、まぐれとは言え見事、顎に一発。

 嬉しくて泣き出した女。
向かっていってくれただけでも あなた男らしい人だわ』と礼を言ったら、男は突然大声で「女の子が好きになっちゃった」と狂喜し空に向かって叫んだ。

 女は「好きな男と二人でやってみたい事があった」と男にお願いし、深夜の小学校校庭を裸足で走る。

 式はその日から一ヶ月後だった。




 開き直った開放感と受け取れる女を気に入る男。
 女は気に入られた感触を持ち、自分自身も気に入った時、開き直りは無理する事はないとばかりに、更に一皮向け自己をさらけ出す。
 根っからの明るさと見えたのは、実は暗かったんだし押し込んでいただけなんだ。
 そこを読み取れた男は、義を見てせざるは勇無きなりとばかりに酔っ払い相手に一発ぶち込んだ。
 つまり、女に惚れた。


 
1976年『星に住む人びと』
(光にむかう風・海にむかう流れ その2)で「郁子は臆病で暴力嫌いで絵を描くのが好きな平凡な高校三年生」を描いたのだけれど、自分の為にブン殴りに行った男に嬉しくなって喜ぶ女の絵を描く?
 
その上「男らしい人」とぬかす?
 男任侠「女が、俺の女が・・・泣いている。泣かせたあいつは・・・」と相成れば「義を見てせざるは勇無きなり」ってかい?
 『
人の道として当然行うべきことと知りながら実行しないのは、その人に勇気がないからである(『故事ことわざ・慣用句辞典』編・三省堂編修所・三省堂発行)
 半分酔っ払って気が大きくなっている男が、酔っ払って「醜女
(ブス)!」と言った男にまぐれとは言え一発当てた事が、人の道か?勇気が有ったからか?
解せない。
 その上、酔っ払って涙腺が緩んでいた女が礼を言う。
これじゃ、ただのマンガだよ。
 少なくとも『
でも、あなた さっき強かったわ 一発だったじゃない?』は樹村みのりさんが描く言葉だと思えない。


 明るくひねて自分で”ブス”と言うけれど、主人公の女は決して、醜く描かれていない。
 里中満智子さんの『パンドラ・シリーズ』(1970年半ば頃から、雑誌『ビック・コミック』に連載されたと思う)だったと思うけれど、誰が見ても美形とは言えない顔の持ち主の話があった。
(確か、わたしの男に対する愛情を全部あげられるわ』に近いもので、美形の男に選ばれ、”尽くす”一点張りの女の話だったと思う。最後、男は殺された・・・と覚えているが)
 これに較べれば、樹村みのりさんが描く絵としての”ブス”は、”ブス”ではない。
 並みのお顔以上に可愛く描かれている。
センスの良い服装を着ている。

 話の内容からして仕方ないからなのだろうけれど、里中満智子さんのように突き放して”女”を描く事が出来ないからでもありそうだ。




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直美さんが行く
      (1979年 ビッグコミック・オリジナル 12月5日号 掲載)



 女友達の中で、ただ一人結婚から取り残されると、出産がどうたらこうたら等の話題についていけなくなる。
 でも、小学生の時、ぜっぺき頭で立たされているのを見て愛しいと思い自分から声をかけた彼がいて、その後ちょっと長めの小休止しがあったものの、無骨な山男となった彼とまたつきあい出していた。

 彼はアイガー北壁を終えたら「区切りで結婚」云々と言ったものの、帰国したら「もう一度、次は単独登攀」と。

 二年程の待ち時間があるものの、彼の何かに対して意地を通すところが、まぁ好きになったのだし「前から君以外考えていないよ」と言いながら山に行った彼。
 自分だって彼以外に思う相手がいなかっただけだから、待っていると思ってるわけじゃない。


 彼から国際電話が入った。
明後日、横浜港に着くと言うので、「これで、ヒマになるねんやろから、どう? うち、空いてるさかい結婚でもせえへん?」と一言、言った。

 デッキで空にMarriageの”M”文字を書く彼を見て、微笑んだ。





 非常に物分りの良い女に便乗した感じの男。
物分りの良さは勿論、男への絶大なる自信があるからなんだけれど、一見古風な大和撫子でありながら、しっかりと球を投げる時は投げる女。
 孫悟空に対する三蔵法師みたいなもんですな。


 余計なお世話だけれど、男はこの後、どうやって喰っていくんだろう?
大豪邸の息子さんだから、経営者の息子か?
もっとも、女は教師だから、喰っていけるな。

 でも、今後を想像すると、しっかり者の蝶子とだらしない柳吉の物語『夫婦善哉(織田作之助 作 新潮文庫)になりそうだ。




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前略同居人サマ
     
(1977年 ビッグコミック・オリジナル 6月20日号 掲載)


 1976年の『星に住む人びと(光にむかう風・海にむかう流れ その2)に描かれていた一番上の死んだ姉の話がほとんどそのまま載せられ、九歳で上京し丁稚奉公したの苦労話なんぞを寡黙な親父さんが語り、姉が結婚する時、婿さんに「反対だけれど、娘を頼む」と出来そうで出来ない男親だったと義兄から聞く。

 自分が結婚すると決まり、いつか親になると思った時、人の子の親を理解するのはなかなか辛くてシンドイものであるけれども、今まで理解できなかった親父さんがよ〜く判り、家を出る時には「おとうさん あなたは なかなか ステキよ」って自信がないけれど言いたく思っている娘。




 父親を正面から取り上げた作品。
 娘からすれば、不可解な男親は”同居人”としか呼べないらしい。
 結婚を契機に、ようやく娘は父を理解出来たと思っているが、この理解は何処まで行っても頭だけの理解で、娘は父と溶解し合う事はない。
 異性としての旦那ではない以上、それ以上を望む必要もなく”お父さん”と呼ぶ同居人。

 これまでの作品からすれば、母親も同居人?兄弟姉妹も・・・?
 同性の母親には近親憎悪を持てる近さだが、異性の父とは距離があるって事か。
 父親は同居人にすぎない。
 兄弟姉妹は性別で異なるが、でも、”同居人”程には距離がないので同居人にあらず。

『星に住む人びと』(光にむかう風・海にむかう流れ その2)に『郁子が親父さんの文言に、面と向かって反発もせず、自嘲気味に言う親父さんの自分史にも揶揄せずにいたのは、エライ。心底そのように思う。』と書いたけれど、違うようだ。
 父親は、揶揄や反発するに値せず、近くて遠い不可解な人だったようだ。
だから、感覚として躰での理解ではなく、言わば評論家や解説者の図解だった。
 二十代の終わり頃、単なる”物語としての父親”を頭で解するまで
(何らかの形で自己内での清算をするまで)に至った。
 仕方がないとは言え、どことなく、男としては寂しい思いがする。




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クリーム・ソーダ物語
       
(1982年 ヤングジャンプ 3月18日号 掲載)


 社会人一年生の山科は、社内同期入社の合コンに燃えている同僚達が思う”男性”と自分が思う”男性”とは違っていた。

 お転婆で男の子達と混じって遊んでいた餓鬼の頃、自然につき合えた男の子達の思い出から抜け出せない。
 兄からは「男嫌いになるぞ」と言われ、紹介された男はナヨナヨした男、ちょっと自分の意見を言うとむくれる男などで、ため息が出るばかり。

 いまいち乗り気じゃないまま合コンに出かけた。
 クリーム・ソーダーを飲んでいると横に座る男が興味深げに「それ 何?」と聞く。
 今どき、こんなのも知らない男。
知らない事を恥ずかしがらずに素直に聞く男。
 山科はこの男に興味を持った。

 次回の合コンに山科は勇んで行った。
同僚が気を利かせて席を変わってくれた。

 注文したクリーム・ソーダーを見て男が聞いた。
「それ 何?」
 前と色が違うソーダーを注文していたのだが、男は別な飲み物だと思っていたと知った山科は男に「色々なソーダーがあるので、良ければお昼休みにお誘いしてくれましたら、一緒に確かめに行けますよ」
 勿論、男の返事は「行きまっさ!」

「餓鬼の頃のように楽しい事が一杯出来そうな、正直で素直な彼に惹かれたのよ」
 男漁りに勤しんでいた同僚相手に、惚れた理由をのたまう山科。




 読者の年齢層が、ビッグ・コミックよりも低いヤングジャンプに合わせてだろうか、登場する女性の年齢も一番若い。
 前四作品 、1977年『わたしの宇宙人』1978年『結婚したい女』1979年『ふたりが出会えば』『直美さんが行く』から較べてみてもほんの少し感じるピリピリ感がなくなり、読み手を思いながら楽しんで描いているように思う。
 それは、取りあえず”結婚”を射程内にする必要がない作品だからで、気楽に、且つ、樹村みのりさんの好む男を描いた?

 樹村みのりさんは初期の作品から登場する女性の多くを「男を対等に見る」以上の位置に置いてきた。
言い換えると”ぼうや”扱いとでも。
 それからすれば『ふたりが出会えば』と『クリーム・ソーダ物語』は明らかに違う女性を描いている。
言わば、男に”少年の心”を視る女とでも。
 多分、樹村みのりさん自身が持つ二面性の表れでもあり、また樹村みのりさん自身が一山
(二山?)を越え、肩を張る必要を感じなくなってきたように思う。
 この事は 『前略同居人サマ
(=父)についても言えそうだ。




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 二篇づつ、三ヵ所に別れて載せられていました『となりのまぁちゃん』六篇
(1983年1月〜12月 社会新報 掲載)は次『土井たか子 グラフィティ』に少しだけ書きます。


 続いて第十六回の
花畑むこうこちら菜の花畑は夜もすがら菜の花畑は満員御礼(1977年)が載せられています。


土井たか子 グラフィティ


樹村みのり 著

スコラ

1989年12月16日 
初版発行


サラダ・バーの女たち・・・
リブのあとの最新アメリカ女性レポート

菅原真理子 著
紀尾井書房
1981年10月10日 初版発行


ふたりが出会えば』には六篇しか載せられていなかった『となりのまぁちゃん』は全編載せられているようです。

ふたりが出会えば』に載せられていたものは主義主張に乏しくほんわか気分のものです。
 例えば登場人物は『菜の花畑』シリーズとかなり重なり、まぁちゃんや森ちゃんが出て来ます。



 『となりのまぁちゃん』に載せられている中で”結婚”形態モノとしては

『楽しき哉人生』
 年の差なんてなんのその。
年上妻に年下男
(加えて妻の連れ子ありのケースも)礼賛。

『こんなにズレています、二人の望み』
 男の半数近くは”亭主関白””家事は女房””嫁はんの婚前の収入は家計に”と望み、女は”友達夫婦””旦那も手伝え””個人的所有物”と若い人の意識調査を描き『
女性の望みにあった男性 早く現れいでよ!だわね』と中年おばさんが言う。

『変わりつつありマス』
 個人志向重視男と仕事思考重視女が増えたと言う事で、将来、家事を好んで行う男と部下の男社員との社内恋愛に悩む妻。

『女の人・男の人』
 結婚雑誌の特集「医者と、パイロットと、上級公務員と結婚する方法」を『
ほとんどパロディの世界ね』と揶揄し、書名「主夫と生活」本が売れたりしてとニコニコ顔で言う女。


 明治・大正の生まれだった父母の大多数なら目をむく内容だけれど、現実的には亀より遅い歩みでも少しずつ動いていたように思う1980年代。
 でも、綿々と続く慣習と化した意識はそう簡単に変わるものではなく、それは何も夫婦形態だけを意味するだけでもなく・・・政治
(政界)でも。


 掲載紙の『社会新報』の発行元は社会党
。(今は社会民主党ですか)
 連載された1983年7月の参院選挙で社会党は敗北し、飛鳥田一雄委員長が辞任し石橋政嗣さんが委員長に就任。
 その後、1986年7月衆参同日選挙で大敗し、土井たか子さんが委員長に就任。
 1989年7月の参院選挙では消費税・リクルート導入の追い風や「マドンナ・ブーム」により、与野党勢力を逆転させ「山が動いた」と大躍進。
冷静に事を視れば、敵失による棚からぼた餅的勝利。
 勝利を持続できず1991年4月の統一地方選挙で大敗し、土井たか子委員長辞任。
 それからは・・・まぁ・・・社会党凋落が始まり・・・一気呵成・・・断末魔の悲鳴が聞こえ出した。・・。
(もっとも、これ以前にその兆候はゴマンと有ったので、どこから始まったと見るのかは人によって違うだろうけれど)


 1955年、保守党の自由党と民主党が大合同して自由民主党となった後、野党第一党としての社会党は自民党に反対の論陣を張り、内閣不信任決議を提出すると言うワン・パターンの国会運営。
「日常活動の不足、議員党的体質、労組依存」の成田三原則。
万年野党の金看板にあぐらをかいて数十年。
 金丸信自民党国対委員長と田辺誠社会党国対委員長の頃には多分けっこうなお金も動いていたようで、安穏・惰眠での居心地はそれなりに良かったんだろう。
 そこに登場する”おたかさん”は輝いて見えた。
金まみれになりそうにないように見えた。
女性や庶民の味方だと思えた。
土井たか子 グラフィティ』は、おたかさんの生い立ちから1989年参議院首相指名に至るまでを、シンパサイザーだった
(と思う。今もかな?)樹村みのりさんが思い入れたっぷりに描く。

拍手

 いつ頃の写真雑誌『フォーカス』か『フライデー』か忘れたけれど、自民党のエライさん達は日産・プレジデンやトヨタ・センチュリーなんぞの後席に乗るなか、日産・マーチの助手席から降りて登院するおたかさんが載っていた。
「ふ〜ん、マーチか!」と思い、心の中で拍手した。
 1993年8月、衆議院議長就任した時、裏で何が有ったのか知らないけれど、テレビ画面に向かって「ぼけ!!」と言った。

 先行き不透明な政界を泳ぐお人に、樹村みのりさんがヨイショたっぷりの提灯漫画を描くとは・・・嗚呼。

 もっとも、樹村みのりさんは土井たか子さんを称えるだけの為に描いたわけではない。

『日本でも 土井たか子さんに続いて女性達が政治の重要なポストに着きはじめてきました』と書き、抜山映子さん(民社党副委員長)森山真弓さん(官房長官)高原須美子さん(経済企画庁長官)をあげている。
 それぞれの就任時期は1989年。
 しかし、その後の彼女達の動きを見れば・・・・「嗚呼・・・なんだんねん!」てなもんに近い。

 1946年生まれの坂東真理子さん
(旧姓 菅原)は1989年当時どの部署に就いていたのか知らないが、1969年総理府入府、青少年対策本部、1975年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)が発足した時、一番若い担当官。
 婦人問題担当室
(1978年、初の『婦人白書』の編集)、老人対策室、ハーバード大学客員研究員、内閣広報室参事官、統計局消費統計課長等を経て1993年男女共同参画室長になった。
 その後の2001年には男女共同参画局長に。
 言わば国家の女性政策を常に引っ張り続け、現在も活動を続けているような女性をあげれなかった事は惜しい。

上の『土井たか子 グラフィティ』にマウスを置いて下さい



 続いて、『駆け足東ヨーロッパ』『ジョニ・ミッチェルに会った夜の私的な夢』が載せられています。

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映画の中の名場面』@A


 @には『鶴は翔んでゆく』『第三の男』『ジョーズ』『未知との遭遇』『恋におちて』『モスキート・コースト』『十二人の怒れる男』
 Aには『ハンナとその姉妹』『ロンリーハート』『イーストウィックの魔女たち』『三人の女』
の映画名が載せられているけれど、私が見たのは一点のみ。
『十二人の怒れる男』だけ。
『十二人の怒れる男』
   『十二人の怒れる男

   レジナルド・ローズ 著

   劇書房

   1979年3月15日発行
 樹村みのりさんはさすがに観察が鋭く、”場面”ではないのだがと書きながら、映画の終わりに出演者の紹介される所で『ふつう 名字と名前の初めは大文字であるはずのところが そこではみな小文字だった』それは『審判員制度の無名性ということを連想させられ』同時に『主題の”つつましい正義”みたいなものを象徴しているようにも思えました
そして『
映画はここまで表現できるんだ』とも。
(映画が終わると出口が混まない前に出るのでそこを見ていないが、私はローマ字音痴。大文字も小文字も見分けがつかないので見ていても気付かなかったと思う)

 私が覚えているのは、十一対一だった一回目の投票に「本気か?」「どないすんねんな?」に「話し合いしまひょ」と答えた陪審員八号の男の無罪投票に、二番目に自分で考えて無罪投票した陪審員九号の老人が評決を終えた後、「名前、何て言いまんねん?」「○●◎☆★ですわ」「ほな、さいなら」でそのまま別れて、雨上がりの街に散って行くお終いのシーンに陪審制での無名性を見た程度で・・・。

 因みに、左の原作本(戯曲)では映画で一つ手前の場面(?)がラストで、最後まで有罪だと言い続けていた陪審員三号が、十一人に囲まれながら自分の子供と容疑者の少年を重ね合わせてとらえ、有罪を覆さずにいたものの、十人の陪審員達が出ていった中、残る穏やかな陪審員八号に向かって飛び出しナイフを低くかまえ見据えたものの、「無罪」と陪審員八号の強い一言で、ナイフを閉じ「無罪」と陪審員三号が言うところで終わっています。


 ところで”男”なんですね。
1950年代、陪審員になれるのは男だけだったとは思えませんが、何故か”男”だけなんですね。
(陪審員を決める時に、検事・弁護士双方共に候補者を絞る段階で拒否権があるので、結果的に”男”だけになったと言う事も有り得る話ですが)
 しかも、十二名全員が白人で他の有色人種はいないのですよね。
(原作では欧州の戦乱を逃れて来た男がいるが、映画ではどうだったのか覚えていない)
 加えて、貧しい者もいない。

 1950年代の米国って、経済的には第二次世界大戦後の繁栄を一手に受けて我が世の春を満喫している頃。
 政治的には冷戦構造の中、ピリピリしていた頃。

 個人における偏見からの解放を主題の一つ
・・・(樹村みのりさんは、映画の主題を『”つつましい正義』と)・・・としているのなら、この陪審員の構成には疑問が残る。
 貧しくない白人の男達のみが、市民の代表で偏見を持たない自由な人?


 まだ米国社会の伝統思考・文化・慣習等々はその程度だったと言う事でしょうね。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
25回目も、 
『樹村みのり』さん
・・・]W 
の予定です。
でも、クリスマス・カ−ド交換会で忙しくなりそう
なので、二千五年の一月中旬位までお休みしそうです。



って書きましたが、再開しました。
(一月二十二日)


HONDA1300イクーペ9でに乗って・・・掲示板へ。
 この車に乗って往き、
”本”の事でも、
”わんこ”の事でも、
何でも書いて
(掲示板)おくんなはれ。


ホンダ1300クーペ9の郵便車。
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」


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文責は当HP管理者に有ります。